日本華僑華人学会 2009年度大会(2009.11.14-15)大阪大学中之島センター

 

9:30-9:45 趣旨説明―華文文学の社会、歴史、文学  舛谷 鋭(立教大学)

9:45-10:05 マレーシアの村上春樹  葉 蕙(筑波大学大学院)

10:05-10:25 帰国した馬華作家  原 不二夫(南山大学)

10:25-10:45 「史料」としての「日華文学」  廖 赤陽(武蔵野美術大学)

10:45-11:05 政治の中の台湾文学―李喬と陳映真をめぐる研討会  山田 敬三(神戸大学)

11:05-12:00 質疑、討論

舛谷 鋭(立教大学)

 

 中国、台湾の両岸および香港・マカオ以外の中国語文学である華文文学の研究は、日本においては1970年代から「左翼文学」として、シンガポール人研究者方修の文学史を拠り所に始められた。しかし方修は「革命文芸のマラヤ化」を示したかったわけでなく、自分と同じ潮州人作家の作品収集から出発しており、結果的に社会主義リアリズムの影響を受けた作品が集められていたに過ぎなかった。生田滋は1977年の『馬華新文学史稿』初版の英訳本(NOTES ON THE HISTORY OF MALAYAN CHINESE NEW LITERATURE 1920-1942)の中で地図上に掲載作家の出身地をプロットし、このことを実証している。

 華文文学の中でも蓄積の厚いマラヤ中国語文学(馬華文学)は、このように華人社会の「史料」として活用されてきた。会館から資金を、民族語教育から読者を、華字紙から発表場所をという具合に、華僑三宝いずれとも関わりの深い華文文学は、確かに華人社会の時代毎の問題意識や、生の声を知るための重要な情報を含んでいた。

 その後、研究傾向は作家個人へと踏み込んでいくが、華文文学は自費や助成金出版がほとんどで、華人社会の著述と出版についての価値感に支えられた様は一世一冊のタイの葬式本さながらで、これらを私小説として読むことも可能である。こうした作家のライフ・ヒストリー分析は、ミクロなレベルで華僑史を補強するものと位置付けられよう。

 その後ようやく、作品についての研究に至るが、本国以外の研究者は中国大陸を含め、相変わらず方修らの資料頼りで、明らかに作品テクストを読まずに書いているケースも見受けられる。数少ない本格的研究者(山東大の黄万華、中山大の朱崇科、後述の旅台馬華作家ら)からは、リアリズムの「誤読」など、個々人の資質について手厳しい評価を受けるが、前述のように日本的「私小説」という捉え方で文学作品としての評価が可能ではないかと発表者は考えている。

 中国大陸では文革後に台湾・香港文学研究から始められた海外華文文学研究だが、その後「世界華文文学」として、比較文学とセットで公式の研究領域の一つとなる。シンガポール・南洋大学の閉鎖(1980年)もあり、居住地域の高等教育から閉め出された華語系華人は台湾に向かい、「旅台」作家として台湾の大学に職を得て、研究執筆を続ける。彼ら(曁南国際大の黄錦樹、元智大の鍾怡雯、国立中山大の張錦忠、台北大の陳大為ら)の作品は台湾原住民文学とはまた違った意味で「エキゾチック」な台湾文学の一部として、王徳威(台湾大)らの評価を受け、ジャンルとして確定する。マレーシア在住の李天葆や黎紫書の台湾での出版や文学賞受賞など、90年代以降の馬華文学は、台湾での評価が一つの指標となっていることは否めない。旅台文学は確かに、華文文学が元々持ち合わせているポストコロニアリティーを有効に活かした作品群と言える。

 こうして、華文文学は華人社会、歴史を知るための「史料」から、文学研究の対象へと移行してきた。本分科会は、日本において数少ない、華文文学を自分のことばで語れる研究者が結集し、現段階での水準を示す最初の試みである。

葉 蕙(筑波大学大学院)

 

マレーシアにおける村上春樹受容の特色

 マレーシアにおける村上春樹の受容は、台湾・香港の村上現象を受けた、中国語圏社会から伝わってきたサブカルチャーの一種である。いわゆる日現象」は村上現象より先に生じていた。

