1993年の国連監視の総選挙の時は、日本からも自衛隊や選挙監視ボランティアが派遣され、「カンボジア」の文字が踊らない日はなかった。1994年はODA(政府開発援助)が実際に始まって、少しは話題になった。そんなカンボジアにも「華僑」がいるのだろうか。
カンボジアは主にクメール人と呼ばれる人たちが住んでいて、クメール語(カンボジア語)とクメール文字を使う。700年ほど前、クメール人の王国はとてもにぎやかで、かのアンコール・ワットが建設された。ワットを含む世界有数の巨大石造建築群であるアンコール遺跡にたどり着くにはベトナム、ホーチミン経由もあるが、カンボジアの首都プノンペンから遺跡のあるシェムリアップまで、日に何便も旅客機が飛んでいる。
プノンペンのホテルカンボジアーナあたりに一泊するコースなら、是非町中も見学してほしい。一番の繁華街は空港からの道と垂直に交わって南に折れるモニボン通り(旧アチャミン)。道の両側にあるわあるわ、漢字の看板。東南アジアの都市を訪れたことのある人には見慣れた光景だが、これぞ華僑が商売しているところ。中央市場の脇のラパイヨッテで旧フランス領仕込みのフランス料理というのも良いが、ここは中華料理にチャレンジ。この土地の華僑はタイと同じく先祖が潮州出身という人が多く、料理もちょい辛目の潮州料理。
モニボンが商売の場ならトンレ・サップ(サップ川)沿いは華僑の生活の場。特に王宮の南側には茶館や香港映画専門の映画館、中華学校なうますぎたりして現地人とうまく行かないこともあるそうだが、最近のカンボジアでは憎まれ役はむしろタイ人。中国の援助を受けたポルポト時代にもクメール、華人の区別なく迫害されたそうな。実は1979年にカンボジア国籍への書き換えが行われ、今や中国籍の「華僑」はおらず、現地化した「華人」がほとんど。今後も現地に住み着いた華人が、カンボジアのためにその実力を遺憾なく発揮してくれることでしょう。