馬華文学(マラヤ/マレーシア華語系華人文学)は中国五四運動の影響で生まれた口語文学運動である。その後も社会主義的な“現実主義”を「モダン」として1980年代以降“現代派”と呼ばれる台湾経由の「ポストモダン」さえ生み出す現在進行形の文学世界である。
本報告では馬華文学の形成から戦後の文学史の創出、1990年代の文学論争まで触れたが、前半の内容については東南アジア史学会59回大会要旨を御参照いただきたい。
戦前1920年代末の中国革命文学に呼応した南洋新興文学と現地題材にこだわる南洋色彩文学のせめぎあいから、日中戦争期の中国ナショナリズム一色の抗日救(中)国文学、戦直後の僑民(仮住まい)派と馬華(現地)派の僑民文学論争まで、馬華文学において文学論争は度々行われてきたが、1990年代には六字輩(1960年代生れ)作家を中心に「経典論争」が行われた。
日本留学中のSilvia Sianが文壇の中心的な文芸副刊「文芸春秋」を持つ全国華字紙『星洲日報』に投稿した「開庭審訊」(1992.5.1)は、前年末東南アジア史学会関東例会における筆者の発表と当日の日本人研究者の反応を題材にしたフィクションだが、馬華文学がマレーシアにおける中国文学と評価され、「朝日歌壇」と同等スケールに扱われた内容は、挿絵の馬華文学が絞首刑になる戯画とともに大きな衝撃を与えた。その後4ケ月に渡って主に「文芸春秋」への投稿という形で議論が続いたが、当初の「日本史学権威的偏見」(岳衡、1992.5.16)、「馬華文学与日本学者」(王炎、1992.5.16)など単に外国人への反論に留まるものから「馬華文学“経典欠席”」(曾慶方、1992.5.28)、「馬華文学正名争論」(陳応徳、1992.5.30)など馬華文学のあり方自身に目を向けたものが主となっていった。後に「経典論争」と呼ばれるようになるこれら議論の焦点は、馬華文学の経典(古典)の創出に収斂され、具体的には現代馬華文学における古典の有無、ノーベル賞を頂点とした内外文学賞による評価、また言語状況や地域の独自性の反映などが取り上げられた。すなわちマレー人を含む対外的評価の誤謬をいかに解消するかという問題だが、少なくとも馬華文学の古典は1960年代からの方修、苗秀らの文学史整理によって確定していたのではないか。しかし「期待経典的出席」(劉国寄、1992.6.8)など論争の経緯に見られるように、文学史創出期の成果は「マレーシア文学」への参加を指向する現代馬華作家にとって納得できるものでなくなったようだ。もはや華人自身の現地帰属意識は問題でなく、Chinese Malaysianとして内外に認められることが大きな欲求となって渦巻いていることはこの論争を見ても明らかだろう。
東南アジア地域研究者フォーラム『フォーラムレター』1998.10
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