 マレーシアでは華字紙学芸欄と文芸誌が文学作品にとって主要なメディアであり、加えて、インターネットブログによる「繰言」式のコメントも作品の報道と宣伝に拍車をかけた。こうした状況の下、すでにマレーシアには「村上チルドレン」が生まれている。

 マレーシアは複合民族・多言語国家であり、1980年代の「東方政策」下で若者たちは日本のポップカルチャーに関心を持ち始めた。1990年代には、「村上春樹現象」が台湾、香港からマレーシアへ、その後上海、北京、シンガポールへも伝播した。本稿ではマレーシアの中国語圏における日本文化受容の流れ、村上春樹文学の紹介・受容とマレーシアの華人文学(以降、馬華文学)への影響について論じる。

 

マレーシアにおける日本文化受容

 1980年代に日本ポップカルチャーの受容や「日現象」が起こった。元々マレーシア国民は外来文化に対する受容性が高く、特に華人社会は中国大陸や香港、台湾の伝統文化を受け継ぎ、日本文化をも多く受容してきた。

 

インターネット普及に伴う村上文学の影響

 ブログサイト「有人部落」は馬華文学の新人作家が集まる文学サイトで、そこで会員は自分の好きな文章を発表したり、文学談義をしたりできる。こうした作家、作品の中で、すでに「有人出版社」から32点の書籍が出版された。この中から、最新詩集『猫は熱帯原始森林に住んでいる』(2009)を例として紹介する。

 

華人文学への影響

 マレーシアの読者は日本語原本でなく台湾翻訳版の「村上春樹」を読んでいる。そうした村上作品を通じ、小説の中の消費記号であるジャズやスパゲッティ、西洋近現代小説・古典文学などが受け入れられている。さらに、より実際的に影響を受けた者もおり、たとえば馬華文学の若手作家たちやジャズピアニストなどに痕跡が見られる。

 

今後の課題

 マレーシア人は一般的にほとんど本を読まず、「文化砂漠」とも言われている。そうした中でマレーシアの華人作家の任務は、言うまでもなく自分たちの創作水準をさらに高め、出版条件を強化することにある。こうした状況の下、村上文学と馬華文学との相互関連性について研究することを今後の課題としたい。

帰国した馬華作家

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原 不二夫(南山大学)

 

 マラヤ(マレーシア、シンガポール)は、東南アジア諸国の中でも華人人口の比率が最も高く、「54運動」の時代から華語文学が隆盛した。20世紀初頭の華僑社会覚醒運動をもたらしたのが孫文や汪精衛の「革命派」だったように、文学運動においても中国から渡航した文人が重要な役割を果たした。この伝統はその後も引き継がれ、1920年代後半の抗日運動開始頃から人民共和国建国頃にかけて、多数の知識人が中国からマラヤに渡って文化活動に従事した。その主目的は、文学面での指導もあったが、抗日運動や反植民地運動への華僑社会の動員、という側面の方が強かったようだ。彼らの多くは、戦後の植民地当局による弾圧(19486月に非常事態宣言)のためもあって、強制送還か自発的意思により、中国に帰った。中国では、著作活動の傍ら人民共和国や共産党の要職に就く者が多かったが、中には執筆の伝えられなくなった者もいる。

 他方、マラヤ生まれでマラヤで作家としての地位を築きながら、中国に渡って「帰僑作家」の仲間入りした人々もいる。主に反植民地運動で強制退去となった若い知識人である。

 ここでは、この両者に分けて、各作家のマラヤ、中国それぞれにおける活動を中心に見るとともに、その意味、特質などについて検討したい。

開戦前夜のマラヤの華僑文化界に大きな影響を与えた人物には、他にも郁達夫など著名作家がいるが、ここでは中国帰国者に限る。また、主要作品名はそれぞれ12記したけれども、今回はその内容には立ち入らない。

 

1.      中国からマラヤに渡り、帰国した作家

 抗日運動の時代。渡来時、ほとんどが20代以上。マラヤでは抗日・反植民地活動。

滞在、最長は17年。帰国は強制送還(なかには地下の陸路逃亡者も)。

ほとんどが中共、民盟、致公党員。マ共との二重党員も。マ共と中共の党籍問題。

中国政府、党、文化団体における役職。文化大革命。

例外的な帰僑作家・周容。

2.      マラヤ生れの「帰僑」作家

 中国留学。多くがマ共党員、抗日・反植民地活動、40年代に強制退去。

中国では中央政府の役職なし。中共党員も少数。

マ共関係者の蕭村への高い評価。

廖 赤陽(武蔵野美術大学)

