ホテルという場は、私たちが個人レベルでさまざまな交流の拠点として利用するのみならず、そこは一国の威信がかけられた国際関係の檜舞台として、国家レベルでの交流においても重要な役割を果たしている。各国の代表的なホテルの成り立ちやロビーに掲げられたVIPの写真などからは、国際政治や国際関係の動きが見えてくる。
EUモデルが一応の成功を収めて以降、アジアでも様々な地域協力の試みが行われて来た。たとえばASEAN(東南アジア諸国連合)は当初反共連合として出発したが、今では社会主義国であるベトナムやラオスを加え、ASEAN10として地域の安定と国際社会での地位向上を図っている。APEC(アジア太平洋経済協力)のように経済協力に特化した会合や、世界華商大会のように特定のエスニシティによる国際会議もある。
国際会議の場として
こうした地域協力体は首脳会議や実務者会合など、定期的な国際会議を伴うのが常だ。開催地となるホスト国にとって、会議の成果や多くの国賓をもてなすことはもちろん、国際的に自国に関心を集めるチャンスでもある。各国首脳、大臣や随行員、マスコミなど、厖大な人員を受け入れる一大イベントの舞台となるのは、たいていの場合ホテルである。
たとえば、2005年に韓国で行われたAPECの場合、11月に最後の首脳会議がヌリマルAPECハウス(釜山)で行われるまで、前年12月の慶州コンコードホテルでの財務関係実務者会合を皮切りに、ソウル、仁川、大田、大邱、光州、横城など、韓国全土のホテルで1年に渡って様々な会合が開催された。そのうち、2005年9月にはAPEC財務大臣会合が済州島で行われたが、会議場として選ばれたのはオークラホテルズ&リゾーツの一つである済州新羅ホテルだった。このホテルは1996年の米韓首脳会談の際、クリントン大統領(当時)がスピーチした場所でもある。こうしたVIPの来訪はその後の会議誘致において連鎖を生むものらしい。
VIP連鎖で象徴的なのは首脳の写真撮影だろう。サミット(主要国首脳会議)で恒例となった首脳の集合写真は他の国際会議でも付きものだが、スピーチデスクのロゴばかりでなく、世界中のメディアに露出する写真、映像で、背景としてホテルの存在をさりげなく示すことは非常に重要だ。
MICEツーリズム
民間の取り組みばかりでなく、国策としてMICE(meetings, incentives, conventions and exhibitions)ツーリズムを掲げ、会議、展示会を積極的に誘致しているケースも少なくない。アジア域内で、シンガポールとともにMICEツーリズムに熱心な国の一つとしてブルネイがあるが、ホテルをはじめとする関連施設が完成したきっかけはやはり国際会議だった。
2000年、アセアンの最小国ブルネイはAPEC年次会合のホスト国となった。首脳会議、閣僚会議の他、財務大臣会合と中小企業大臣会合が首都バンダル・スリブガワンで開催されたが、その際、最古の王国を自負するブルネイ国が威信をかけて建設した会議・宿泊施設がエンパイアホテル(The Empire Hotel and Country Club)および国際コンベンションセンター(ICC)であった。
1994年から7年越しで、APEC開催の前の月にようやくオープンしたエンパイアホテルは、南シナ海を望む「六つ星」リゾートホテルである。広大な敷地内にはジャック・ニクラウス設計のゴルフ場やスポーツクラブ、劇場なども完備しており、各施設間の移動はカートで行なう。豪華な客室はもちろん、ゴルフやスポーツクラブ、スパなどがそれぞれ独立したアトラクションとして楽しめる。現在、日本からは直行便がなく、渡航地として一般に馴染みの薄いブルネイだが、金曜日が休日であるなど、アジアで最も敬虔なイスラム国として、特に米同時多発テロ(9・11事件)以降、西欧諸国への観光旅行が難しくなったアラブ諸国からのイスラム教徒観光客を引きつけている。
過去の栄光と未来への契機
このようにアジアの五つ星ホテルの中には、様々な国際会議受け入れを契機に建設されたり、改装されたものが少なくない。大理石張りなど豪華で大作りなロビーの一隅に、国際会議をはじめとした国賓来訪の写真を掲げているホテルもある。
しかし、立地や他のホテルとの競争で開設当時の高級路線を維持しきれず、メンテナンスも行き届かなり、そうした写真が過去の栄光に堕ちてしまう例もある。たとえばマレーシアのPlace of the Golden Horsesは首都クアラルンプール北郊のMINES Resort City内のホテルの一つだが、1997年、第2回ASEAN首脳会合、1999年にはゴルフワールドカップ開幕式が行われ、タイガー・ウッズが訪れたことなどを謳っているが、2005年現在、調度や備品の痛みが激しく、大規模なメンテナンスの必要性を痛感する。ここでも、契機になるのはやはり国際会議かもしれない。
初出:『交流文化』4、2006.7
コメントする