2006年9月アーカイブ

好きを仕事にする

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観光演習2,3年の後期初回はいきなりゲストスピーカ。旧知の作家、島村麻里さんにおいでいただいた。以下はそのときの私的メモ。お話しの順のまま、特に整理はしていない。随所に決まるフレーズがあるのはさすが。

-自称「交流系」
--名勝旧跡より人付き合い
--同類は引き合う
-交流の形態
--自分と現地のひと
--観光客同士
-再会命
-観光地は素通り
-家に転がり込みたい
-住まいに興味
-人の荷物の中を見るのも好き
--のぞき見?
-人がご馳走
-人間観察
-ミーハー
--好奇心旺盛という意味で私舛谷もミーハーを自負している
-香港、タイからマレーシアへ
-マレーシアは多民族国家
-ボルネオ島―東マレーシア—サラワクークチン
-マレー半島と東マレーシアは民族構成が異なる
-思い描いていたイメージ(ステレオタイプ)との差異
-多民族国家では誰もが外国人と思われない
-クチンはいわゆる観光化されていない場所だった
-行きっぱなしでなく、復習、事後確認をしてしまう
-多文化共生社会
--多文化主義
--マルチカルチャリズム
-知りたいという気持ち〜好奇心
-自分の好きなことを深める
-華人 Chinese Overseas
-自分のことばでも相手のことばでもない第三の交流語の存在
-日本—日本語—日本人という奇妙さ
-福建語、広東語、マンダリン:共通中国語、英語
-シンガポールの第一印象のわるさ
--成功したピョンヤン
--香港の情緒、シンガポールの無味乾燥
--しかし、多民族国家シンガポール
-顔かたちで国籍がわからない
-ムスリムをやめる?!
-インド人の宗教
--ヒンズー
--シーク
--ムスリム
--クリスチャン
-チャイニーズの多様さ、インド系の多様さ
-食べ物が入り口
-マレーシア:マレー人6、華人3、インド系1
-一見矛盾する、個々人の意見の持つ意味を理解する
-ブミプトラ政策:マレー人優先主義
-アジアの中でも日本の言論の自由さ
--あとで録音を聞き直すと、ここは舛谷の意見で必ずしも同意されていない
-書くこと
--個人として自由に
--異文化をどのように表現するか
--誰の目線で誰が書いているのか
--アピールはまだよい
--書き手ならではの書いたものへの批評
--対象と対等に向き合っているのか
--ノスタルジアの危険性
--ステレオタイプにあてはめ、自分の見たいものだけ見る
--例:ハワイ出身力士?
---サモア移民武蔵丸、サモア二世小錦、ハワイ人曙
-国籍と市民権
-アイデンティティの拠り所
-自分は何者か
-日本の特殊性
--日本は日本人とそれ以外
--地上の国境がない日本
--海を越えるから海外旅行?
-人との交流、人と語る
-人の移動と文化変容
--移動の様々
-ABCD(American Born Confused Desi):East Indian Americansのこと http://en.wikipedia.org/wiki/American_Born_Confused_Desi
-2007年度前期 全カリ総合B 担当予定
--アジア中の女性がはまる「ロマンティックウイルス」について
--同内容で出版予定あり
*質疑
-日本で交流するとき、どこに連れて行ったらよいか
--接待の作法
--希望を聞く
--選択肢を出して選ばせる
-交流系に危険は?
--日本語で話しかけられたら赤信号、英語で話しかけられたら黄信号
--ゲストの掟
--ホストの掟