 

 本発表では、はじめに「日華文学」とは何かを定義し、これまでの作家と作品について、概要を紹介する。

 「日華文学」の作品を見渡すと、三つの時期に分かれていることが判明する。第一に留学生文学時期であり、第二に本土作家時期であり、第三に新華僑文学時期である。

 「日華文学」については三つのモデルと二つの伝統によって分析できる。一つは周縁、多元、頽廃と非主流モデルであり、もう一つは伝統の移民美学と正統道徳モデルで、最後に私小説風モデルがある。また、二つの伝統とは中国の大歴史と金銭文学である。

 2008年の第139回芥川賞に、中国籍の作家として史上初の受賞者として楊逸の『時が滲む朝』(文學界6月号)が選ばれた。これまで直木賞で前例はあったが、純文学対象の芥川賞では、在日韓国朝鮮人文学はあっても、在日中国人文学はなかった。

 以上のような状況から、「日華文学」に見る史料および心性と政治について検討したい。

山田 敬三(北京大学/神戸大学)

 

 両岸の研究者が一堂に会して共通のテーマでディスカッションするようになってから、すでに30年近い歳月が経過しています。学問の世界では一見、自由は謳歌されているのですが、しかし両岸問題に限っていえば、実際には「敏感」な要因がいつもはたらいていました。台湾の統一と独立をめぐるせめぎ合いです。そのため、数年前に参加した「世界華文文学国際シンポジウム」でも私の論文は論集から除外されました。そのとき中国の関係者は、私が「敏感」な問題にふれているので、口頭での報告はよいが文集には収録できないと、わざわざ釈明してくれました。

 80年代初期に行なった台湾での学術活動でもはっきりした反応がありました。この経過については、最近も日本現代中国学会のニューズレターでふれましたからここでは繰り返しませんが、戒厳令が生きていたころの国民党政権下では、文学者は常に政治家から警戒される存在でした。今そうしたタブーが完全になくなったわけではなく、むしろ以前とは異なる形での新しい規制の始まることも予想されるのですが、両岸関係の緊張は現国民党政権の下で、少なくとも表面的には劇的に解消しています。文学の分野でもそれは統一志向の強化、独立派の低調という形態で実現していると言えるでしょう。

 最近、その象徴的な二つのシンポジウムが台湾で開かれました。一つは一昨年4月、陳水扁政権の末期に台湾師範大学と台南の長栄大学で開催された「第五届台湾文化国際学術研討会」です。「李喬的文学与文化論述」と題して、独立志向の強い作家李喬の業績が三日間にわたって論議されました。

もう一つは本年9月に台北で開催された「陳映真創作活動五〇周年記念国際研討会」です。それを形式的に主催したのは文訊雑誌社という国民党傘下の文化機構です。この雑誌社はかつて国民党本部の置かれていたビルの一室(現在は長栄発基金会ビル)に、現政権から無料で事務所を提供され、国民党の方針に沿った文化活動を行っていることで知られる出版社ですが、それがかつて陳映真を逮捕し、政治犯として7年間も投獄した国民党の政策からいえば、とうてい相容れない文学者の功績を称えるために会議を主宰したことになります。

大陸でも台湾でも、政治と文学の関係は欧米や日本での常識では考えられないほど密接不可分です。華文文学についてもそうした現実は無視できません。ここでは、そんな中で創作に取り組んできた文学者の営為について少しふれてみたいと思います。

