◆日時◆2010年12月11日(土)13:00~17:10
◆会場◆立教大学 新座キャンパス4号館3階N431教室

主催:立教大学観光学部
後援:社団法人日本旅行業協会

◆プログラム◆
12:30    受付開始
13:00‐13:10    開会あいさつ
13:10‐14:10    基調講演「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅」
中村 洋太 早稲田大学創造理工学部4年 
14:10‐14:30    質疑応答
14:30‐14:40    休憩1
14:40‐15:00    「新しい旅行のカタチ」
加藤 美季 立教大学観光学部3年
亀川 愛美 立教大学観光学部3年
15:00‐16:20    パネルディスカッション「旅行会社、メディアが提供する旅行・若者が求めるべき旅行」
モデレーター:
舛谷 鋭 立教大学観光学部教授
パネリスト:
中村 洋太 早稲田大学創造理工学部4年
福田 祐二 株式会社スノーメンランド 社長
荻野 明宏 タビィコム株式会社 代表取締役社長
田辺 剛  全日本空輸株式会社 宣伝部
浜田 麻衣 立教大学観光学部3年
16:20‐16:30    休憩
16:30‐17:00    フロアとのディスカッション
17:00‐17:10    閉会の辞
17:20‐19:00    懇親会(新座食堂)

開催趣旨
若者旅行(Youth Tourism/Youth Travel)の実態と海外旅行促進を考えるシンポジウム第二弾。実際に様々な方法や理由で国境を越えた若者たちの事例と、旅行業に携わる人々との対話から新しい若者旅行のカタチを探る。

基調講演「スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周の旅」
中村 洋太氏 早稲田大学創造理工学部4年
神奈川県横須賀市出身。早稲田大学創造理工学部4年。2009年春、早稲田大学交響楽団の海外公演ツアーに参加し、ヨーロッパ全11都市で和太鼓を演奏。2009年夏には、自転車で西日本を一周(全2700km)。今夏は、スポンサーという形で旅費や物資を集め、自転車で西ヨーロッパを一周した。5月~10月、学生ブログランキングで77000人中1位。
講演趣旨:「今年の夏は、自転車でヨーロッパを走る」そう決意したのは、1月31日のことだった。就職活動と研究が重なり、アルバイトでお金を貯めるのが難しいと思ったぼくは、『企業や個人にスポンサーを募る』という方法を考えた。『若者の海外旅行離れ』を食い止めたい。その想いを持って生まれた『ツール・ド・ヨーロッパ~スポンサーを集めて自転車で西ヨーロッパ一周~』という企画。「無名の大学生1人に対してスポンサーなんてつくわけがない」という常識を覆し、奇跡は次々と起きていく。本講演では、旅を実現するまでの過程とその経験を通して学んだこと、若者が海外旅行をすることの意義、そしてヨーロッパを旅する中で感じた「外から見た日本」について話したい。

「新しい旅行のカタチ」
加藤 美季 立教大学観光学部3年
埼玉県さいたま市出身。本学観光学部交流文化学科3年。舛谷ゼミ所属。
亀川 愛美 立教大学観光学部3年
宮城県仙台市出身。本学観光学部交流文化学科3年。舛谷ゼミ所属。
報告内容: 今回、問題視されている若年層アウトバウンドの低下にあたり、主な原因は現在広まっている観光の形態にあるのではないかと考えた。そこで、今夏、私達の所属するゼミで訪れたグアムを題材に、いわゆるビーチリゾートというイメージだけではない新しい観光のカタチを提案したいと思う。新しい観光のカタチを提案することで、若者の観光への意識も変化していくのではないだろうか?

