1999年5月アーカイブ

 プロ作家がほとんどいない東南アジアの文壇において、奇跡的に44年の長きに渡って刊行され続けていた華語文芸誌『蕉風』(Bulanan Chao Foon)がこの2月、488号で事実上停刊した。
 1955年に方天(張海威)の主編で登場した『蕉風』はシンガポール発行ながら、当初香港でも読まれていた。ちなみに張海威は毛沢東に追われた中国共産党の有力者、張国壽の子弟である。大陸以外の華語文壇で屈指の長編作家黄崖から、今日に至るまで経済的に支え続けた姚拓まで、主に香港経由で東南アジアに「南下」してきた華人作家たちによって編集されてきた。50年代末には発行地をマラヤに移し、華語(中国語)を非国語とする地域では最も充実したマレーシアの華語教育制度に支えられ、華語系華人の民族文学の発表の場として、主に現地華人の投稿によって成り立っていた。マレー文学やインドネシア文学など、東南アジアの他民族の文学や、台湾文学、中国現代文学の紹介の場でもあり、「現代派」と呼ばれるポスト・リアリズム作家の牙城でもあった。
『蕉風』はマラヤ大学卒業生や台湾留学組など、2世、3世華人を主な読者としており、常に新しい血を入れ続けた編集陣は、『星洲日報』などの華字紙文芸欄担当者の養成場所ともなっていた。アジア通貨危機に伴うマレーシア経済の低迷の中でも、ここ2年ほどは装丁を変更したり、中学生向けの『少年蕉風』を添付したりと健在振りを示していたが、蕉風出版基金会の設立も空しく、このほど休刊に及んだ。創刊当初から毎号1500リンギ、最近では毎号6000リンギ(約20万円)の赤字を出し続けていた公称2000部の文芸誌が生きながらえたのは、実業家としても成功した華人作家らの無償の庇護によるもので、それも積み重なる欠損には耐えかねたようだ。

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