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小野:僕はフランス文学を研究しております。今回四人の発表者の方々の報告をお聞きしていて、正直驚きました。このセッションは「作家、歴史、社会」ということで、現代文学がテーマになっていますが、僕の持っていた文学研究というイメージとはずいぶん違うものだったからです。フランス文学における文学研究というのは、作品なり作家なりを具体的に論じる、どこが面白いのか、どこがその作家の独自性なのか、特異性なのかをテクストを緻密に分析しながら明らかにしていくものです。自分にとって自明だったそのような読み方が、今日お話しをうかがっていると、全然自明ではないのだということがわかりました。その意味で、僕にとっていちばん馴染み深かったのは、一人の作家・詩人の思想を、そのテクストを提示して分析するという野平さんの発表でした。それ以外の方は、テクストではなくてむしろコンテクストの説明に力点を置いた発表だと思いました。最初の発表者の方は、テクスト分析も重要であると断った上で、歴史的・政治的コンテクストの分析をされ、他の二方はコンテクストの歴史的、社会的背景、トランスカルチュラルな背景を論じられました。作品や作家を取り囲む大きな枠組を論じられわけです。僕はまったくの門外漢なので、それはそれで面白かったんですが、やっぱり「作家、歴史、社会」ということで、作家名とか作品名も言及されていたわけですから、テクストの内容についてどこが面白いのかを例を挙げながら紹介していただきたかったというのが率直な感想です。「テクストの外部を見なさい、政治的な読解をしなさい、歴史的な読解というのをしなさい、テクストの内部に留まっていてはだめである」というのが、英米圏のポストコロニアル研究のいわば決まり文句であり、文学研究もそのような批判を受けて、それに答えるような研究をしてきた。ただし、そうは言っても、すばらしい作品には、それが持っている普遍的な価値や力があると思いますし、そのことを作品を論じる際に無視することはできないとも思います。「文学研究が前提としているその普遍性ってものが、西洋的なものではないか?」という批判的な問いかけが東南アジア研究からはあるのかもしれませんが、作品の強さとか美しさには、普遍的なものにつながるものが確かにあり、それを探し、それがどのように読む者の心を打つのかその仕組みを言語化しようと試みるのが、文学を研究することだという前提が、僕の知っているフランス文学研究にはあります。僕が研究対象としているのは、カリブ海のフランス語文学、フランスの旧植民地であり、いまは海外県となっている地域の文学です。この地域の文学には、本国フランスの文化と文学に同化しようとしてきた伝統があります。カリブ海の作家たちもフランス語で書くときは、当然だと思いますが、やっぱり「中心」であるフランス本国で認められたいという気持ちがあるようです。作家というのは誰か具体的な読者のためにではなくて、普遍的なものを実現するために書いているのだと思います。結局、僕がみなさんの発表を聞いて驚いたということは、要するに、僕が「フランス文学」という、ある種確立され自律した制度のなかにいることの何よりの証拠なのかもしれません。その制度のなかにいる限り、主要な作品と作家についての前提知識は研究者のあいだで共有されていると考えることができるので、いちいちそのコンテクストを説明しなくても、直接対象である作品について議論ができるということになりますから。一方、東南アジアというのは広く、いろんな文化があり、いろんな言語が存在しており、文学研究において、共有された前提知識というものがそもそも存在しないのかもしれません。そのような状況では、作品が産出され受容されるコンテクストを説明することなしに、個々の作家や作品について語っても、聞いている側にはなかなか伝わりにくいといことが確かにあるでしょう。東南アジア文学研究を、フランス文化や文学の研究との類比で考えること自体に無理があるのかもしれません。東南アジア学会、そして文学研究という大きな枠組みがあったとして、結局それぞれの作品や作家の「外部」について説明しなければ、文学を研究する者同士であっても交通することは難しいのだということは大きな発見でした。今日みなさんのお話しをうかがっていて、作品のどこが面白いのか、素晴らしいのかを明らかにすることが何よりも大事だと考えている僕自身の読み方というのが実はすごくナイーブなものじゃないのかと強く感じられもしまた。東南アジア研究に関わっている人を除けば、多くの読者は僕と同じように、そこでどんな作家たちがどんな作品を書いているのかほとんど知らないのではないでしょうか。コンテクストがわからないから、作品もわからない。これが日本における東南アジアの文学の置かれた状況だと思います。東南アジアには力強い作品がいっぱいあると思うのですけれど、そうした作品が翻訳され続けていけば、こうした状況もいつか変わるのではないでしょうか。東南アジア文学はより多くの読者にとって、より身近なものになり、背景知識をいちいち説明しなくても済むようになるはずです。たとえば、東南アジアの現代文学の翻訳には非常に注が多いので、普通の読者は驚くわけですね。でも東南アジアの文学作品が、これから翻訳されてどんどん流通するようになれば、コンテクスト的な説明をそこまで深くせずとも、作品の内容そのものについて具体的に論じやすくなってくるのだろうなと思います。

青山:今回の発表では、野平さんの発表でテクスト自体に入り込んでいく発表もあったわけですが、それ以外の三つの報告はコンテクストの問題を取り上げられている研究報告だったということで、改めて東南アジアの多様性とその中でコンテクストを共有する難しさということを指摘されたかと思います。