パネルディスカッション「旅行会社、メディアが提供する旅行・若者が求めるべき旅行」
モデレーター
舛谷 鋭 立教大学観光学部教授

パネリスト
福田 祐二氏 株式会社スノーメンランド 社長
新座市出身。HISに8年在籍。JTB THAILANDに転職。後、2007年10月に『株式会社スノーメンランド』を設立。豊かさと笑顔を絶やさないことが信条。趣味は旅行と作曲。
発言趣旨:日本の若者(10代、20代)が海外旅行に行かなくなった、というのは、行く人は行くけれども、行かない人もいて、その行かない人の比率が増えたのではないか。では、何故行かない人が増えたのか。それは「お金がない」「価値がない」など様々理由があると思う。私としては、大切なのはその理由をどう捉えるかだと思う。お金がないから行かないのではなく、お金がなくても行ける方法を考える方が楽しい。価値は自分で変えられる。

荻野 明宏氏 タビィコム株式会社 代表取締役社長
埼玉県出身。楽天、ライブドアなどで多くのコミュニティ系のサービス(ブログ、写真共有、知識共有など)に関する企画・運営に携わる。旅が好きで旅とインターネットの会社タビィコムを設立し、多数のサイトを運営。
発言趣旨:格安航空会社の台頭によりバスのように身近に海外旅行ができる時代がもうすぐやってくる。その際にパッケージなどではなく「自らの旅を自ら決定する」楽しさを味わって欲しい。同調圧力に負けずに。その際に旅好きの友人の意見やネットのクチコミは非常に参考になる。ただ、ネットのランキングもそれがすべてではない。最後は「自らの意思で決定」し、たくさんの素晴らしい「出会い」の旅を経験して欲しい。

田辺 剛氏 全日本空輸株式会社 宣伝部
 機内誌「翼の王国」「WINGSPAN」、自社媒体広告集稿を担当。
発言趣旨:インターネットなど情報ソースの発達により、個人が抱く興味や価値観の範囲も多様化しているはず。そんな中で画一的な旅行情報を受信しても、必ずしも「旅に出たい」という思いはかきたてられない。機内誌では飛行機の中での時間を楽しんでもらうとともに、ありきたりの観光情報に留まらない「旅の楽しみ方」を伝え、それぞれの旅を経験してもらいたいと思っている。

浜田 麻衣 立教大学観光学部3年
大分県大分市出身。本学観光学部交流文化学科3年。舛谷ゼミ所属。
発言趣旨:旅行の一番の魅力は「現地の人々との交流」や海外ならではの「異文化体験」だと思う。その人々との交流の楽しさやかけがえのない出会いの素晴らしさをより多くの同世代の人々に感じてもらいたいが、そのことを今のショッピングやリゾートを中心とする旅行形態では感じることは難しいのではないか。また、海外に実際に足を運び、身体で現地の文化を感じ、日本文化を比較することで、新しい日本の姿が見えてくる。内にこもる若者が増え、今の日本の状態が「当たり前」、「日本が一番ラク」と考える若者が増えることに危機感を覚える。

観光庁「若年層アウトバウンド促進事業」連携シンポジウム

  • 主催:立教大学観光学部
  • 後援:観光庁、社団法人日本旅行業協会

※予約不要、参加無料

日時

  • 2010年2月20日(土)
  • 13:00~17:10(懇親会17:30〜19:00)

会場

  • 立教大学 新座キャンパス 4号館3階 431教室

連絡先

目的

  • 若者の旅行の実態を統計的なデータをもとに分析し、アウトバウンド促進の糸口を探る。
  • 若者の旅行に関する意識を調査するために、長年若者を見つめてきた人々と若者との対話により、若者の嗜好の変化をたどる。

