五月の憂鬱

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 五月は華人にとって憂鬱な季節のようだ。と言っても五月病のことではない。近くは1998年のジャカルタ反華人暴動。チャイナタウン、コタのショッピングセンターが丸焼けになった。その後しばらくシンガポールやペナンに避難して来たインドネシア華人子弟で、中国語媒介校が混み合った。遠くは1969年の5月13日事件。マラヤ独立の父ラーマン(90年没)は嫌々ながら退陣し、国家理念や敏感問題が設定された。どちらも五月の出来事だ。
 日本の花祭り(灌仏会)に当たるウェサックデーは、2006年は5月12日だったが、マレーシアではこの金曜日から土日にかけて連休となり、都市間の交通はずいぶん混雑したようだ。そうした最中、5月14日の華字紙朝刊の、こんな見出しが目を引いた。「37513」。南洋華語はhの発音が脱落するから、ほぼ「想起513」と読める。37年前の5月13日事件を思い出せ、民族衝突の古傷を避けていては前へ進めないぞ。そんな内容のコラムだった。この前後に複数の華字紙を注意深く繰ってみたが、他にこれに触れたものはほぼ皆無だった。
 13日の夜はウェサックデーの山車が出た。およそ三万人がクアラルンプールの街を行進したという。当日の異様な交通規制をご記憶の向きもあると思う。多くの暴動は街頭行進からはじまる。37年前もラーマン通りでデモ隊が暴徒化した。その後1987年に人種間の緊張が走ったときも、すべての集会、デモは禁止され、国内治安法が発動された。ちなみに今年二月の英字紙、華字紙発行停止は、このとき以来ほぼ二十年ぶりという大事である。
 華人をはじめ、多くのマレーシア人が、こうした記憶を共有しつつ、山車と人々の行進を見つめていたと思う。なお、今年の行進のテーマは「人権尊重、相互理解」だったという。

初出:『南国新聞』2006.6.1

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このページは、舛谷鋭が2006年6月19日 11:33に書いたブログ記事です。

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