押川:今の小野さんのフランス語圏文学という視点あるいは立場からのコメントにつながるようなものにしたいと思います。今日四人の報告者の報告を聞いて、東南アジアの文学研究が新しい時代に入ったなという感じがいたします。日本で東南アジア文学研究がはじまって二十五年くらいだと思います。たとえば、今年の三月だったでしょうか、ブリタニカ百科事典の東南アジアの文学の項目が全面改訂になった。これは日本語版ですけれど、四十年くらい前に松山納先生が、東南アジア文学の全体の概要、各国の文学史を一人で担当されて、それがずっとこれまでブリタニカの百科事典に生きてきたわけですね。それはそれでたいへんな力業で、お一人が担当されるという積極的な意味もあると思うのですけれど、現在の視点から見て少し古い。それで今回四十年ぶりくらいに全面改訂することになり、東南アジアの国ごとに分担して、たとえば東南アジアの古典文学、各国の文学史についてかなり深い記述ができたと思います。いずれにしても、ここ二十五年くらい研究がなされてきて、百五十冊を超える単行本が日本語で翻訳刊行されている。これは一つの言語に東南アジアの文学作品が翻訳され出版されたケースとして、英語にもないし、フランス語やドイツ語にもない。世界で一番、我々は居ながらにしてフィリピンの文学や、インドネシア、タイの文学を日本語で読めるという特権的な位置にあるのだろうと思います。ただ、一方で先ほど小野さんが注の多さというのをおっしゃいましたけど、僕はこれを東南アジア文学の「注の呪縛」というふうに考えています。これがないとなかなか作品が読めない。しかし一方では、注の多さによって一般の読者を遠ざけている。そういう翻訳があり、二十五年の研究の蓄積がある。それらを踏まえて、批判的に新しい研究がようやくスタートするのかなと思います。小野さんのおっしゃったフランス語圏文学から見たコメントに対する応答として、こういうことを申し上げたい。それは、東南アジアあるいは東南アジア学会における文学研究の特殊性というものがあるということです。その特殊性というのは、一つは文学研究が我々の場合は地域研究の一環として行われてきたということ。それは具体的には文学が成立する社会的な基盤、歴史的背景を研究することで、当該の社会を、たとえば政治学や経済学といった社会科学的な視点、あるいは他の歴史学のような視点とはひと目盛りずらしたところから理解しようとしてきた。そのことによって、他のディシプリンによる東南アジア理解と併せて、トータルな理解ができるだろう。そういうことをたぶん東南アジアの文学研究というのは目指してきただろうと思うわけです。したがって、文学研究が地域研究の一環として成り立っていることと関係して、澤井さんの発表のときにテクスト分析だけでなく、という言い方をされましたが、実は東南アジア文学研究でテクスト分析というのはほとんどなされてこなかったと言っていい。少なくとも今日、野平さんがなさったようなかたちのテクスト分析は行われてこなかったと思います。それから、もう一点、東南アジア文学研究の特殊性の第二点は、今のことと関係しますけれど、東南アジア学会あるいは東南アジア学という知の制度あるいはアカデミズムの枠の中で、文学を研究してきたという特殊性があると思います。東南アジア学会には歴史学や経済学や国際関係論など、あらゆるジャンルの人が入っている。その中で文学研究を行い、発表するときに、我々はどうしても知の、アカデミズムの制度というものを前提にして、それを踏まえて研究せざるを得なかったと思います。それはもう少し具体的に言いますと、これまでの東南アジア文学研究というのは、ナショナリズムと絡めて文学をどう考えるのか、その枠組にとらわれてきた。あるいはそういう枠組に引っかかる作家や作品を取り上げて論じてきたと思うわけです。たとえば、具体的には、自分がやってきたことでもあるんですけれど、インドネシアのプラムディア・アナンタ・トゥールに代表させるようなかたちで、東南アジアの文学、近現代文学を語る。そのことが果たして妥当なのかということが、今日の皆さんの発表を聞いて突きつけられているような気がいたしました。ただ、一方では国民国家という枠組は揺らいでおりますけれど、依然として強固にあるわけで、それをたとえば、香港でのインドネシア人のお手伝いさんたちの文学実践が紹介されましたけれど、そういうものが、国民国家あるいはナショナリズム、ネイションという枠組の中で作家や作品を論じてきていたものを相対化し得るのかということは、そう簡単には行かないだろうという気がします。もう一点、四番目ですけれども、小野さんのフランス語圏文学との大きな違いですけれども、フランス語圏文学の場合にはテクスト研究あるいはテクスト分析が主流だということですが、東南アジア文学研究においてそれが不在だったことの大きな理由は、いわゆるリテラリーカノン(正典)というものが存在しなかった、それが不在だったことにあると思います。フランス文学会というものがあったとして、そこである作家のテクスト分析をするというのは、学会員にそれが読まれているということが前提ですね。だから読みの様々な可能性についてそこでは議論できる。そのような文学作品が、カノンが東南アジアでは見出しにくい。それからもう一点、カノンの不在とともに批評の不在というものがあったのだろうと思います。それは東南アジアのベトナムやインドネシアやフィリピンといった国の中で批評が不在であるということでもあり、我々研究する側でもそのようなことが、クリティークということが行われてこなかったということでもある。そんなことを小野さんの話をお聞きしながら考えました。最後にもう一点、コーディネータの青山さんのおっしゃったことですけれど、1990年頃を境に大きな現象が生じている、大きな物語から小さな物語への大きな転換が起こったのではないかと言われた。リオタールの言い方を念頭に置かれているのでしょうけれど、彼の言ったのは共産主義の崩壊とか教養主義的なものの衰退ということであって、ここでは大きな状況は描かない、あるいはプラムディアの四部作のように、長い歴史的なスパンでもって物語を描く、物語を展開する、そういう物語がなくなって、もう少し私的な、周辺的なことにテーマが移りつつあるのではないかという問題提起だったのだろうと思います。これは四人の発表者の方にそれぞれお伺いしたいのですけれど、一方ではたとえばベトナムで言えば、ドイモイ以降、ズオン・トゥー・フオンにしてもあるいはバオ・ニンにしても、依然として大きな物語という枠組が残っているわけです。東南アジア全体として大きな物語から小さな物語へというのがそれほど明示的に、普遍的な現象として起こってきているかどうかは、少し留保をつける必要があるだろうと思います。つまり1990年という問い方が果たして妥当なのか、そういう時代区分が妥当なのか。それからそれを境にして大きな物語から小さな物語への移行ということが四人の方々のそれぞれの国で起こっているかどうかをお聞きしたい。