プログラム

  • 総合司会 立教大学観光学部2年 岩間 麻莉
  • 13:00~13:10 開会あいさつ
    • 観光庁 国際観光政策課 村上 雅巳 氏
  • 13:10~13:25 問題提起「若者の海外旅行離れに関する考察」
    • 立教大学観光学部3年 戸丸 忠道
  • 13:25~14:25 基調講演「若者が旅に出る時代は本当に終わったのか」
    • 旅行作家 下川 裕治 氏
  • 14:25~14:35 休憩1
  • 14:35~15:50 パネルディスカッション「若者の嗜好の変化」
    • パネリスト:
      • 旅行作家 下川 裕治 氏
      • ビジット・ワールド・キャンペーン推進室 澤邊 宏 氏
      • JTB社員 鷲塚 智紀 氏
      • 立教大学観光学部教授 平尾 彰士
      • 立教大学観光学部2年 横井 彬人、松村 尚毅
      • モデレータ 立教大学観光学部教授 舛谷 鋭
  • 15:50~16:00 休憩2
  • 16:00~17:00 フロアとのディスカッション
  • 17:00~17:10 閉会の辞
    • 立教大学観光学部学部長 豊田 由貴夫 
  • 17:30~19:00 懇親会(新座食堂2F)

台北大学人文学部、立教大学観光学部共同主催
日本華僑華人研究学会 関連企画

 アジア太平洋地域の華人文化と文学研究を促進するため、台北大学人文学部と立教大学観光学部は「華人文化と文学」国際シンポジウムを共同開催します。日程は、2010年2月22日(月)・23日(火)、場所は立教大学新座キャンパス6号館3階636ロフト2教室です。このシンポジウムは使用言語を中国語とし、日本、台湾、マレーシア、シンガポール等の華人研究者が結集し、華人文化と文学の問題を議論し、国際的な学術交流の場ともなります。
 この会議のテーマは華人文化と文学を中心に、社会、歴史、言語の問題を含み、発表論文は中国語で、分量に制限はありません。2010年1月16日(土)までに論文の題目を、2010年2月13日(土)までに完成原稿をお送り下さい。

立教大学観光学部交流文化学科 教授 舛谷鋭
台北大学人文学部中国文学科 教授 陳大為

連絡方法:〒352-8558 埼玉県新座市北野1-2-16 立教大学観光学部 舛谷研究室
Email:masutani[at]rikkyo.ac.jp

 毎日90万部の華字紙が売れ、700万人いる華人の90%が華語小学校に通う国。マレーシアを華人から見るとそうなる。マレーシアは中国・台湾と香港・マカオを除けば最も中華文化の残存する地域だろう。しょせん新聞総部数の3割、人口比の4分の1にすぎず、マレー人に劣る出生率で、この先人口比の相対的沈下を危惧する声も ある。しかし、華僑三宝と言われる華字紙、民族語(華語)教育、それらを支える会館などの華人組織が存続するために、十分な絶対数ともいえよう。
 なぜ彼らは「中国人らしさ(チャイニーズネス)」を維持しているのか? 理念的にはハーバード大のTu Wei-Ming言うところの「Cultural China(文化中国)」に、プライドとアイデンティティを感じているからに相違あるまい。では、実践的には中国との関係はどうだろう。前述の華語初等教育が準公立校で行われる他、華語中等教育は私立校、華語高等教育もペナン韓江、スランゴール新紀元、ジョホール南方の各学院や私立ラーマン大などで行われている。こうした華人系カレッジが開校する80年代以前は、マレーシア華人の高等教育を担っていたのは台湾の大学で、現在でも 旅台(台湾帰国留学生)連合総会は華人組織の中でも有数のロビー団体である。また、留学後にそのまま台湾の大学で働くマレーシア華人も少なくない。中国大陸への留学生が増えて来たのは最近のことで、帰国留学生団体もできはじめたが、華人社会への影響力の点でまだまだ台湾留学組を凌駕するには至らない。
 しかし、中国研究を行う国立大学はマラヤ大のほか、プトラ大など増えており、前記の華人系カレッジの研究者も含め、けっこうな数に及んでいる。まだ実績はないものの、マラヤ大中国研究学部の博士論文は中国語でも受け付けることになったようだ。
 去る8月にマラヤ大、中国武漢大共催の「中国文学の伝播と受容」という国際シンポジウムがマラヤ大キャンパスで開催され、100名近い研究者が集まった。うち、台湾からの発表者が4名だったのに対し、内モンゴル、新彊から武漢、広州まで、中国全土から50名以上の発表者が押し寄せた。これはマラヤ大主催者側に北京大学に留学経験のある教員が含まれていたせいもあるだろうが、マレーシアで中国人学者の声がどのように響くかちょっとした見物だった。
 総じて華人は中国古典研究セッションでは神妙だったが、世界華文文学など、マレーシア華人の文化や歴史については誤解や資料不足を質す厳しい意見が飛んだ。筆者も張愛玲派のマレーシア華人作家について報告を行い、文化中国を突き詰めるとマレーシア国内で乖離する旨を指摘したが、台湾留学中のマレーシア人から、華人が中華文化を追求してどこが悪いのかという反論があった。
 中国の経済大成長で、華人をブリッジとして利用しようする戦略はどこの国でも見られるが、世界の二大成長センター、インドと中国の両エスニックグループを国内に抱えるマレーシアでも、反共=反中国というイデオロギーはだいぶ薄れたように思われる。華人はこれまで国内の民族間でチャイニーズネスを強調したが、中華圏との間で同じように差異化するのは当然困難だ。中国の過大な影響を警戒するのは台湾派に限らず、実は華人自身なのだろう。