コメントと応答

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小野:僕はフランス文学を研究しております。今回四人の発表者の方々の報告をお聞きしていて、正直驚きました。このセッションは「作家、歴史、社会」ということで、現代文学がテーマになっていますが、僕の持っていた文学研究というイメージとはずいぶん違うものだったからです。フランス文学における文学研究というのは、作品なり作家なりを具体的に論じる、どこが面白いのか、どこがその作家の独自性なのか、特異性なのかをテクストを緻密に分析しながら明らかにしていくものです。自分にとって自明だったそのような読み方が、今日お話しをうかがっていると、全然自明ではないのだということがわかりました。その意味で、僕にとっていちばん馴染み深かったのは、一人の作家・詩人の思想を、そのテクストを提示して分析するという野平さんの発表でした。それ以外の方は、テクストではなくてむしろコンテクストの説明に力点を置いた発表だと思いました。最初の発表者の方は、テクスト分析も重要であると断った上で、歴史的・政治的コンテクストの分析をされ、他の二方はコンテクストの歴史的、社会的背景、トランスカルチュラルな背景を論じられました。作品や作家を取り囲む大きな枠組を論じられわけです。僕はまったくの門外漢なので、それはそれで面白かったんですが、やっぱり「作家、歴史、社会」ということで、作家名とか作品名も言及されていたわけですから、テクストの内容についてどこが面白いのかを例を挙げながら紹介していただきたかったというのが率直な感想です。「テクストの外部を見なさい、政治的な読解をしなさい、歴史的な読解というのをしなさい、テクストの内部に留まっていてはだめである」というのが、英米圏のポストコロニアル研究のいわば決まり文句であり、文学研究もそのような批判を受けて、それに答えるような研究をしてきた。ただし、そうは言っても、すばらしい作品には、それが持っている普遍的な価値や力があると思いますし、そのことを作品を論じる際に無視することはできないとも思います。「文学研究が前提としているその普遍性ってものが、西洋的なものではないか?」という批判的な問いかけが東南アジア研究からはあるのかもしれませんが、作品の強さとか美しさには、普遍的なものにつながるものが確かにあり、それを探し、それがどのように読む者の心を打つのかその仕組みを言語化しようと試みるのが、文学を研究することだという前提が、僕の知っているフランス文学研究にはあります。僕が研究対象としているのは、カリブ海のフランス語文学、フランスの旧植民地であり、いまは海外県となっている地域の文学です。この地域の文学には、本国フランスの文化と文学に同化しようとしてきた伝統があります。カリブ海の作家たちもフランス語で書くときは、当然だと思いますが、やっぱり「中心」であるフランス本国で認められたいという気持ちがあるようです。作家というのは誰か具体的な読者のためにではなくて、普遍的なものを実現するために書いているのだと思います。結局、僕がみなさんの発表を聞いて驚いたということは、要するに、僕が「フランス文学」という、ある種確立され自律した制度のなかにいることの何よりの証拠なのかもしれません。その制度のなかにいる限り、主要な作品と作家についての前提知識は研究者のあいだで共有されていると考えることができるので、いちいちそのコンテクストを説明しなくても、直接対象である作品について議論ができるということになりますから。一方、東南アジアというのは広く、いろんな文化があり、いろんな言語が存在しており、文学研究において、共有された前提知識というものがそもそも存在しないのかもしれません。そのような状況では、作品が産出され受容されるコンテクストを説明することなしに、個々の作家や作品について語っても、聞いている側にはなかなか伝わりにくいといことが確かにあるでしょう。東南アジア文学研究を、フランス文化や文学の研究との類比で考えること自体に無理があるのかもしれません。東南アジア学会、そして文学研究という大きな枠組みがあったとして、結局それぞれの作品や作家の「外部」について説明しなければ、文学を研究する者同士であっても交通することは難しいのだということは大きな発見でした。今日みなさんのお話しをうかがっていて、作品のどこが面白いのか、素晴らしいのかを明らかにすることが何よりも大事だと考えている僕自身の読み方というのが実はすごくナイーブなものじゃないのかと強く感じられもしまた。東南アジア研究に関わっている人を除けば、多くの読者は僕と同じように、そこでどんな作家たちがどんな作品を書いているのかほとんど知らないのではないでしょうか。コンテクストがわからないから、作品もわからない。これが日本における東南アジアの文学の置かれた状況だと思います。東南アジアには力強い作品がいっぱいあると思うのですけれど、そうした作品が翻訳され続けていけば、こうした状況もいつか変わるのではないでしょうか。東南アジア文学はより多くの読者にとって、より身近なものになり、背景知識をいちいち説明しなくても済むようになるはずです。たとえば、東南アジアの現代文学の翻訳には非常に注が多いので、普通の読者は驚くわけですね。でも東南アジアの文学作品が、これから翻訳されてどんどん流通するようになれば、コンテクスト的な説明をそこまで深くせずとも、作品の内容そのものについて具体的に論じやすくなってくるのだろうなと思います。