青山:今のお話しは第一には小野さんのコメントに対するレスポンスで、東南アジアの文学研究でどうしてコンテクスト中心にならざるを得なかったのかを、東南アジア研究という知の枠組の方から説明がありました。やはり地域研究の一つとしてはじまったところがあり、政治なり社会なり国づくりの仕組みを考える一つの手がかりとして文学というのは使われてきた。逆に文学そのもの、テクストそのものの内容について突っ込んだ研究というのはされてこなかったということがある。それから、東南アジアのそれぞれの地域の現状として、リテラリーカノン、正典となるような作品が不在である、それから批評を行う伝統が不在である。それはなぜかという難しい問題があると思うんですけれど、たとえば継続的な伝統のある批評誌、ジャーナルがないということも批評の不在と絡んでくるのではないかと思います。それから最後に、私が趣旨説明で提起した問題ですけれど、1990年をはじめとする、ある十年間を境にしてある社会的変化が起こってきているわけですけれど、それに対応したような、文学の変化というのもあるのではないかという仮説です。あるとすれば、いわゆる大きな物語から小さな物語への変化。簡単な言い方をしましたけれども、午前中にも大きな物語というのは何かという疑問が提示されてのですけれど、インドネシアに引っかけて言いますと、プラムディアの作品というのは実は大きな物語として読まれてきたと思うのです。プラムディアの作品が大きな物語なのかということは、振り返ってみる必要があると思います。ミンケという一人の青年の成長の物語であり、様々な女性とのロマンスの物語であるという読みも十分可能であるのですけれど、こういう部分に注目しないで、あたかもインドネシアという国民国家、民族主義運動の大きなうねりという、大きな物語の中に回収してしまって分析したんだというところで終わっている。そういう分析の仕方が正しい分析の仕方であるという見方がかなり有力であったと思うんですね。それは我々の見方自体が最近の東南アジアの変化に対応して、もっと違った見方ができるのではないかという、見る方の研究する側の視点の変化もあると思います。現実には東南アジアの文学作品自体がそういう変化を起こしているのかどうかというのが一つの仮説として問題提起されるのではないかと思います。もちろんこれは仮説ですので、そんなことはないんだと、ベトナムの公式文学はそうではないんだとか、あるいは90年なんていう区切り自体が意味をなさないんだという反論がなされても構わないと思います。

澤井:まず先ほど私の発表に対するコメントをいただきましたので、それに対するレスポンスということで。最初にインドネシア語文学におけるテクスト研究というのがコンテクスト研究に比べて元々蓄積がないというか、テクスト研究が行われてこなかったというご指摘なんですけれども、確かに日本ではそうだという部分もあると思います。ただ、他の社会を見た場合に、私が見る限り蓄積があるのではないかと思います。まず日本の中でもこれまでに文学研究者そのものでなくても、たとえば白石隆、加藤剛先生等がテクスト研究を行っています。そして名前をざっとあげるだけでも、、マイヤー、、、、クラーク、これがざっと私が思いつくような研究者なんですけれども、この人たちの研究蓄積は私にとって示唆の大きいものでありまして、このようなテクスト分析の蓄積を踏まえた上で、これに相応するようなコンテクスト研究がこれからなされねばならないのではないかというのが、私の考えです。私の発表の意図に少し説明を加えさせていただきますと、先ほど確かに私は文学コミュニティというものを、香港に住むインドネシア人、移民労働者の文学コミュニティというものを取り上げ、国語文学というものが変わっている、そしてそれが当然ナショナリズムの概念の変わり方にも関わってくると主張したわけなんですけれども、その一例をもってたとえばナショナリズムについて相対化をしようと思ったわけではなく、この一つの例を取り上げることで何が見えてくるのかというようなお話しをしようとしたわけです。ですからこれは私の立ち位置から見えてきたナショナリズムの一つの変化の例であって、これは当然他の状況から見たナショナリズムの状況と整合性がなくて当然と思いますし、そういう意味で私の説というのも否定または批判されなければならないですし、それによってナショナリズムがどのように変わっていくかという方向性が見えてくると一番いいのではないかと思います。

青山:日本における特殊状況で、インドネシア国内外におけるテクスト研究はあるということで、むしろそこから逃れるために今回はコンテクスト研究をされたという話しだということだと思います。それから、ナショナリズムの相対化ということも、あくまで香港における文学コミュニティを通じて何が見えてくるのかという観点からの研究報告であって、今後より大きくナショナリズムの相対化につながっていくことができれば、ということだったと思います。

