「ロマンチックウイルス」とは、韓流にはまった中高年女性のミーハー現象を解読する島村麻里氏のキータームだが、同名新書(集英社、2007)によると、お仲間とつるんで遊びに出るのは、女性が一人で居ることがきわめて不都合で、男女カップルでの行動が奨励される社会では難しく、そうした意味で日本は女性のお出かけ天国であるらしい。婦人会というのはどこでもあるものと思っていたが、日本版はちょっと感じが違うのかもしれない。
マレーシアの大学は八月が授業期間真っ盛りだったり、日本とは大きく異なるが、中学までの現地校とも微妙に休みの時期が違い、マラヤ大の同僚たちは家族で遠出できないとぼやいていた。日本人学校は日本の学期で動くから、マレーシアのどこの学校とも重ならない。ということで、私は子供の学校の行事に結構参加できた。スターバックスから講師を呼んで開くコーヒー教室というのがあって、コーヒー党の伴侶に連れて行かれたが、見事にお母さんしかいなかった。恥ずかし気もなく最後まで居たら、男性一人でえらいですねと参加者の華人女性に声をかけられた。内容自体は非常に面白く、マレーシアには高地栽培のアラビカ豆がほとんどなく、現地で一般的な低地のロバスタ豆は使えないが、いつかマレーシア産コーヒーをスタバで出したいと語るスタッフの言に胸を熱くした。
うちのコンドでも人の移動の多い12月、3月頃は送別イベントがいろいろあり、日系旅行社から独立した個人に頼むなど、コストも内容も細部まで行き届いていた。客家擂茶を食し、ピューター工場で制作体験するバスツアーなど、全員女性なので遠慮したが、本当に行きたかった。旧正月のオープンハウスと聞いて出かけてみたら、母の会で気まずい思いをしたこともあった。
このままでは行けないと思い、質量ともに優勢な母の会に対抗し「父の会」を企画せねばと思うようになった。ちょうど上の子の担任のN先生が同じところに住まっており、たまにはお父さんたちで飲みましょう、いいですね、などとことばを交わしていたのをよいことに、本帰国するN先生を囲み、父の会を開催することにした。しかし、業務と帰国準備が重なる多忙な三月のこと、N先生の予定が押さえられたのは一夜数時間のみ。バスツアーとは行かない。場所をモントキアラの江戸一レストランと決め、付近在住の子供の同級生の家に電話をかけまくった。母の会の手配をするようなお母さんは電話で用件を聞いてすぐ察し、ご苦労様ですと声をかけてくれるのだが、肝心のお父さんに代わってもらうと非常に話しが通じにくい。ほとんど怪しまれているようだ。ようやく理解してもらっても、出張や何やで結局集まったのはマラヤ大の同僚のKさんと私だけ。一時は先生と差しで一献も覚悟したが、三人で語らい、史上初の父の会は終了した。その後N先生は帰国日の朝まで準備に追われることになる。先生、ごめんなさい。
初出:『南国新聞』2007.5.31
「マレーシアつれづれ滞在記」最終回
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