 中国共産党一党独裁下の愛国主義と革命史を教育し、民族精神の発揚かつ革命老区の経済発展のための紅色旅遊(レッド・ツーリズム)地は、中国の世界遺産登録地と同じく西北、南西など西部地区に偏在している。
 革命老区の多くは経済発展の遅れた内陸地域であり、同じく格差解消策である三農観光と重なる地域も少なくない。三農観光とは農民、農業、農村の三農問題それぞれに、観光市場としての農民観光、観光資源としての農業観光、観光地としての農村観光を当てはめた、観光によるソフトな開発の一種である。
 三農観光は80年代以降、中国国家旅遊局が都市と農村の経済格差解消を目的に、農村地帯の観光開発と農村振興のために始めた施策で、2005年の第16期中央委員会第5回全体会議で打ち出された政治目標であり、70年代韓国朴正煕政権の農村近代化策、セマウル運動をモデルにした社会主義新農村建設の具体策の一つでもある。国家旅遊局の10の農村観光テーマには、農村リゾート(農家楽)、周辺観光拠点、観光都市建設、伝統文化、民族文化、特産品、近代農業、農業観光、環境保護などとともに紅色旅遊が含まれている。
 このように「革命」を観光資源として地域発展を進めることは、紅色遺産を従来の政治情報から経済効果へ転換したものと言えるが、たとえば湖南省韶山の毛沢東生家は、周辺からの修学旅行目的地であり、学校の入学シーズン(9月)には宿泊を伴うオリエンテーションも行われている。韶山は中国政府にとって愛国教育基地の筆頭だが、すでに地元住民による様々な試みを生み出している。たとえば北京や上海でも見かける「毛家菜」(毛家の料理)は登録商標として韶山の食文化のシンボルとなり、湖南料理の有力な一変種として全中国でチェーン展開さえしている。
 こうした地方に観光客は「郷愁、精神的啓発、著名観光地、信仰心」などの理由で訪れるという。おおまかに世代論を当てはめると、ノスタルジーは中年以上の農民・農村出身者、精神的啓発は学生・インテリ・公務員、著名観光地は若者であるとの見方があり、ほぼ同意できるが、2005年に上海で行われた調査によると、誰がレッド・ツーリズムに興味を持つかがより具体的になる。
 年齢層では40歳台、学歴では小中学校卒と大学以上卒、家庭収入では年収80,000元以上の高所得者層で、他の階層に比べてレッド・ツーリズムに関心を持つという結果が出ている。すなわち、60年代生まれの高学歴、高所得者層のプレ一人っ子世代であり、彼らは2005年の反日デモの中心だった「噴青」(怒れる若者)世代と違った紅色志向を持つことが予想される。
 いずれにせよ、毛沢東への崇拝は、あたかも海外華人の関帝(関羽)信仰を思わせるほど幅広く、神像礼拝や祈願成就の暁にはお礼参りさえ存在する。愛国主義教育の成果の一つと言わざるを得ないが、レッド・ツーリズムは毛を頂点とする中国共産党の正当性を確認し、かつ現代の党が失ったものを再発見する機会ともなる。1920−30年代のまだ若く美しかった中国共産党を指向する政府と民衆双方の合致の意味はそこにある。と同時にレッド・ツーリズム体験は、内陸部の現状を沿海部の「都会人」が垣間見、中国の国土の広大さ、問題の根深さを再認識し、中国全体への理解を促す機会ともなるだろう。