青山:今回の発表では、野平さんの発表でテクスト自体に入り込んでいく発表もあったわけですが、それ以外の三つの報告はコンテクストの問題を取り上げられている研究報告だったということで、改めて東南アジアの多様性とその中でコンテクストを共有する難しさということを指摘されたかと思います。

押川:今の小野さんのフランス語圏文学という視点あるいは立場からのコメントにつながるようなものにしたいと思います。今日四人の報告者の報告を聞いて、東南アジアの文学研究が新しい時代に入ったなという感じがいたします。日本で東南アジア文学研究がはじまって二十五年くらいだと思います。たとえば、今年の三月だったでしょうか、ブリタニカ百科事典の東南アジアの文学の項目が全面改訂になった。これは日本語版ですけれど、四十年くらい前に松山納先生が、東南アジア文学の全体の概要、各国の文学史を一人で担当されて、それがずっとこれまでブリタニカの百科事典に生きてきたわけですね。それはそれでたいへんな力業で、お一人が担当されるという積極的な意味もあると思うのですけれど、現在の視点から見て少し古い。それで今回四十年ぶりくらいに全面改訂することになり、東南アジアの国ごとに分担して、たとえば東南アジアの古典文学、各国の文学史についてかなり深い記述ができたと思います。いずれにしても、ここ二十五年くらい研究がなされてきて、百五十冊を超える単行本が日本語で翻訳刊行されている。これは一つの言語に東南アジアの文学作品が翻訳され出版されたケースとして、英語にもないし、フランス語やドイツ語にもない。世界で一番、我々は居ながらにしてフィリピンの文学や、インドネシア、タイの文学を日本語で読めるという特権的な位置にあるのだろうと思います。ただ、一方で先ほど小野さんが注の多さというのをおっしゃいましたけど、僕はこれを東南アジア文学の「注の呪縛」というふうに考えています。これがないとなかなか作品が読めない。しかし一方では、注の多さによって一般の読者を遠ざけている。そういう翻訳があり、二十五年の研究の蓄積がある。それらを踏まえて、批判的に新しい研究がようやくスタートするのかなと思います。小野さんのおっしゃったフランス語圏文学から見たコメントに対する応答として、こういうことを申し上げたい。それは、東南アジアあるいは東南アジア学会における文学研究の特殊性というものがあるということです。その特殊性というのは、一つは文学研究が我々の場合は地域研究の一環として行われてきたということ。それは具体的には文学が成立する社会的な基盤、歴史的背景を研究することで、当該の社会を、たとえば政治学や経済学といった社会科学的な視点、あるいは他の歴史学のような視点とはひと目盛りずらしたところから理解しようとしてきた。そのことによって、他のディシプリンによる東南アジア理解と併せて、トータルな理解ができるだろう。そういうことをたぶん東南アジアの文学研究というのは目指してきただろうと思うわけです。したがって、文学研究が地域研究の一環として成り立っていることと関係して、澤井さんの発表のときにテクスト分析だけでなく、という言い方をされましたが、実は東南アジア文学研究でテクスト分析というのはほとんどなされてこなかったと言っていい。少なくとも今日、野平さんがなさったようなかたちのテクスト分析は行われてこなかったと思います。それから、もう一点、東南アジア文学研究の特殊性の第二点は、今のことと関係しますけれど、東南アジア学会あるいは東南アジア学という知の制度あるいはアカデミズムの枠の中で、文学を研究してきたという特殊性があると思います。東南アジア学会には歴史学や経済学や国際関係論など、あらゆるジャンルの人が入っている。その中で文学研究を行い、発表するときに、我々はどうしても知の、アカデミズムの制度というものを前提にして、それを踏まえて研究せざるを得なかったと思います。それはもう少し具体的に言いますと、これまでの東南アジア文学研究というのは、ナショナリズムと絡めて文学をどう考えるのか、その枠組にとらわれてきた。あるいはそういう枠組に引っかかる作家や作品を取り上げて論じてきたと思うわけです。たとえば、具体的には、自分がやってきたことでもあるんですけれど、インドネシアのプラムディア・アナンタ・トゥールに代表させるようなかたちで、東南アジアの文学、近現代文学を語る。そのことが果たして妥当なのかということが、今日の皆さんの発表を聞いて突きつけられているような気がいたしました。ただ、一方では国民国家という枠組は揺らいでおりますけれど、依然として強固にあるわけで、それをたとえば、香港でのインドネシア人のお手伝いさんたちの文学実践が紹介されましたけれど、そういうものが、国民国家あるいはナショナリズム、ネイションという枠組の中で作家や作品を論じてきていたものを相対化し得るのかということは、そう簡単には行かないだろうという気がします。もう一点、四番目ですけれども、小野さんのフランス語圏文学との大きな違いですけれども、フランス語圏文学の場合にはテクスト研究あるいはテクスト分析が主流だということですが、東南アジア文学研究においてそれが不在だったことの大きな理由は、いわゆるリテラリーカノン(正典)というものが存在しなかった、それが不在だったことにあると思います。フランス文学会というものがあったとして、そこである作家のテクスト分析をするというのは、学会員にそれが読まれているということが前提ですね。だから読みの様々な可能性についてそこでは議論できる。そのような文学作品が、カノンが東南アジアでは見出しにくい。それからもう一点、カノンの不在とともに批評の不在というものがあったのだろうと思います。それは東南アジアのベトナムやインドネシアやフィリピンといった国の中で批評が不在であるということでもあり、我々研究する側でもそのようなことが、クリティークということが行われてこなかったということでもある。そんなことを小野さんの話をお聞きしながら考えました。最後にもう一点、コーディネータの青山さんのおっしゃったことですけれど、1990年頃を境に大きな現象が生じている、大きな物語から小さな物語への大きな転換が起こったのではないかと言われた。リオタールの言い方を念頭に置かれているのでしょうけれど、彼の言ったのは共産主義の崩壊とか教養主義的なものの衰退ということであって、ここでは大きな状況は描かない、あるいはプラムディアの四部作のように、長い歴史的なスパンでもって物語を描く、物語を展開する、そういう物語がなくなって、もう少し私的な、周辺的なことにテーマが移りつつあるのではないかという問題提起だったのだろうと思います。これは四人の発表者の方にそれぞれお伺いしたいのですけれど、一方ではたとえばベトナムで言えば、ドイモイ以降、ズオン・トゥー・フオンにしてもあるいはバオ・ニンにしても、依然として大きな物語という枠組が残っているわけです。東南アジア全体として大きな物語から小さな物語へというのがそれほど明示的に、普遍的な現象として起こってきているかどうかは、少し留保をつける必要があるだろうと思います。つまり1990年という問い方が果たして妥当なのか、そういう時代区分が妥当なのか。それからそれを境にして大きな物語から小さな物語への移行ということが四人の方々のそれぞれの国で起こっているかどうかをお聞きしたい。