舛谷:今大学の中で非常に幸せな科目を持っていまして、一つは東南アジア文学というのを持っていて、もう一つは批評理論というのを持っていて、前期が批評理論で後期が東南アジア文学という、それが学科の必修科目という学部なんですが、やってて思うのは、前期の批評理論を学生は何とか我慢して聞いてくれるんですけれど、後期の東南アジア文学は非常に困るんです。先ほどあったように翻訳はいっぱいあるんですけれど、リテラリーカノンというか、おなじみの話みたいなのがない。それは今の日本やフランスの現代文学にしても同じと思います。今日もそうですけれど、ストーリーはさておき何か話しをするということになってしまって、学生のリアクションペーパーを見てもしんどいときがあって、どうしようかなと思います。前期の批評理論との絡みで言うと、先ほど「乳離れ論」というのを、乳というのは「文化中国」、もっとわかりやすく言えば中華文化圏、そこからどう離れていくかという議論について申し上げました。彼らのかなりの部分の文学がリアリズムです。言ってみれば平板なリアリズムでして、社会主義的リアリズムと言ったのは、「的」を入れているのはそういうところもあるんですが、日本の私小説とも違って、せいぜい読者反応論くらいのところで読めちゃうんです。テクスト分析というよりも、フェミニズム分析とかポストコロニアル批評とかいうことになってくるとちょっと別かもしれませんけれど、先ほど注の呪縛というのがありましたけれど、事物として「チック」という果物がどんな形か知ってる?というような注以外のところはそのまま読めてしまう作品が割と多い。ベトナム文学の方であったようなテクスト分析を提示できないところがある。今日やるとしたら、リー・テンポがクアラルンプールを描いた二、三行を取り出して、張愛玲の上海の描写を取り上げて比較するということはできたのかもしれないですが。時間の都合もありましたし、あまり意味を感じなかったのでやりませんでした。普遍性の問題ですが、はっきり言うと面白いか面白くないかということがあったと思うんですが、関係する問いとして誰に向かって書くかというのがありましたが、これは馬華文学ではある部分でははっきりしていて、みんな「自分」のために書いている、「自分」に向かって書いている。その上リアリズムなわけです。それでさっきタイの葬式本だと言ったのですが、普遍的なつよさと言われると若干困っちゃうところがあって、ただ、何人かの作家については、どうも普遍的なつよさを持っているようだ、と言いだしたのが台湾留学組の作家たちだった。ここで批評が生まれたのでしょうね。年代のことでたどっていくと、彼らが60年代生まれですから、批評をはじめるようになるのは90年代なんです。ということで、年代としては合うんですけれど、私常々世代論は信用してなくて、私が60年代生まれで、その人々によって、画期が行われたんだということについてはまだ留保したいので、もうちょっと証拠が欲しいのです。90年代のところで、今日出したような証拠が出ているのですけれど、本当にこれでお終いなのか?70年代生まれとか、もっと前の世代とか、批評はなかったのか?70年代は一人だけ確認しているんですけれど、あとはなかったと思うんですが、世代論のようなところには持っていきたくないので、今日お話ししたところで言うと、今のマレーシアの一エスニック文学の中の華人文学を三つに分けて言うことがありますが、マレー半島の文学と東マレーシアの文学と、それから海外、特に留学生の文学です。この留学生の文学から批評が発信されて、以前の社会主義的リアリズム派が陳腐化してきているのが現在の状況ではないかと思います。(と言いましたが、この種のリアリズムが批判的に捉えられるようになったのは、やはり90年前後の大状況なのでしょうね。世代論に回収仕切れないところは確かにあったと今は思います)

青山:今のお話しだと、テクスト分析をしていてもそれほどいい成果が取り出せないという

舛谷:比喩とか文彩とか、テクスト分析した方がわかる文学作品が出てきたから批評理論なんですよね。そうじゃない文学のところで批評理論は必要なんですか?

小野:フランス文学だったら批評というのが制度として成立するのが十九世紀なんです。フランス文学の自立化、制度化というものと批評というものの制度化。批評の対象とする文学というのをきちっと作り出す。それでテクスト分析と言うことが可能になる。そういう知的背景というのがあると思うのですが、マレーシアでは誰に向かって書くのか、自分に向かって書くと言っていて、そういう作家たちが批評も自分で書いている?

舛谷:それがたぶん以前の姿だったんでしょうね。友だち同士で書いていた。それはチャイニーズだけではないと思いますが。ところが、海外の留学生が、これ変じゃないか、こんなの文学じゃないよと言い出す。第一世代の1920年前後生まれの人に向かってダメを出す。それでびっくりして、大騒ぎになると言うのが90年代以降の状況なんです。

