2002年10月アーカイブ

 東南アジアの出版物のうち、現地語や欧米語については各地の国立図書館や大学図書館の収集範囲であり、現地に行けば何とか利用できることも多い。しかし、東南アジアの中国語出版物については、系統的でないのはもちろんのこと、継続的に収集が行われていないことさえしばしばある。また、現物があっても未整理で利用できない場合も少なくない。新聞、雑誌などの定期刊行物については、1950、60年代華字紙の現物が中国の厦門大学南洋研究院に、旧英領の華字紙のマイクロフィルムがイギリスのBritish Museum (News Paper Library) に所蔵されている場合もある。しかし、単行本については、そもそも自費か助成金出版で、出版社が版を重ねることもほとんどなく、最初の刷部数も千部未満で、時代を遡っての収集は非常に困難である。書店で買うというより、むしろ直接個人からもらいうけるという形態が収集の決め手となっていた。こうした東南アジアの中国語書籍のありかたは、国内では京都大学東南アジア研究センター図書室などが所蔵しているタイの葬式本に酷似していて、葬儀の引き出物として死後に配布されるか、名刺代わりに生前に配付されるかという違いしかないような、自伝的な内容の書籍も少なくない。
 華語小学校から政党まで、華語系華人向けに揃えているマレーシアにしても、過去の出版物を手に入れるのは至難の技で、たとえば筆者が研究対象とする馬華文学(マレーシア華語系華人文学)では、せっかく文学史を整理し学校で教えていても、古典に当たる作品を読ませることができないという憾みがある。こうした状況を打開すべく、1998年にはジョホールバルのKolej Selatan(南方学院)内に馬華文学館が開設された。この施設は1940年代以来のマラヤ〜マレーシアおよびシンガポールの華語文学出版物3000冊以上を収め、閲覧用はすべて複写本を作成するという念の入れようで、資料の利用とともに保存を重視している。全国組織であるマレーシア華文作家協会のバックアップもあって集められた蔵書だが、そのほとんどは元マラヤ大学教員の呉天才氏の40年におよぶ足で稼いだ収集の成果である。呉氏は母語である中国語の他、国語であるマレー語でも詩を中心に創作を発表している実作者でもあり、国立言語図書研究所と連携したマレーシア翻訳と創作家協会の有力メンバーとして、馬華文学とマレー文学の相互翻訳に尽力している。かつてはマラヤ大で馬華文学、中国文学を講ずるとともに、各地へ赴き精力的に中国語書籍を収集されてきた。その成果は1934年以来 40年間の馬華文学書目である『馬華文芸作品分類目録』(マラヤ大中文系叢書、1975)にもまとめられている。マラヤ大学退職後、呉氏の蔵書はシンガポールの南洋理工大学中華語文文化センターに引き取られるはずだったが、文化財の流出を危惧したマレーシア華人社会がメンツをかけ、シンガポールの一歩手前、ジョホールバルで食い止め、文学館として保管されることになったとのことだ。
 ところが呉氏は複数冊の収集を常としており、馬華文学館入りした蔵書の相当部分についても、複本があることが判明した。立教大学では1999年度にこれらの蔵書の購入を決め、2000年の受入れ以来整理を進め、このほど一般の利用が可能になった。日本に渡ってきた「Goh Collection」は約1500タイトルで、書籍の他に文芸誌も含まれている。また、マレーシア、シンガポールの他、フィリピン、タイ、インドネシアの中国語書籍が全体の一割を占めているのも特徴である。前述のような経緯もあり、現地華字紙には、氏が外国に高く売り付けたのではないかという中傷記事も見られたが、現在の書籍単価に比して全く適正な、むしろ安価に提供されたことを記しておく。呉コレクションはすでに立教大学蔵書目録検索や雑誌以外はNACSIS Webcatでも検索可能で、今後は目録または文献解題を作成することも予定している。

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