愛しのドリアン

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 一時帰国者の増える夏休み頃、道ばたでパラソルを見ると心躍る。フルーツ屋台は数あれど、お目当てはもちろんドリアン。容器持参で中身だけ持ち帰り、家族四人の夕食はドリアン。最近はローカルでも、コレステロールがなどと避ける向きもあるが、こと外国人にとってこの強烈なシロモノは、食文化への理解度、順応性を示す格好の指標となる。ちなみに我がゼミはドリアン食いが参加の条件である。納豆に顔をしかめる知日派をどう思うか、と問いたい。
 ドリ・アン(とげっ子)というマレー語が示す通り、マレー半島、スマトラ島が原産だが、国際流通するドリアンはタイ産が圧倒的だ。タイ東部ものの旬は5、6月とマレーシアより早めで、品種改良が進みともかく甘い。ペナンでタイ人とドリアンを囲んでいたときのこと。外れだと言うので味見すると、わずかな苦みを含む見事な味。甘い一辺倒に慣れた口には合わないらしい。私のベスト3は、カンボジア・カンポットの赤か黄の印付きドリアン、インドネシアが誇るメダンドリアン、そして1月のクチン市場のドリアンだ。どれも甘さの中にわずかな苦みを伴う逸品だった。
 クチンのは小振りなカンポンドリアンで、あまりに美味しかったので、友人の車の後部座席に十数個積み込み、庭先でぽんぽん割って食べ続けた。十個(房でなく)食べ切ったところでさすがにお腹がぱんぱんになり、母堂が洗面器で持ってきてくれた濃い塩水をゆっくり飲み、命拾いした。
 シンガポールの巨大ドリアン(エスプラネード)はもちろん、地名のカンポン・ドリアン、アミル・ムハマドの映画『ビッグ・ドリアン』などドリアンものにはつい目が行く。ドドル(餅米の一口羊羹)はドリアン味を選ぶし、マラッカ特産タン・キムホック博士のお店では干しドリアン、スプテの日本人会のスーパーのフルーツジャムは、人気のマンゴーやマンゴスチンを除けてドリアンジャムを取る。練りドリアンも嫌いではない。ドリアンシーズンに見かけるドリアンケーキ、パフ、パンケーキなどの洋菓子や、マンゴープリンならぬドリアンプリンも捨てがたい。
 ジャカルタのチャイナタウンでは、華語断絶の32年間を含め、「新合発」と刻印されたドリアン味の月餅が売り続けられていた。ラードを使わず白い粉が吹くハラル月餅は、厳しい排華の時代、ドリアンゆえ許されたのだろうか。
 学名は「強い香り」だそうだが、はじめて食べた香港で、ホテルに持ち込んでひどいことになった。ロビーは大丈夫だったが、エレベータが開くともう臭いがした。上階に行くにつれきつくなり、私のフロアには鼻を手で覆う人がいた。部屋に近づくと更に臭いが強くなり、入るなりあわてて腹に収めた。近所のデサスリハタマスの歯医者はなぜか冷凍ドリアンを売っていて、オフシーズンには有り難かったが、凍らせるとほとんど臭わないことを知った。日本への持ち帰りも可能だろう。しかし日本マレーシア自由貿易協定の発効で、マレーシアドリアンの日本上陸も近いと信じよう。
durian.jpg

 ホテルという場は、私たちが個人レベルでさまざまな交流の拠点として利用するのみならず、そこは一国の威信がかけられた国際関係の檜舞台として、国家レベルでの交流においても重要な役割を果たしている。各国の代表的なホテルの成り立ちやロビーに掲げられたVIPの写真などからは、国際政治や国際関係の動きが見えてくる。
 EUモデルが一応の成功を収めて以降、アジアでも様々な地域協力の試みが行われて来た。たとえばASEAN(東南アジア諸国連合)は当初反共連合として出発したが、今では社会主義国であるベトナムやラオスを加え、ASEAN10として地域の安定と国際社会での地位向上を図っている。APEC(アジア太平洋経済協力)のように経済協力に特化した会合や、世界華商大会のように特定のエスニシティによる国際会議もある。