野平:テクスト分析を中心に発表させていただいたのですが、他の先生方の発表を聞かせていただいて、僕自身はコンテクストに関する分析が全くなかったなと、そこは反省する次第で、たとえばティエンという人の読者層がどれだけなのか、あるいは海外にいるベトナム人の文学コミュニティがいかなるものか、ということを今説明せよと言われてもなかなか難しい面がありまして。そうした面でそういう基礎的な研究、コンテクストの分析も改めてくわしくやる必要があると感じております。あまり最近のベトナム現代文学の動向というのは僕自身あまりわからない。今回発表したファム・コン・ティエンという作家が最初はちょっと過激なことを言うので面白いなというのでのめり込んだんですが、ただ、深く読んでいくと思想面になってくると僕には全く理解ができない点があって、それでそういう彼の言ってる思想というのはどういうことなのかということに、ずっと時間を費やしてしまいまして、それでもうちょっと幅広い研究というのができなかった、疎かになってしまったという点があるかと考えています。ただ、ファム・コン・ティエンを通じて、南北分断期の南ベトナムにおける文学というのがきちっと批評されていない、再評価されていないという部分もありますし、そういった部分で彼を突破口に研究するという方向で行ってたんですが、それから彼を通じて、彼は仏教徒なんですが、仏教的な考え方というのを僕自身は少しずつですが勉強しているつもりなんですが、それはまた現代の批評理論は欧米から出てきているものですが、それとは違った解釈というのが仏教的な観点からは違う世界の見方ができるのではないか。そして、ベトナムの古典の文作作品を鑑賞する場合に、やはり仏教思想がいかなるものかという、僕はまだ本当はわかっていないんですが、そういったものを知らなければ分からない部分があるんじゃないかなと思うんですね。たとえばグエン・ズーという作家が昔いまして、『金雲翹』というベトナム人だったら誰でも知ってる古典作品を書いた人ですが、その人が漢詩で「私は千回金剛般若経を読んだ。何だかよくわからなかった。あるとき突然無私、無であることこそ真の教えである」というふうに書いた漢文、漢詩があるんですが、その無というのも金剛般若経の論理というのは、鈴木大拙が言ったように「あるものがあるものと名付けられるのは、あるものでないからである」というような特異な論理が働いていると思いますし、それから一般的に言って西洋的な考え方というのはあるものが存在しているというのが前提になっていると思うんですが、それに対して、ティエンもそうですし、グエン・ズーの漢詩の中でもそうですが、無ということを言っている。それが果たして有無の対立の中で捉えられるの無であるか、決してそうではないと思うんですが、そういった点を今後考えていきたいかなと思っております。それから、批評の不在ということを押川先生、指摘されましたが、ベトナムについてはあるのではないかなと思うんですけれど。1930年代にはベトナムの詩人のアンソロジーが出ますが、その中で一人一人のいい作品をピックアップして、紹介、批評を書いている。それから、最近でも具体的な名前を出せばムエン・フン・クオクという新進の批評家が出ていて、ベトナム文学というのは自分たちの国に閉じこもっていてはだめで、たとえばポストモダニズムだとか、新しい潮流を受け入れろだとかという提言をしている批評家もおります。

青山:まずテクストの面白さというのが小野さんから指摘されましたけれど、それを考える前に、今回扱ったファム・コン・ティエンの場合、彼の基盤になった仏教思想自体を理解することを通じて、作品の面白さがつかめるのではないかという指摘だったと思います。それから批評に関しても、東南アジアの多様性ということに戻ってくるのではないかと思いますが、ベトナムの場合、おそらく中国由来の批評の伝統があるのではというご指摘でした。

野平:もう一点だけ、「物語」ということばなんですが、これはフランス語ではレシですか?一つのことばだけとって何か言うつもりはないんですが、レシあるいはナラティブと「物語」がイコールで結びつけられるか、翻訳の問題になってきますけれども。たとえば「もの」という日本語の場合には「ものがなしい」とか「ものすごい」とかそういう場合の「もの」であるわけです。そういう一つ一つのことばが本当にイコールで結びつけられるのか、僕は疑問に思っています。

岡田:カンボジアの場合にはテクスト批評というのはあまり見受けられないと思います。今思い出したんですけれど、先ほど紹介した文学ジャーナルに載っていることがありまして、その中で詩人というか大御所ではないですけれど、その人が短編小説というのはそもそも文学ではない、小説ではない。長編小説が重視されていて、短編の小説もそもそも散文というのは詩の延長線上にあるべきだから、もっと美しい語彙、サンスクリットとかパーリ語のことばというものを使うべきだから、文学ジャーナルに載っているような短編小説は短編小説とは言わないのだというのが、外から見るとカンボジアの国内のいるカンボジアの人が違う捉え方をしているのだなと感じました。1990年という区切りについて、私の報告のときに言いましたが妥当だと思うんです。こういう雑誌が出てますよと紹介したんですけれど、詩は少ない紙面で済むんですが、実際には小説の方は発表の場は1980年代より少なくなっているのではないかという感じがしてます。1980年代というのは社会主義国で、すべて国家統制されていましたので、党の宣伝のための手段として一定量は出版されていた。それとは別に闇で手書きで恋愛小説を書きまして、みんな手で写したものが、小説読むのが好きな人にはやったり、タイ・カンボジア国境の難民キャンプの方へ渡っていたりということがありますので、公式のルートとそうじゃないところと発表の場が多かったのではないかと思います。実際に自費出版に限られ、ほぼ自費出版に近いかたちですから、先ほど紹介した二名の作家しか出版できないということで、新聞には文芸のページというのはありませんので、どちらかというと最近は小説よりも歴史物の翻訳ですとか、韓国ドラマのまとめとかが載るのが多くなっているので、そういう意味でも1990年を境にかなり変わったと思います。

第80回東南アジア学会研究大会シンポジウム
2008年11月30日,東京大学駒場キャンパス

9:30-9:35 趣旨説明
青山 亨 (東京外国語大学)

9:35-10:05 発表1
インドネシア:「文学コミュニティ」から見える文学実践の多様化
澤井志保 (東京外国語大学大学院/香港中文大学大学院)

10:05-10:35 発表2
マレーシア:多民族社会の中の華人文学
舛谷 鋭 (立教大学)

10:35-11:05 発表3
ベトナム:ファム・コン・ティエンの詩学
野平宗弘 (廈門大学外文学院)

11:05-11:20 休憩

11:20-11:50 発表4
タイ:タイ現代文学の登場と新ジャンルの挑戦
アット・ブンナーク (タイ中小企業開発銀行)

