2006年5月アーカイブ

質問の答え

| コメント(1) | トラックバック(0)

土曜午前に方法論演習を担当。オムニバスで一回限り。帰国前に題目まで決まっていたので、相当盛りだくさんになってしまった。マレーシアでも戦争の記憶が歴史問題として残り続けていることを紹介。日本マレーシア研究会クアラルンプール地区研究会で話した内容を含む。湾岸やイラク戦争に比べ、遠い記憶になっている「さきの大戦」の話しなので、前史や経緯を補足。受講者は年齢、国籍も様々で、できれば議論もしたかったが、とてもそんな時間はなかった。観光産業や文化交流にとって大きな問題なので、観光研究科在籍者には、避けて通らず意識してほしいと思った。年上の受講者から、案の定私自身のスタンスを聞かれた。「どこでだれと何語で話すときでも、同じことを言いたい」と答えたが、うまく伝わったかわからない。中国やマレーシア、シンガポールで、特に中国語で話し合う内容と、日本人と日本語で話す内容が同じにできるということは、それぞれが納得できる内容になっているということ。実はものすごく難しいことで、これができれば問題解決の糸口がつかめるかもしれないのです。

ナイロビの蜂

| コメント(0) | トラックバック(0)

フェルナンド・メイレレス監督、2005年イギリス、128分
原題"The Constant Gardener"は意訳すれば「趣味の園芸」か。原作のジョン・ル・カレは、元イギリス外交官で1961年にデビューし、三作目『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)の成功で翌1964年官職を辞し、小説家専業になった。日本で言えば起訴休職外務事務官、佐藤優氏が小説を書いたら、といったところか。
私はあくまでフィクションとして楽しんだ。しかし、WFP(国連世界食糧計画)後援のクレジットがあり、テッサ役のレイチェル・ワイズはWFPの公共広告に出演し、活動に協力したという。限りなく実話に近いと捉える向きも多いと思う。しかしル・カレ原作です。『寒い国から』にこんな一節がある。
「バルザックは死の床にあって、かれが創造した人物の健康状態を心配した」
ノンフィクションに見えることこそ、このフィクションの成功なのだろう。人物類型としてテッサ(活動家)とジャスティン(英外交官)に注目。

世代論

| コメント(0) | トラックバック(0)

世代論と言えば、団塊の世代(47-49年生まれ)が定年を迎える07年問題が注目されているが、十年毎の五十年代生まれ、六十年代生まれといった固まりが気になっている。私が感心する論文、コンセプトが三十年代生まれの著者に集中していたのがきっかけだが、生まれ年によってそれぞれの世代が、共通の動かし難い時代感覚を獲得する雰囲気、できごとがあるのではないか。団塊の世代は団塊ジュニア(71-74年生まれ)を文字通り産み出したが、80年生まれの中国人留学生からこんなことを聞いた。
ーー自分の親は文革世代で下放も経験している。お前の頃にはモンゴルに行ってこうしていたなどと聞かされる。それで自分も外に出ることにした。
一般に中国の一人っ子世代は評価が低いが、文革世代で大動乱を経験した世代の子供たちと考えるとちょっとイメージが変わった。そう言えば、三十年代生まれは私の親の世代だった。