 2004年初め、中華人民共和国建国55周年・長征70周年の年に河南省鄭州市で開催された全国旅遊(観光)工作会議において、紅色旅遊(レッド・ツーリズム) についての「鄭州宣言」が採択される。正式名称は七省市発展紅色旅遊鄭州宣言で、七省市には江西、北京、上海、河北、福建、広東、山西が含まれる。
 同年12月、中国共産党中央弁公庁と国務院弁公庁が「紅色旅遊発展企劃綱要」を発表する。「綱要」によると、レッド・ツーリズムの目的は愛国主義と革命伝統を広く教育し、民族精神を発揚、育成、民族の団結力を強化して革命老区の経済と社会を協調、発展させることである。革命老区とは1920〜40年代に かけて中国共産党が建設した革命根拠地で、辺鄙で人目につきにくい農村であり今も経済、交通面で遅れが見られる湖南、湖北、江西、安徽、河南、四川、陝西、河北、山西などの地域を指す。
 レッド・ツーリズムとは、主に中国共産党指導者と庶民の革命期・戦時期の功績にまつわる場所や事物を通じ、革命史・革命遺産と革命精神を観光資源として 組織的に旅行者を受け入れ、それらを偲ぶ旅をテーマとする観光を言う。こうした観光は愛国主義教育、歴史文化遺産の保護、革命老区の経済発展および新たな観光開発に役立つという。
 レッド・ツーリズムの六つの目標は、観光客の増加(具体的には「綱要」前期の2004年から2007年までは15%程度、後期の2008年から2010年までは18%程度が目標数値)、12の「重点紅色旅遊区」の形成、30のモデルコースの定着、100大紅色観光地の建設と革命歴史遺産の整備・保護および革命老区の経済発展である。
 12の「重点紅色旅遊区」とは、上海を中心とする滬浙紅色旅遊区、韶山・井岡山・瑞金などの湘カンミン紅色旅遊区、百色地区中心の左右江紅色旅遊区、遵義中心の黔北黔西紅色旅遊区、ティエン北・川西などの雪山草地紅色旅遊区、延安中心の陝甘寧紅色旅遊区、松花江・鴨緑江流域・長白山などの東北紅色旅遊 区、皖南・蘇北・魯西南などの魯蘇皖紅色旅遊区、鄂豫皖交界地域中心の大別山紅色旅遊区、山西・河北などの太行紅色旅遊区、渝中・川東北などの川陝渝紅色 旅遊区、北京・天津などの京津冀紅色旅遊区。
 30のモデルコースとは、北京−遵化−楽亭−天津、貴陽−凱里−鎮遠−黎平−通道−桂林、昆明−会理−攀枝花−冕寧−西昌、蘭州−定西−会寧−静寧−六 盤山−銀川、西安−洛川−延安−子長−楡林−綏徳、黄山−ウ源−上饒−弋陽−武夷山、哈爾濱−阿城−尚志−海林−牡丹江、海口−文昌−瓊海−五指山など。
 具体的には、1921年の中国共産党設立当時、土地革命戦争期(1927−37)、長征期(1934−36)、日中戦争期(1937−45)、国共内戦 期(1945−49)、愛国統一戦線(1949−)それぞれの時代の歴史や、古参党員・戦没者などの革命烈士についての事跡が観光対象となる。
 「綱要」が発表された2004年末以降、ガイドブックを中心に中国旅遊出版社、現代出版社などから50冊以上の関連書籍が出版され、その中ではおおむね前述した12の「重点紅色旅遊区」に沿って革命聖地が紹介されている。