11:50-12:20 発表5
カンボジア:内戦終結後からの再出発
岡田知子 (東京外国語大学)

12:20-13:30 昼食休憩
13:30-14:30 会員総会

14:45-15:00 コメント1
小野正嗣 (明治学院大学)

15:00-15:15 コメント2
押川典昭 (大東文化大学)

15:15-16:15 総合討論

岡田知子(東京外国語大学)

 社会経済の復興・発展途上にあるカンボジアでは、文学はいまだ模索状態にある。本発表では、大量消費される恋愛小説、文学賞応募小説・投稿詩の社会的役割、ポスト・ジェノサイド文学の出現の3点に焦点をあてて概観する。
 カンボジアでは長らく続いた内戦が終結、1990年前後を境に急激な社会変革が始り、1993年にカンボジア王国が誕生した。法律上、言論の自由が認められるようになり、多くの新聞、雑誌が発行され始めた。そこには伝統的価値観に沿った恋愛小説が掲載される一方、直接的な性愛描写を入れるなど、それまでのタブーを破った小説には、新しい価値観や解放感が読み取れる。
現在まで職業作家として活躍しているのは、2名の女性作家、マウ・ソムナーン(1959-)、パル・ヴァンナリーレアク(1954-)であり、書き下ろしの単行本を次々と出版している。いわゆるフォーミュラ・ロマンスである一連の作品群では、洒落た文体や難解な語彙を使用せず、強い政治的主張、痛烈な社会批判はない。同時代の都会を舞台に、富裕層の生活スタイルがふんだんに盛り込まれており、わかりやすい筋立てで展開も速い点が読者をひきつけている。体現化された美徳としての若さと美貌を備えた女性主人公は、「純潔を守る」という伝統的性規範を踏襲しているが、それはカンボジア人女性のアイデンティティとして再評価されている。同時に女性の行動領域の拡大、親子関係のありかたなどに新しい価値観が見られる。ただどの作家も「作家は教育者」という立場は崩しておらず、作品は娯楽のためだけではなく若い女性のための規範書としても読める。
 一般人が実名で社会に訴える場がまだ少ないカンボジアでは、文学賞への応募短編小説や新聞雑誌の投稿詩が、一般人の意見投稿としての役割を果たしている。動物や神々を登場人物にして風刺的に貧困、汚職、伝統崩壊、遺跡盗掘など社会・政治批判したものが多い。特に詩は、紙幅をとらないことから掲載の機会が多く、またそれぞれ決まった吟唱法を持つ伝統的な定型詩で書かれることにより、読者も容易に感情を共有できることができると考えられる。
ポスト・ジェノサイド文学とは、ここではポル・ポト政権時代の人民の苦しみを物語った小説や個人体験を綴ったものとする。前者は、1980年代の社会主義リアリズム小説に類似しており、ポル・ポト政権崩壊の記念日を冠した「一月七日文学賞」の受賞作品にその特徴が見られた。後者については、ディアスポラによって書かれた作品を、カンボジア語に翻訳し、出版したものが圧倒的に多い。現在でもクメール・ルージュの国際法廷での審議は続いており、国内での公的な評価が定まっていないためか、国内のカンボジア人による作品はまだ少ない。その中でも、たとえば一般庶民による記録である『地獄の一三六六日間―ポル・ポト政権下での真実』(オム・ソンバット著)では、当時の悲惨な体験が生々しく描かれる一方で、強制労働の末、完成した水利施設に感動するなど、一概に「ポル・ポト政権の圧制での被害」だけを訴えているものではない。
 カンボジア人ディアスポラからのカンボジア国内のさまざまな文学、文化活動に関するコミットメントも少なくない。それはインターネット・ラジオを通した情報発信にはじまり、文学研究者、作家、映像作家、舞踏家、音楽家など幅広い分野にわたっている。

アット・ブンナーク(タイ中小企業開発銀行)

野平宗弘(廈門大学外文学院)

1986 年に始まるドイモイ以降、ベトナムの作家達には一定の創作の自由が認められ、
ドイモイ文学の潮流は88-89 年に頂点を迎えた。作家ファム・ティ・ホアイPhạm Thị
Hoài(1960-)は、その後の90 年代半ば以降、現在に到るまでをポスト・ドイモイ期と
規定し、質の高い作品も現れているとはいうものの、伝説化されるような作品はないと指
摘している。
ベトナム現代文学の中で伝説化されているものの一つに、1950 年代後半の北ベトナム
で創作の自由を求め弾圧された「人文-佳品事件」が挙げられるが、その中心人物である
詩人の故チャン・ザンTrần Dần(1926-1997)らが、2007 年になって国家賞を受け、約
半世紀前の文学事件の実質的な名誉回復がなされたことが象徴しているように、過去の見
直しはやっと始まったところである。また、その受賞理由には「社会主義建設と祖国防衛
に貢献した」ことが挙げられていることから分かるように、ベトナムの現代文学は公式的
にはベトナム共産党の「大きな物語」に属していると言える。
南北分断期(1954-75)の南ベトナムに現れた詩人、思想家のファム・コン・ティエン
Phạm Công Thiện(1941-. 以下、ティエンと略称)が公に再評価されることはまだ先のこ
とだろうが、60 年代後半に「ファム・コン・ティエン現象」と呼ばれる流行現象ともな
った彼の出現の衝撃は、今でも半ば伝説的に語りつがれているだけでなく、彼からの影響
を公言する詩人や彼を乗り越えようとする詩人も現在のベトナム国内にはいる。だが、
60年代に彼が達した思想的地平まで、彼を支持する者達が到っているかは疑問も残る。
現在、亡命者の立場にありアメリカで暮らすティエンは、ベトナム語での詩作によって
「故郷」への回帰を試みている。彼にとって「故郷」を再び「見る」ことは、現実的な帰
国によって果たされるものではなく、言語的世界創造によってこそなされるものである。
彼は、主体たる人間の言語によって客体的に世界を掌握しようとする西洋形而上学に根
差した表象的思考を、ベトナムの伝統的宗教の一つである大乗仏教の「空」の思想に基づ
いて否定し尽くし「空」さえも否定することで、アリストテレス型の論理も主体も客体も
ない根拠なき「透明な源」(詩人ハン・マック・トゥーの言葉)にまで退歩しようとする。
そして、その「透明な源」の「如き」世界を、母語ベトナム語での詩作によって新たに創
造することで「故郷」を再び見ようとしている。母語の中で「もの」Cái を語ることによ
って、それを「如実」に、「実際」に、「存在」へともたらすことが、彼の「もの」語り
であり、「故郷」回帰であると言える。
ベトナムの「存在」を忘却した西洋形而上学に根本的には根差している現在のベトナム
の国家イデオロギーの「大きな物語」のみならず、私自身に対しても、日本と同じく大乗
仏教文化圏から現れたティエンの「もの」語りは、近代的思考とは別の思考、別の言語世
界の可能性を突きつけている。