国際会議の場として
 こうした地域協力体は首脳会議や実務者会合など、定期的な国際会議を伴うのが常だ。開催地となるホスト国にとって、会議の成果や多くの国賓をもてなすことはもちろん、国際的に自国に関心を集めるチャンスでもある。各国首脳、大臣や随行員、マスコミなど、厖大な人員を受け入れる一大イベントの舞台となるのは、たいていの場合ホテルである。
 たとえば、2005年に韓国で行われたAPECの場合、11月に最後の首脳会議がヌリマルAPECハウス(釜山)で行われるまで、前年12月の慶州コンコードホテルでの財務関係実務者会合を皮切りに、ソウル、仁川、大田、大邱、光州、横城など、韓国全土のホテルで1年に渡って様々な会合が開催された。そのうち、2005年9月にはAPEC財務大臣会合が済州島で行われたが、会議場として選ばれたのはオークラホテルズ&リゾーツの一つである済州新羅ホテルだった。このホテルは1996年の米韓首脳会談の際、クリントン大統領(当時)がスピーチした場所でもある。こうしたVIPの来訪はその後の会議誘致において連鎖を生むものらしい。
 VIP連鎖で象徴的なのは首脳の写真撮影だろう。サミット(主要国首脳会議)で恒例となった首脳の集合写真は他の国際会議でも付きものだが、スピーチデスクのロゴばかりでなく、世界中のメディアに露出する写真、映像で、背景としてホテルの存在をさりげなく示すことは非常に重要だ。

MICEツーリズム
 民間の取り組みばかりでなく、国策としてMICE(meetings, incentives, conventions and exhibitions)ツーリズムを掲げ、会議、展示会を積極的に誘致しているケースも少なくない。アジア域内で、シンガポールとともにMICEツーリズムに熱心な国の一つとしてブルネイがあるが、ホテルをはじめとする関連施設が完成したきっかけはやはり国際会議だった。
 2000年、アセアンの最小国ブルネイはAPEC年次会合のホスト国となった。首脳会議、閣僚会議の他、財務大臣会合と中小企業大臣会合が首都バンダル・スリブガワンで開催されたが、その際、最古の王国を自負するブルネイ国が威信をかけて建設した会議・宿泊施設がエンパイアホテル(The Empire Hotel and Country Club)および国際コンベンションセンター(ICC)であった。
 1994年から7年越しで、APEC開催の前の月にようやくオープンしたエンパイアホテルは、南シナ海を望む「六つ星」リゾートホテルである。広大な敷地内にはジャック・ニクラウス設計のゴルフ場やスポーツクラブ、劇場なども完備しており、各施設間の移動はカートで行なう。豪華な客室はもちろん、ゴルフやスポーツクラブ、スパなどがそれぞれ独立したアトラクションとして楽しめる。現在、日本からは直行便がなく、渡航地として一般に馴染みの薄いブルネイだが、金曜日が休日であるなど、アジアで最も敬虔なイスラム国として、特に米同時多発テロ(9・11事件)以降、西欧諸国への観光旅行が難しくなったアラブ諸国からのイスラム教徒観光客を引きつけている。

過去の栄光と未来への契機
 このようにアジアの五つ星ホテルの中には、様々な国際会議受け入れを契機に建設されたり、改装されたものが少なくない。大理石張りなど豪華で大作りなロビーの一隅に、国際会議をはじめとした国賓来訪の写真を掲げているホテルもある。
 しかし、立地や他のホテルとの競争で開設当時の高級路線を維持しきれず、メンテナンスも行き届かなり、そうした写真が過去の栄光に堕ちてしまう例もある。たとえばマレーシアのPlace of the Golden Horsesは首都クアラルンプール北郊のMINES Resort City内のホテルの一つだが、1997年、第2回ASEAN首脳会合、1999年にはゴルフワールドカップ開幕式が行われ、タイガー・ウッズが訪れたことなどを謳っているが、2005年現在、調度や備品の痛みが激しく、大規模なメンテナンスの必要性を痛感する。ここでも、契機になるのはやはり国際会議かもしれない。

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