アジア学者国際会議参加報告

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 ボルネオ島(ブルネイ、クチン)経由、シンガポールで開催されたアジア学者国際会議(ICAS: International Convention of Asia Scholars)に出席した。ICASはオランダ(1998年)、ドイツ(2001年)に次いで三回目だが、アジア開催は今回が初めてだ。シンガポールでは国立大学(NUS)を中心に、政府観光局の協力を得て、チャンギ空港に「ウエルカムICAS」の文字が踊る力の入れようだった。SARS騒動の最中、現地参加も併せて63ヶ国1000名以上が集まる大規模な国際会議となった。
 朝8時半から夜6時まで4日間に渡り、258のパネル毎に数名が報告し、私が聴き得たのは一部に過ぎないが、今回扱われたテーマの中にはいくつか特徴的なものがあった。
 一つは、アジアに限らず多くの国民国家が突き付けられた現実を反映した、人の移動に関するテーマ。「中国系ディアスポラの記憶とアイデンティティ」「インド、中国発の国際移動」「広東人の国際的ネットワーク」などのパネルの報告がそれで、「トランスナショナリズム」がキーワードである。
 もう一つは、情報通信技術のアジアでの進展を具体的に示すテーマ。たとえばマレーシア、中国、インドネシアのネットカフェを扱った「アジアにおけるインターネット社会と新しい公共圏」や「東アジアにおける情報技術と社会」などのパネルがそれに当たる。
 そして最後は、性や暴力を取り上げたテーマ。「東南アジアとアジア系アメリカンのホモセクシャル文化」「中国映画におけるジェンダーと性」「台湾の同性愛文化」「アジアの性倒錯と性転換文化「ジャカルタの高校生による抗争」「東、東南アジアにおける女性の同性愛文化」などのパネルがそれで、特に同性愛研究は充実していた。
 以上紹介したのはいずれもパネルのテーマであり、それぞれ4名前後が発表し、個々には「香港ポルノ映画の映した日本」(パネル75:アジアの映画 II)などの報告が詰め込まれている。われわれにとって「トランスナショナル」の具体的事例である日本発のサブカルチャーは、主要な題材として散見された。すでにアジアで日本文化は新奇な外来文化でなく、自らを映す鏡として根付く段階に差し掛かっているようだ。
 ラッフルズシティコンベンションセンターは地下鉄と直結した中心部のホテル内で、設備、サービスとも国際会議誘致に力を注いでいるシンガポールの面目躍如たるものがあった。会場では今年度福岡アジア文化賞学術研究賞のレイナルド・イレートをはじめ、アンソニー・リード、王庚武などキラ星の如き著名学者と出会うことができた。現在、彼等がいずれもシンガポール国立大学に属しているのは驚きである。また、実際パネルに行ってみると、アメリカの大学の中国系研究者がイスラム研究についてしゃべっているなど、報告者の所属、民族、テーマの食い違いが、プログラムからはとても想像がつかないほど多種多様だった。基調講演はシカゴ大学のプラセンジット・デュアラ教授による「いくつもの境界を越えて」だったが、このアメリカで教鞭を執るインド系の中国学者の新著のテーマが、満鉄資料を駆使した日本の中国東北部支配だというのも象徴的だった。
 日本でこの学会を引き受けることができるか? 設備や人の問題だけでなく、こうした境界を超えた意識の面でもいささか心もとなさを感じるのは私だけだろうか。

初出:『ニュースレター』立教大学人の移動と文化変容研究センター、2004.1

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このページは、舛谷鋭が2004年1月 7日 20:29に書いたブログ記事です。

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