青山:今のお話しは第一には小野さんのコメントに対するレスポンスで、東南アジアの文学研究でどうしてコンテクスト中心にならざるを得なかったのかを、東南アジア研究という知の枠組の方から説明がありました。やはり地域研究の一つとしてはじまったところがあり、政治なり社会なり国づくりの仕組みを考える一つの手がかりとして文学というのは使われてきた。逆に文学そのもの、テクストそのものの内容について突っ込んだ研究というのはされてこなかったということがある。それから、東南アジアのそれぞれの地域の現状として、リテラリーカノン、正典となるような作品が不在である、それから批評を行う伝統が不在である。それはなぜかという難しい問題があると思うんですけれど、たとえば継続的な伝統のある批評誌、ジャーナルがないということも批評の不在と絡んでくるのではないかと思います。それから最後に、私が趣旨説明で提起した問題ですけれど、1990年をはじめとする、ある十年間を境にしてある社会的変化が起こってきているわけですけれど、それに対応したような、文学の変化というのもあるのではないかという仮説です。あるとすれば、いわゆる大きな物語から小さな物語への変化。簡単な言い方をしましたけれども、午前中にも大きな物語というのは何かという疑問が提示されてのですけれど、インドネシアに引っかけて言いますと、プラムディアの作品というのは実は大きな物語として読まれてきたと思うのです。プラムディアの作品が大きな物語なのかということは、振り返ってみる必要があると思います。ミンケという一人の青年の成長の物語であり、様々な女性とのロマンスの物語であるという読みも十分可能であるのですけれど、こういう部分に注目しないで、あたかもインドネシアという国民国家、民族主義運動の大きなうねりという、大きな物語の中に回収してしまって分析したんだというところで終わっている。そういう分析の仕方が正しい分析の仕方であるという見方がかなり有力であったと思うんですね。それは我々の見方自体が最近の東南アジアの変化に対応して、もっと違った見方ができるのではないかという、見る方の研究する側の視点の変化もあると思います。現実には東南アジアの文学作品自体がそういう変化を起こしているのかどうかというのが一つの仮説として問題提起されるのではないかと思います。もちろんこれは仮説ですので、そんなことはないんだと、ベトナムの公式文学はそうではないんだとか、あるいは90年なんていう区切り自体が意味をなさないんだという反論がなされても構わないと思います。