 カラフル・ツーリズムの筆頭に2004年以降の国策レッド・ツーリズム(紅色旅遊)を紹介したが、この「赤」に象徴された観光は中国革命の聖地を巡る旅である。その最大の目的地の一つに陝西省北部の延安がある。この黄土高原に位置する地方都市は「長征」のゴールとして知られている。長征とは1934年から1936年にかけ、江西から華北まで1万2500キロメートルに及ぶ中国工農紅軍第一方面軍の行軍を指し、そのルートをたどることが紅色旅遊の原型であり神話ともなった。
 中華ソビエト共和国の首都瑞金は1934年10月、国民党軍によって陥落し、紅軍8万6000人は江西から西へ退却した。1年後の1936年10月、11の省を通り陝西省へ達したときは生存者1万人足らずだったという。この間、途上の遵義会議(1935年1月)で毛沢東は指導権を確立し、延安に根拠地を建設する。長征は大逃避行から新中国の建国神話となり、想像の共同体の出発点となった。
 1950、60年代には、1949年の新中国建国前後生まれの「間に合わなかった」若者たちが革命伝統の継承を体感するため、主に徒歩で肉体的試練を伴う旅として長征ツアーを行った。中国国務院は1961年に中国文化部作成の「全国重点文物保護単位リスト」の公開を、文化財保護の嚆矢として行うが、その筆頭は革命史跡と革命記念館(33/180カ 所)だった。1966年以後の文化大革命では紅衛兵の目的地として、延安への個人旅行、団体旅行がしばしば行われ、後者は大串連運動と呼ばれた。
 文革後の1976年以降、1980年代には紅衛兵張りの移動こそなくなったが、同種の「愛国主義教育」として、小中学生向けに烈士陵園や革命根拠地の集団見学が行われていた。1990年代に入って経済発展に伴う社会変化が本格化しても、新中国の源泉へさかのぼり、革命の記憶に思いをはせ、紅軍と共産党の 指導の導きの光を再現することの意味は相変わらずで、延安行は「観光」の起源の一形態である「聖地巡礼」にも準えられる。
 すでに文革直後から巴金ら革命第一世代による10年動乱の牛小屋経験が公けにされていたが、90年代半ばから紅衛兵世代とインテリの下放(上山下郷運動)回顧が出始め、第五世代監督による下放映画も見られるようになる。
 今ではすっかり定着した感のある現代中国ノスタルジーの一形態「老照片」(古い写真)が、隔月誌として出版され始めたのは1997年だが(山東画報出版社)、90年代半ばの紅色ノスタルジー熱は、後のレッド・ツーリズムにつながる民衆の趣味嗜好を明示していた。元々韶山や延安など毛沢東縁の地のみやげ物だった毛沢東バッチや文革期のポスターなどのツーリストアートは、時間の経過によって案の定、文化的な価値が上昇し、香港を含む国内外の都市で高騰していった。北京では湖南田舎料理を売り物にした店が「毛家菜館」と称して軒を連ね、首都のタクシーは交通安全のお守りとして毛沢東の写真をバックミラーにぶら下げた。社会主義リアリズムの伝統を拒否した第五世代映画監督のニュー・ウェーブに対し、「紅色古典」として革命京劇などのVCDが、テクノロジーの革新と相まって手軽に視聴できるようになっていた。
 その後中国共産党中央宣伝部は計36カ所の愛国教育基地を指定(1997年・2001年)し、2004年には全国旅遊工作会議で紅色旅遊についての「鄭州宣言」が採択され、革命老区の観光開発による経済発展が始まる。

