質問の答え

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土曜午前に方法論演習を担当。オムニバスで一回限り。帰国前に題目まで決まっていたので、相当盛りだくさんになってしまった。マレーシアでも戦争の記憶が歴史問題として残り続けていることを紹介。日本マレーシア研究会クアラルンプール地区研究会で話した内容を含む。湾岸やイラク戦争に比べ、遠い記憶になっている「さきの大戦」の話しなので、前史や経緯を補足。受講者は年齢、国籍も様々で、できれば議論もしたかったが、とてもそんな時間はなかった。観光産業や文化交流にとって大きな問題なので、観光研究科在籍者には、避けて通らず意識してほしいと思った。年上の受講者から、案の定私自身のスタンスを聞かれた。「どこでだれと何語で話すときでも、同じことを言いたい」と答えたが、うまく伝わったかわからない。中国やマレーシア、シンガポールで、特に中国語で話し合う内容と、日本人と日本語で話す内容が同じにできるということは、それぞれが納得できる内容になっているということ。実はものすごく難しいことで、これができれば問題解決の糸口がつかめるかもしれないのです。

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コメント(1)

先生、こんばんは☆いつも覗くだけでした。初コメントです。
先生の「どこでだれと何語で話すときでも、同じことを言いたい」という言葉ににグッときてしまいました。先生がおっしゃる通り「全ての人が納得できる話」はすごく難しいことですよね。
でもみんながそう心がけたら本当に世界は変わると思います。
マスコミとか

竹島問題で韓国で日の丸が燃やされている映像がテレビで流されている時、韓国に旅行に行きましたが、韓国の学生もおばちゃんも本当に温かかったです。私はそういう個人と個人の関係が国と国になっても実現できればいいのにと思います。家に帰って韓国嫌いの兄とそのことで言い合いになったことを思い出しました。

どうやったら言葉や文化・歴史に邪魔されず 中立な立場で話せるのでしょうか?そもそも先生の目指すものは中立ということなのでしょうか?

私も様々な視点から意見を言える人間になりたいです。そうなるためには、まだまだ知識が足りませんが。
コメントなのに長々すみません。

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このブログ記事について

このページは、舛谷鋭が2006年5月28日 22:12に書いたブログ記事です。

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