舛谷鋭(立教大学)

 毎日90万部の華字紙が売れ、700万華人の90%が華語小学校に通う国。マレーシア華語系華人文学(馬華文学)はそこにある。所詮新聞の総部数の三割、人口比の四分の一に過ぎず、マレー人に劣る出生率で未来の相対的沈下を危惧する声もある。しかし、文学の発表媒体としての華字紙、リテラシーを保つための民族語教育と、それらを支える社団が存続するために、十分な絶対数とも言えよう。
 国語であるマレーシア語で作品を発表するのはマレー人作家はもちろん、タミル人のウタヤ(1972-)だけでなく、リム・スウィーティン(1952-)ら華人作家も少なくない。国立言語図書研究所(DBP)には、民族文学間の相互交流としてウスマン・アワン(1929-2001)を中心に発足したマレーシア翻訳と創作協会の活動もある。
 しかし、華人中高生の文化英雄は、リムらマレーシア語作家でなく、華人私立高校から台湾留学し、彼の地の文壇で活躍する黄錦樹(1967-)、陳大為(1969-)、鍾怡雯(1969-)といった「六字輩」(六十年代生まれ)の「留台」作家たちである。彼らの作品は「原住民」作家らとともに台湾文学に彩りを添える「ディアスポラ」文学として評価されている。
 「留台」作家からも高い評価を受けるリー・テンポ(李天葆,1969-)は、同じく「六字輩」ながら、国内に留まり作家活動を続ける華人作家である。彼の作品は多民族社会マレーシアにおける文学の一断面であり、かつ「文化中国」(中華文化圏)との関わりも深い。
 クアラルンプール生まれのリーは、広東大埔系客家を父に持つ現地第二世代の華人である。マレーシアで準公立華語小から私立華語中高に進み、卒業後は中国福建省、廈門大学の通信コースで学び、私立中学の華語教師を勤めた。作風から海外華人世界の代表的張(愛玲)派作家と呼ばれる。(邦訳は以下を参照:リー・テンポ著、舛谷鋭訳「写真の中の人」『新潮』10月号、2007)ちなみに『傾城の恋』の張愛玲 (1920-1995)は、四十年代上海で活躍した女性作家であり、今も中華文化圏で広く読み継がれる「現役」作家である。
 現代マレーシアにあってなぜ四十年代上海なのか?二十一世紀に入り、祖籍地(祖先の原籍地)中国からの「乳離れ論争」が、他ならぬリーの作品を契機に巻き起こった。彼は桃源郷としての上海モダンを酷愛し、その面影をツインタワーはじめ高層ビルが居並ぶ大都会クアラルンプールに探す。茨廠街(ペタリン通り)のチャイナタウンや、新街場(ピール通り付近)のような華人の生活区がそれに当たるが、タミル人のブリックフィールドやマレー人のチョーキットも、それぞれの民族毎に同様の感興を呼び覚ますだろう。
 イギリス植民地時代に契約移民として海を渡った華人の文学は、紛れなくポストコロニアル文学の一環である。リー・テンポの文学は「文化中国」の、またマレーシア文学の周縁と切り捨てることができるだろうか。張愛玲が四十年代上海に活きたように、リー・テンポは現代の吉隆坡(クアラルンプール)に活きる。

澤井志保 (東京外国語大学大学院生、香港中文大学大学院)

