USBメモリやSDカードなど、フラッシュメモリは価格下降が著しいが、そこから音楽が聴けるMP3プレーヤーも信じられないほど安くなっている。
サードウェーブ(PCショップドスパラ)のグループ会社エバーグリーンのネットショップ上海問屋では、MP3プレーヤー(DN-2000)が999円で買える。1GBまでのSDカードを差して使い、PCにUSB接続してSDカードリーダにもなる。iPodにやられたソニーはネットウォークマン(2万前後より)で巻き返しに必死だが、DN-2000なら二十台買える。ここまで来ると製品というより、パーツとしてアイデアを膨らませられる。大人数ヒアリングテストの使い捨て再生機や語学教材にCD代わりで同梱するなど、レンズ付きフィルムの域か。
2006年6月アーカイブ
中古ノートはThinkPadに外れが少なく、Linuxインストール、CUI実習用に購入することが多い。しかし、BIOS設定(F1押しながら始動)で三種類のパスワードがかけられ、何かの拍子に突然かかってしまったりもする。パワーオン(PAP)、ハードディスク(HDP)、スーパーバイザー(SVP)パスワードだが、USBにいろいろ指しつつ再起動を繰り返していると、PAPがかかることがあり焦る。しかしこれはメーカーページでダウンロードできる「保守マニュアル」に解除の仕方が載っている。たとえば570ではメモリの下のパスワードパッドをピンセットなどでショートさせながら起動する、x30ではAC、バッテリーとバックアップ電池を外して再起動させる、など機種によって若干手順が異なる。ここまではっきり記載してあるとは、余程困る人が多いのだろう。HDPは忘れるとハードディスク交換、SVPだとロジックボード交換まで行く。手元のx30はPAPで助かったが、570はSVPだったらしくお釈迦になった。ドッキングステーションまで買ったのに残念だった。
1992年にタプゴル(塔谷)公園と改称されたソウルの旧パゴタ公園は、韓国老人の社交場として有名である。祝祭日や記念日、土日の他、平日でもたくさんの男性老人がだべっている。
名前の由来になった仏塔(円覚寺址十層石塔)はいつの間にかガラスゲージに覆われていた。国宝第2号とは、南大門の次に指定されたということか。1897年にソウル最初の近代(西洋式)公園として建設されたが、決して韓国最初ではない。仁川駅と仁川東駅の間の丘で港を望み、頂にマッカーサー像を抱く自由公園が、仁川開港後の1888年に設けられており、こっちが先。
海外で飛び込みで華人の聞き取りをするとき、土日の会館、廟に行き、居合わせた華人老人に話を聞くことがあるが、韓国の公園はそれより年齢層が高め。これまで社会層までは判らなかったが、ソウル市大の先生に面白い話を聞いた。南山公園にも老人が集まるが、こちらはクルマがないと通えない。タブゴル公園には行きたくない、比較的富裕な層の老人が多いとのこと。実際確かめることはできなかったが、老人の憩いの場にもそうした区別があるのは初耳だった。
学生プロジェクト報告会(旧称:産関プレゼンテーション大会)のお知らせ
2006年6月21日
社会学部産業関係学科教員一同
年度当初の産関ガイダンスでも告知したとおり、下記の通り、学生プロジェクト報告会を開催します。日頃の研鑽の結果を発表し、かつ、フィードバックを受ける絶好の機会です。多数の産関学生が応募し、切磋琢磨し合う場とすることをすることを、産関教員一同大いに期待しています。
なお、本選出場チームを決定するために予選を実施します。従って、予選を通過したチームだけが本選に出場することになります。
予選
日時:7月8日(土)15:00~19:00頃(出場チーム数によって若干の変更有り)
場所:10号館の小教室 ただし、集合は8101教室
報告方法:ポスターセッション方式
報告内容を示した模造紙(四六判切:788×1091mm)を張りだし、当該模造紙を用いて回覧者に説明する。模造紙の代わりに、または模造紙と併用してPP(Power Point)をPCに映し出して説明することは可能とする。しかし、PCからプロジェクターに投影することはできない。また、A4のように小さい紙を貼り合わせて全体が模造紙の大きさとなるようにしても良い。模造紙は、手書きでも印刷でもいいが、Kinko'sなどにデジタルデータを持ち込めば綺麗に印刷できる。なお、使用できる模造紙は各チーム1枚のみとする。
