マレーシア首相記念館見て歩き

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 マレーシアの首相は独立以来、まだ五人しかいない。制度の元のはずのイギリス首相もうらやむ、アメリカ大統領並の集権ぶりで、それぞれ「○○の父」という別称まである。首都クアラルンプールには歴代首相の記念館がもれなくある。主に首相官邸を改造し、いずれも市内中心部西に隣接するレイクガーデン周辺にあり、この地域に要人宅が集中していることが伺われる。
 初代首相のラーマン記念館はバンクヌガラ駅からダトオン通りを上ったところにある。十九世紀末の木造建築The Residencyは「独立の父」のお気に入りで、首相官邸Seri Taman竣工後も住み続けた曰くつきの建物だ。中身は中央居室の他、政治、マスコミ、趣味関連などごった煮で、他の首相記念館と違って、官製らしからぬ野党的な展示も散見される。
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 二代首相にまつわるラザク記念館は、国立モスクからバードパークへの途中にあるが、1982年にはじめて設置された首相記念館だ。Seri Tamanは元々マレーシア最初の首相官邸だったが、1962年の副首相時代から首相在任中に亡くなるまでラザクの住居だった。ちなみに隣は警察長官宅だ。「発展の父」らしく、各種プランを立案したオペレーションルームなどがそのまま展示されており、子息のナジブ現副首相の若き日の写真も見られる。
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 2006年2月に開館したフセイン・オン記念館は、子息のヒシャムディン教育省兼UMNO青年部長がアブドラ首相、ナジブ副首相を招いて開館式典を行った報道が記憶に新しい。他の記念館ではほとんど故障中の映像ブースもまだ機能しており、「統合の父」について関係者が語るオーラルヒストリービデオは必見だ。場所はラーマン記念館への途中だが、元は首相府だった。
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 マハティールは記念館こそないが、アロースターの生家が保存されているし、プトラジャヤのヤヤサン・プルダナ内に顕彰展示がある。クアラルンプール市内では1983年から99年までの公邸Seri Perdanaが公開されている。KLセントラル駅を背に、ダマンサラ通りから小道を入った旧マハティール邸は、車でしか行きようのない場所だが、ニュースに登場していたせいか誰でも知っており、地図にも載っている。食堂や子女の個室がそのまま残されていて、他のマレーシアの豪邸も中はこんなだろうと想像できる。地下のキッチンでマハティールが料理している珍品ビデオや、カーマニア振りを示す2020ナンバーのプロトン高級車など自動車コレクションも展示されている。「開発の父」の居室からはKLタワーとKLCCがくっきり見えた。
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 これらはすべて国立公文書館の事業の一貫で、他にマラッカの独立宣言記念館やクアラルンプールとペナンのP.ラムリー記念館など、いずれも歴史的建造物の保存と資料の展示を併せて行っている。アブドラ現首相の記念館はどこに、何の父として建設されるか楽しみだ。

初出:『南国新聞』2006.8.10

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コメント(2)

一言思ったことをば。

マハティールの「○○の父」の名称は「Bapa Wawasan」で「開発の父」ではなくて「ビジョンの父」のほうがよいのではないのでしょうか。「Wawasan 2020」にちなんでいるはずなので。一方、「開発の父」は「Bapa Pembangunan」のラザクの方がよいのでは?ラザクといえば「農村開発」がはじめに思い浮かび「発展」という言葉は間違いでは無いにしても、微妙にずれる気が。。。

日本語の定訳をあまり考えずに使っていましたが、バハサから見るとおっしゃる通りですね。特にラザクの方は開発も発展もdevelopmentでしょうから、英訳から見ても問題ないでしょう。問題はDr.Mですが、日本語として「ビジョンの父」というのがわかってもらえるかですね。「構想」かな?華語だと「宏願」だから「志」ですが、難しいところですね。

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このページは、舛谷鋭が2006年8月10日 10:43に書いたブログ記事です。

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