ついったー

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このブログの右カラムにAPIが仕込んであって自分の書き込みだけ表示されているが、ゼミ生を主なフォロワーとして、ついったーをはじめている。当初はメーリスをチャットのように使う学生がいて、独り言の発言欲求を発見したことや、ゼミブログへの書き込みが進まないので、一行ブログとして使えないかと思ったからだった。自分の書き込みはブログに表示させているせいもあり、起承転結を付け、割に慎重に書いている。事後編集ができず、記事削除しかないからだ。
メールともブログともSNSとも違うことはわかるが、「使い方がよくわからない」という学生も多い。日本語版には反映していない機能も多いようで、検索や流行のトピックなどは事実上ローカライズされていない。ミクシと違って携帯から新規登録できないことも、日本で登録者が急増しない理由かもしれない。登録してしまえばm.twitterやMovatterなど対応サービスはあるのだが。
お互いフォローし合っている人の書き込みが反映されるというのは、 SNS、たとえばミクシのマイミクに近い、信頼への期待があるコミュニティと考えてよいだろう。ブロックもでき、そもそもフォローしていない相手の投稿は自分のページに現れないが、相手のページのRSSフィードが取得できれば、フォロワーも含め、相手のコミュニティの書き込みをすべて読むことはできてしまう。
ついったー関連の書き込みでは「Twitterを楽しむ10の方法(初心者ver)」というのがわかりやすかった。返信プレッシャーがかかるネットのコミュニケーションを「メンドクサケーション」と切って捨てているが、メールのやりとりでもどこで返信をやめていいかわからなくなることがあるし、ミクシの足あとは気になるが確かに反応を強制されるなら面倒くさいかも。ちょっと公園デビューのプレッシャーに似てる。
ついったーはFacebookを使っていたり、Skypeで使用言語を英語に設定したりする人には英語コミュニケーションの場として使えるかも。コンセプトのわかりにくさとローカライズの遅れでiモード化、ミクシ化はしないだろうが、ネットコミュニケーションのニッチツールとしてしばらくいじってみようと思う。何しろPC、携帯の他、ウインドウズモバイル、iTouch/iPhoneなどなどリーダーには事欠かない。FireFoxブラウザのプラグインのTwitterFoxは未読数まで出てきて便利。
 華人ネットワークと言われることがあるが、実際どのようなものだろう。華僑研究は華僑個人と華人団体(社団)を基本要素とするが、後者は広東、潮汕などの地縁、同姓などの血縁、校友会などの学縁が代表的だ。こうした「縁」で結ばれた社団が「ネットワーク」の実態だろうが、全球化(グローバリゼーション)の進展に伴い、多様なネットワークが存在し、機能している。
 2009年5月9日から11日にかけて広州・曁南大学で行われた華僑研究・文献収蔵機関連合会 (WCILCOS)の第4回国際会議に参加したが、これも紛れなく華人ネットの一例だろう。この国際会合は世界の華僑知識人を中心に、図書館人と華僑研究 に関わる非華人研究者が一同に介し、2000年にオハイオで第一回が開かれて以来、2003年の香港、2005年のシンガポールと回を重ね、今回初めて中国大陸で開催された。
 同種の「知」を頼りに世界を渡り歩く「サジャナー」の学会として、世界華僑研究学会(ISSCO)があるが、こちらも1992年以来六回目にしてはじめて、2007年に中国(北京大学)で開催された。このように華僑(海外華人)の僑郷(華僑の故郷、広東、福建等) を含む中国大陸との距離の取り方は実に興味深いが、2007年日本中華年に神戸で開催された第9回世界華商大会が、第3回バンコク大会で参加者が急増したのは、主に大陸からの参加者によるもので、こちらも2001年の第六回南京大会でようやく中国大陸での開催を果たしている。各ネットワークとも大陸の過剰な影響を考慮し、ある程度組織が安定してから大陸に足を踏み入れているように思われる。