 モントキアラからダマンサラに抜け、クアラルンプールGCCまで来ると、道の向かいにも緑があり、こっちもゴルフ場かと早合点する。信号渋滞で路肩の椰子をながめていると、はらはらと木の葉が落ちてくる。排ガスのせいかと樹上に目をやると、猿たちが椰子の実をむしろうとしている。木の下には子猿も集まって来た。ここはマラヤ大キャンパスの西縁に当たる。クアラルンプール市内南西、3キロ平方に及ぶ校地はバンサの隣だ。テレコムビルの麓の緑はすべてキャンパス。
 私の研究室は芸術社会科学部の青屋根の三階だが、外廊下の横の木は猿たちの遊び場で、ドアを開けたとき目が合って困る。南郊外のプトラ大は元農大で緑が多く牧場さえあるが、猿はマラヤ大でしょうと言われた。学生が入寮して最初に注意されるのは、窓の鍵を閉め忘れないこと。猿が乱入して部屋を荒らされる。リゾートのバンガローの注意事項と同じだ。
 猿くらいで驚いてはいけない。学内にリンバ・イルム(智慧の森)という植物園があり、毎月第一土曜朝にガイドツアーがあるほどのジャングルだ。ここをねぐらに鳥も様々だが、飛ぶのは鳥ばかりでなく、リスが階段を駆け上がって向かいの木に飛びつく。モモンガではあるいまいし、初めは目を疑ったが最近慣れてしまった。
 キャンパスの中央には湖があり、ボート漕ぎが楽しめる。卒業式シーズンには全国から訪れる卒業生父兄のために移動遊園地が開かれるくらいだから、ボートくらい当り前かも。公園だか何だかわからなくなる。各学部、寮にはそれぞれ食堂があり、ほとんどが屋外だが、私のお気に入りはゲストハウス隣の基礎科学部の食堂。密集した竹薮をながめながらのランチは落ち着く。客が立ち去ると片付けより先に雀が群がる。カレーを食べて大丈夫なのだろうか。
 LRT駅までの学バスがエンコして、水辺の道を歩いていたときのこと。目の端に四つ足の動物が映った。野良犬はちょっと嫌だと思いつつ歩を進めたが、動物は長くてなかなか視界から消えない。はっとしてよく見ると全長1メートル以上の大トカゲ。爬虫類特有の怒り肩で悠然とからだをくねらせている。さすがにびっくりして凝視したが、湖の護岸の横穴に戻って行った。我に返ると立ち止まっているのは私だけだった。

立教チャペル

| コメント(0) | トラックバック(0)

060507_1325~001.jpg
池袋キャンパスのチャペル(立教学院諸聖徒礼拝堂)へ行く。ゼミ一期生の結婚式。
ここで式をあげるのはなかなかたいへん。校友、教職員なら即オッケーというわけではない。結婚準備のページによると、最低六回は二人で足を運ばなければならない。でも、それだけのことはあったようで、少しもそらぞらしさはなく、素直に泣ける環境。パイプオルガンも聖歌も生演奏で、今日は特に声が通ると思ったら、新婦の友人のオペラ歌手だった。写真は正面だが、出ようとして後ろを向くと二階席を発見。こちらにもステンドグラスと、イエス誕生の絵が飾ってある。式後の披露宴は第一食堂。乾杯の音頭なのに、気合いを入れ過ぎて長々とあいさつしてしまった。
いずれも1918年建築の都選定歴史的建造物。立教では他に本館、図書館旧館が指定されている。簡単に高層化できないのは、苦しいところでもある。同時期に寄宿舎として建てられた2、3号館も選定されているかと思いきや、今年3月のリストではなぜか外れていた。

マレーシアに限らず華人文学の主要媒体は華字紙の文芸欄である。日本だと日曜版など、別刷りになっていることがあるが、「文芸副刊」と呼ばれるそれは、さながら新聞の付録の雑誌だ。星洲日報の日曜版「星洲広場」の中の「文芸春秋」、南洋商報で火曜と土曜に付される「南洋文芸」が主な文芸副刊で、東方日報の「東方文芸」(当初火曜、現日曜)を加えてもよいだろう。「後浪」は星洲日報木曜版で2005年からはじまった新しい文芸副刊だが、既存の執筆者でなく八字輩(80年代生まれ)以降の作品を掲載している。編集も投稿もたぶん読者も同世代だが、従来の学生向けの作文ページと違い、文芸としてのレベルを維持していることは特筆される。いずれは「文芸春秋」に投稿するような人材を輩出しつつある。「浪来了」は2006年以降の「後浪」作品を掲載したブログ形式のウェブだ。デザインも含め、編集担当の孫松清の手腕には感心する。URLの通り正にニューウェーブで、シンガポール90年代の文芸誌「后来」を彷彿とさせる。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.26

このアーカイブについて

このページには、2006年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年4月です。

次のアーカイブは2006年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。