現在のインドネシアにおいて、「文学コミュニティ」といわれるグループが多く存在し、活発に活動している。「文学コミュニティ」とは、文学に直接的または間接的にかかわる活動を行うために、複数の個人によって、営利を主要目的とせずに形成されたグループのことを指す。
このような文学コミュニティは、植民地時代から、文学を集団的に享受する集まりとして、現在インドネシアと呼ばれる地域に存在しており、独立運動時においては、人々が「国民としての主体性」を想像し獲得していくプロセスにも深く関わることとなった。しかし、1990年代以降をめどとして増加している文学コミュニティにおいては、参加者の知識人的特権性と、文学の享受を通して立ち上げられる国民的主体性のあり方について変化が見られる。たとえば、中間層と大まかに分類される範疇と総数が大幅に拡大したことに加え、権威主義的政権の終焉によって言論統制が緩和され、出版業が活性化したことで、文学を享受する層のすそ野が、知識人層を超えて大きく広がった。さらに、メディア・テクノロジーの普及による情報伝達の高速化と、移民労働や留学、旅行などの目的のための海外渡航人口の増加により、以前よりずっと広範囲な階層の人々が、国境や国籍、国語を実体的ないし仮想的に越境しながら、宗教、職業、エスニシティやジェンダーを基軸として、より多面的な文学的主体性を立ち上げるようになった。このような例のひとつが、海外に支部を持つ文学コミュニティや、外国を舞台としたイスラム系ポップ小説ジャンルの出現である。また、ゲイやストリートチルドレン、移民労働者女性等の社会的マイノリティが、文学実践を通して多彩な社会表現を行っている状況からも、近年のインドネシア語文学においては、特定の国民的主体性を提起するのみならず、むしろこれについて問い直し、再解釈する可能性を見てとれる。
そこで当発表においては、香港在住のインドネシア人女性家事労働者によるイスラム系文学コミュニティを取り上げ、上述のような社会的変化が、インドネシア語文学にどのような意味を付与し、国語文学研究の新しい射程を示唆するのかについて検討する。そのために当発表では、この文学コミュニティの活動形態の内容と参加者の執筆したテクストの両方から、文学的主体性の読み取りを試みる。たとえば、当コミュニティ参加者は、インドネシアでは多数派でも、香港への移民によって、宗教、エスニシティ、経済力の上で少数派になることで、現地の社会的文脈において新たな主体性を交渉することになる。そこで、コミュニティに参加することでムスリム女性としての連帯を実現し、互いの作品を批評し合って文章力を向上させることで、労働者ではなく、著者になろうと努力し、さらにテクストの中で家事労働者への搾取や文化的抑圧について批判することで、現地社会での自分の位置を分析する。このような文学の享受プロセスの観察により、現代における国語文学とナショナリズム、そして文学的主体性のかかわり方について考えたい。

青山 亨(東京外国語大学)

東南アジア研究の歴史を振り返ってみたとき、文学の研究は、その一角において、もっとも大きな流れでこそなかったかもしれないが、確固たる位置を占めてきた。東南アジア研究における文学研究は、文学固有の問題群を分析する試みであったばかりではなく、文学を通して東南アジアの社会を理解するための探求の試みでもあった。けだし文学は社会的な存在である人間の創造物であり、言語というコードの共有と読み手の存在を前提とする以上、これは当然のことであろう。インドネシアの作家プラムディヤは、文学の理解は人間の理解である、と述べているが、まさに東南アジアの文学研究は、文学を通じて東南アジアの社会、そこに生を営む人々を理解しようと努めてきたのである。
このことは、社会の変化に応じて文学、そして文学の理解もまた変化していくことを意味している。20世紀において、東南アジアの多くの地域が列強の植民地支配のもとにあったころ、あるいは、第二次大戦後に独立を達成し国民国家の建設に全力を尽くしていたころ、あるいは、東西冷戦を背景にした戦乱の渦中にあったころ、文学が文学としての使命に真剣に向け合おうとすればするほど(そのことと作品の価値とは別のものであるし、作品がどのように表現されるかは個々の文学者の意識に委ねられるものであるが)、作品には、近代化、国民統合、抗戦といったその時代の社会的なプロジェクトの潮流が直接的あるいは間接的に反映することとなった。対する文学の研究もまた、文学作品の研究を通じて、社会の有りようとその来るべき変化の方向を読み取ろうとしてきた。
今日、おおよそ1990年を境として、東南アジアの多くの地域において新しい社会的、政治的な変化が生じつつあることは、否定できないであろう。ベトナムにおけるドイモイ政策の開始、マレーシアのペトロナス・ツインタワーに象徴される経済発展、アジア金融危機に端を発するインドネシアのスハルト政権の崩壊とそれに続く民主改革は、これらの変化を示す代表的なできごとである。これらの動きを端的に言いあらわせば、冷戦的イデオロギー対立の衰退、市場経済の進展と都市中間層の台頭、本格的なグローバル化による人、もの、情報の過剰なまでの越境、に集約できよう。
社会の新しい動きに呼応して、東南アジアの文学のなかには、内容あるいは形式においてこれまでの文学とは一線を画す動きが現れつつあるようである。むろん、具体的な作品のあり方は、それぞれの地域固有の力学によって、あるいは、文学者の意思によって、多様な形をとることになろう。しかし、にもかわらず、そこには今までにない胎動が通底していることを感じることができる。また、過去の文学に対しても、新しい視点から読み直されることによって、新たな評価が下される動きも生じている。このような東南アジアの今を前にしたとき、東南アジア文学の研究者には、21世紀にふさわしい新しいアプローチが要請される。
より個別的な問題群としては、1990年前後という区切りがはたして文学の場でも区切りとして機能しているのかどうか、もしそうだとしたら、その前後の変化のあり方として、いわゆる「大きな物語」から「小さな物語」への転換という理解が当てはまるかどうか、といった論点も取り上げられることが期待される。
このシンポジウムでは、東南アジア文学の今を取り上げ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、カンボジアの文学の研究者に報告をしていただくとともに、東南アジア地域の文学の立場からと、地域を離れた文学の立場からそれぞれコメントをしていただくことによって、東南アジアの文学の今を考えていくことを狙いとしている。この機会に、東南アジア現代文学の眺望を示すことができれば幸いである。
(2008.1.5 ver3)

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