 WCILCOSについて言えば、もともと戦前の日本留学組である香港の銀行家、故邵友保氏が子息の母校であるオハイオ大学へ1993年に寄付した50万ドルの基金によるオハイオ大学図書館華僑文献研 究センターが発端で、当初運営は厦門大学出身で新華僑の陳力人現コーネル大学東アジア図書館長に託されていた。
 このように老華僑と新華僑のコラボでネットワークが機能している例は他の知的ネットも同様で、その背景として改革開放以降の中国大陸からの新華僑が、留学生として欧米のアカデ ミズムを渡り歩くという人の移動があるのだろう。今回の参加者の中でも厦門、復旦大からオハイオ大、シンガポール国立大学を経て、現在イギリス・マンチェスター大学中国研究所長と孔子学院長を兼ねる劉宏の道程は、老華僑側の代表的華僑研究者であるISSCO初代会長ワン・ガンウーのインドネシア、マレーシア、オーストラリア、香港、シンガポールという道のりを彷彿とさせる。
 会場では研究者個人参加のISSCOと違って、文書館から機関参加の出席者も多く、たとえば大陸出身のイギリス新華僑が台湾の中央研究院からの参加者に声を掛け、中国大陸における学術プロジェクトを模索するなど、機 関同士の事例が見受けられた。北京より広州など南の方が仕事が進めやすいですね、などと話し合う様子は実感が籠もっていた。文革直後に40年代から60年代生まれが大学に同期入学した「老三届」で、今や中国や世界各地に散った同級生たちが、同窓会さながらに歓談している姿も見られ、主に学縁を拠り所にした 「華人ネットワーク」の具体例を実感することができた。場所が変わると参加者にも入れ替わりがあるが、次回カナダ大会も楽しみだ。
 紅色旅遊(レッド・ ツーリズム)という色を冠した中国観光をご存じだろうか?革命聖地を巡る旅をこのように呼ぶが、同様に色彩によって名付けられた観光として、農山村地域で 自然、文化、人々との交流を楽しむ「グリーン・ツーリズム」や、島や沿海部の漁村に滞在し、海辺で生活体験を楽しむ「ブルー・ツーリズム」などが知られて いる。
 どちらも「レッド・ツーリズム」同様、日中の政府主導の観光で、前者は農林水産省、後者は国土交通省が推進している。その他に も北海道の冬ならではの生活を体験する「ホワイト・ツーリズム」や、春の菜の花畑を活用した観光誘致を「イエロー・ツーリズム」と呼ぶなど、案外色彩に よって象徴された観光は存在する。
 これらをカラー・マーケティングと捉えられもしようが、戦跡など死、悲劇、暴虐にまつわる「ダーク・ツーリズム」の暗い色合いを引き合いに出すと、カラフル・ツーリズムがどのようなイメージで視角を定め、眺めるかを旅行者に強いていることがわかる。
  観光社会学においてこうした視角(Gaze)は日本語で「まなざし」、中国語で「凝視」などと訳されている。元はイギリスの社会学者ジョン・アーリによ る鍵概念だが、台湾で2007年末に中国語に訳され(国立編訳館、葉浩訳『観光客的凝視』書林)、ずっと誠品書店で平積みになっていたから、売れ筋ではあ るのだろう。アーリの種本はフランスの思想家フーコーの『臨床医学の誕生』で、湯治や海水浴の医療効果を取り上げている当たりはお里が知れる。
 様々なカラフル・ツーリズムは総合旅行社、航空会社、国際ホテルチェーンなどが仕掛ける従来型の大人数向け「マス・ツーリズム」との対照で「ニッチ・ ツーリズム」と捉えることも可能だろう。こうしたアクティブな旅行者は体験型を嗜好するのだ。色眼鏡ということばがあるが、カラフル・ツーリズムは観光地 がそれとして印象を与えるのでなく、観光客が先入観によって印象を引き出していることを教えてくれる。
 青色照明効果を引き合いに出 し、認知心理学の「スキーマ」(図式)と言えばよりはっきりするだろうか。私の周りの大学生で、色彩検定に興味を持つ人が世界遺産検定と同じくらい居るこ とを考えると、あらゆるモノには「色」があるということを、思ったより多くの人が認識しているのかもしれない。

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