出場チーム:各クラスから、最大2チームまで
従って、クラス内で3チーム以上の出場希望がある場合は、各クラス内で、予選を実施する。予選方法およびチーム編成等は、各クラスで個別に決定する。1クラスにつき1チームだけの出場もOKとする。
評価方法:教員が審査員となり、審査員の投票によって決定
審査員は、いくつかのチームに分かれて各ポスターを回覧し、各チームと簡単なディスカッションを行う。審査員は、ポスターの内容およびディスカッションについて、評価シートに従って評価する。その際に、審査員グループが1チームのブースに滞在する時間は数分程度に限られる。その短い時間内に、どう説明し質疑応答をこなすかが評価を左右するので、予行演習が効果的と思われる。
本選
日時:7月11日(火)18:10~20:15
場所:11号館AB01教室
報告方法:プレゼンテーション方式
各チームの発表時間は、準備時間も含めて12分間とする。前のチームの終了チャイムが鳴ったところから、次のチームの持ち時間12分間のカウントを始める。
出場チーム:予選を勝ち抜いたチーム
評価方法:教員が審査員となり、審査員の投票によって決定
審査員は、別紙の評価シートによる投票によって決定する。
なお、今回の学生プロジェクト報告会には、産関のチーム以外に、経営学部基礎ゼミ(1年次科目)のチームが出場します。ただし、予選では、経営学部基礎ゼミチームとは別に審査します。従って、産関のチーム同士が競い、その中から本選に出場するチームを決定します。
しかし、本選では、経営学部基礎ゼミチームと一緒に審査します。従って、学年および所属学部を問わず、本選に出場した全チームの中で順位を競うことになります。
予選出場チームのうち、何チームが本選に出場するのかは、予選出場チーム数が決定した段階で決定し、各チームに伝達します。また、予選および本選の評価の際に使用する評価シートについても、その際に、出場チームにお伝えします。
応募の詳細は以下の通りです。
応募期限:2006年7月3日(月)
応募資格:チーム内に産関の学生がいること。
応募単位:個人またはチームによる。
応募方法:応募先アドレスまで、応募の意思を伝えること。その際には、以下の項目について情報を伝えること。
1.報告テーマ
2.出場者数
3.出場者名
4.連絡先(メールアドレスおよび携帯番号)
以上
五月は華人にとって憂鬱な季節のようだ。と言っても五月病のことではない。近くは1998年のジャカルタ反華人暴動。チャイナタウン、コタのショッピングセンターが丸焼けになった。その後しばらくシンガポールやペナンに避難して来たインドネシア華人子弟で、中国語媒介校が混み合った。遠くは1969年の5月13日事件。マラヤ独立の父ラーマン(90年没)は嫌々ながら退陣し、国家理念や敏感問題が設定された。どちらも五月の出来事だ。
日本の花祭り(灌仏会)に当たるウェサックデーは、2006年は5月12日だったが、マレーシアではこの金曜日から土日にかけて連休となり、都市間の交通はずいぶん混雑したようだ。そうした最中、5月14日の華字紙朝刊の、こんな見出しが目を引いた。「37513」。南洋華語はhの発音が脱落するから、ほぼ「想起513」と読める。37年前の5月13日事件を思い出せ、民族衝突の古傷を避けていては前へ進めないぞ。そんな内容のコラムだった。この前後に複数の華字紙を注意深く繰ってみたが、他にこれに触れたものはほぼ皆無だった。
13日の夜はウェサックデーの山車が出た。およそ三万人がクアラルンプールの街を行進したという。当日の異様な交通規制をご記憶の向きもあると思う。多くの暴動は街頭行進からはじまる。37年前もラーマン通りでデモ隊が暴徒化した。その後1987年に人種間の緊張が走ったときも、すべての集会、デモは禁止され、国内治安法が発動された。ちなみに今年二月の英字紙、華字紙発行停止は、このとき以来ほぼ二十年ぶりという大事である。
華人をはじめ、多くのマレーシア人が、こうした記憶を共有しつつ、山車と人々の行進を見つめていたと思う。なお、今年の行進のテーマは「人権尊重、相互理解」だったという。
「中華街」は中国語ではない。そのままzhonghuajieと言っても通じる心配はない。「唐人街」がChina Townを指す。日本語としても「南京町」の方がむしろ古いくらいだ。私は1994年、香港での国際華人研究学会(ISSCO)で横浜中華街のパネルを聞いたとき、「中華街」が中国語として通じないのをはじめて知った。その後もそう思っている。
ソウルから電車で仁川に行った。韓国唯一のチャイナタウンを見るためだ。
チャイナタウンの西(仁川駅前)と南(韓中文化館横)の二カ所に牌楼がある。はっきり「中華街」と書いてある。いったいどういうことだろう。仁川のチャイナタウンは1884年に清国租界となった場所だ。同じ年に設置された日本租界との境界階段が今も残る。奥には孔子像。階段を降りた先、南門横には2005年に山東省蘭山区政府から送られた王羲之像もある。
日本で言えばラーメンに当たる、国民食ジャジャンミョン発祥の地でもある。チュンジャン(黒味噌)ソースのジャジャンミョンは炸醤麺とは似て非なるコリアンフードである。1905年開業の仁川チャイナタウンの「共和春」で考案され、韓国内ではこの名を冠した中華料理屋も少なくない。日本で言えば来来軒か。毎年10月にジャジャンミョン祭りが開かれ、早食い大会などがあるそうだ。写真は紫金城のジャジャンミョン、3500ウォン。
華僑もしくは中国人営業店には「華商」表示あり。
仁川中国租界は1914年に朝鮮総督府に返還され、日本時代は支那町などと呼ばれていたが、1964年に善隣洞と命名され、2003年から05年にかけて観光中華街として整備されたと説明板にあった。観光化のモデルは横浜中華街だったのではないか。やはり「中華街」は日本語、でも韓国では通じる。
2001年開港の仁川国際空港は50万平方近い巨大空港だ。今回はリムジンバスでソウル市内に出たが、2007年に空港エクスプレスが開通し、2010年には金浦空港経由で地下鉄とも接続するとのこと。設備もアクセスも北東アジアのハブにふさわしい。空港の無線LAN、特にフリースポットを探すのは趣味に近いが、今回も見つけた。
出発フロアのネットラウンジだが、利用料金は7:00-19:30がW3000/60分、19:30-7:00はW500/10分とのことだ。脇の公衆電話横の椅子に腰掛け、壁のACから電源を供給しつつ、ノートPCで無線LANのアクセスポイントを探ってみた。有料ものやパスワードが必要なものがいくつも並んだが、cip2はメール送受信はできないものの、ウェブ閲覧は大丈夫。スカイプもつながったので、たまたまオンラインだったOB学生とチャットしてみた。バリサンとは行かないが、このくらいは全く問題なかった。
疋田智、岩波アクティブ新書、2002
著者言うところの自転車ツーキニストとなって、早2ヶ月が経つ。著者の関連書籍はアマゾンで12件、絶版品切れ本を含まないBooks.or.jpでも8冊ある。現在ウェブ「自転車通勤で行こう」の更新は稀で、メールマガジンに移行したようだが、著者監修の「ツーキニスト」タイヤ(パナレーサー)は健在。本書の中でも単位重量あたりのエネルギー消費が馬よりジェット機より少ない、自転車首都高があれば平均時速25-30km/hで、都心環状線の日中平均20km/hを上回るなど、説得力のある事例が並ぶ。1978年の道路交通法改正で軽車両である自転車が歩道を走行する異様な事態が開始、100万都市(アムス、コペンハーゲン、ストックホルム、京都、名古屋等々)と自転車の親和性など、思わず膝を打つ。停止時は右脚で身体を支えるとひかれにくいとか、クルマはヘルメットを被った自転車乗りには気をつかうとか、事故に遭わないためのアドバイスは貴重。それにしても通勤時に気になるのは、本書でも取り上げられている夜間無灯火、左側通行無視、路駐車両など。終章にはアジア諸国(タイ、韓国、中国)の都市の自転車事情を含むが、成金趣味に自転車は合わないという指摘は、悔しいながら図星か。クアラルンプールでときたま自転車に乗ったが、大通りばかりで車線変更できなくて困った。交差点では曲がれず真っ直ぐ行くしかない。しかし趣味として自転車に乗っている人は大勢いた。ベンツに自転車を乗せてクラブランに来ていたドクターや弁護士達だが、これが通勤にまでつながるか?