澤井:まず先ほど私の発表に対するコメントをいただきましたので、それに対するレスポンスということで。最初にインドネシア語文学におけるテクスト研究というのがコンテクスト研究に比べて元々蓄積がないというか、テクスト研究が行われてこなかったというご指摘なんですけれども、確かに日本ではそうだという部分もあると思います。ただ、他の社会を見た場合に、私が見る限り蓄積があるのではないかと思います。まず日本の中でもこれまでに文学研究者そのものでなくても、たとえば白石隆、加藤剛先生等がテクスト研究を行っています。そして名前をざっとあげるだけでも、、マイヤー、、、、クラーク、これがざっと私が思いつくような研究者なんですけれども、この人たちの研究蓄積は私にとって示唆の大きいものでありまして、このようなテクスト分析の蓄積を踏まえた上で、これに相応するようなコンテクスト研究がこれからなされねばならないのではないかというのが、私の考えです。私の発表の意図に少し説明を加えさせていただきますと、先ほど確かに私は文学コミュニティというものを、香港に住むインドネシア人、移民労働者の文学コミュニティというものを取り上げ、国語文学というものが変わっている、そしてそれが当然ナショナリズムの概念の変わり方にも関わってくると主張したわけなんですけれども、その一例をもってたとえばナショナリズムについて相対化をしようと思ったわけではなく、この一つの例を取り上げることで何が見えてくるのかというようなお話しをしようとしたわけです。ですからこれは私の立ち位置から見えてきたナショナリズムの一つの変化の例であって、これは当然他の状況から見たナショナリズムの状況と整合性がなくて当然と思いますし、そういう意味で私の説というのも否定または批判されなければならないですし、それによってナショナリズムがどのように変わっていくかという方向性が見えてくると一番いいのではないかと思います。

青山:日本における特殊状況で、インドネシア国内外におけるテクスト研究はあるということで、むしろそこから逃れるために今回はコンテクスト研究をされたという話しだということだと思います。それから、ナショナリズムの相対化ということも、あくまで香港における文学コミュニティを通じて何が見えてくるのかという観点からの研究報告であって、今後より大きくナショナリズムの相対化につながっていくことができれば、ということだったと思います。

舛谷:今大学の中で非常に幸せな科目を持っていまして、一つは東南アジア文学というのを持っていて、もう一つは批評理論というのを持っていて、前期が批評理論で後期が東南アジア文学という、それが学科の必修科目という学部なんですが、やってて思うのは、前期の批評理論を学生は何とか我慢して聞いてくれるんですけれど、後期の東南アジア文学は非常に困るんです。先ほどあったように翻訳はいっぱいあるんですけれど、リテラリーカノンというか、おなじみの話みたいなのがない。それは今の日本やフランスの現代文学にしても同じと思います。今日もそうですけれど、ストーリーはさておき何か話しをするということになってしまって、学生のリアクションペーパーを見てもしんどいときがあって、どうしようかなと思います。前期の批評理論との絡みで言うと、先ほど「乳離れ論」というのを、乳というのは「文化中国」、もっとわかりやすく言えば中華文化圏、そこからどう離れていくかという議論について申し上げました。彼らのかなりの部分の文学がリアリズムです。言ってみれば平板なリアリズムでして、社会主義的リアリズムと言ったのは、「的」を入れているのはそういうところもあるんですが、日本の私小説とも違って、せいぜい読者反応論くらいのところで読めちゃうんです。テクスト分析というよりも、フェミニズム分析とかポストコロニアル批評とかいうことになってくるとちょっと別かもしれませんけれど、先ほど注の呪縛というのがありましたけれど、事物として「チック」という果物がどんな形か知ってる?というような注以外のところはそのまま読めてしまう作品が割と多い。ベトナム文学の方であったようなテクスト分析を提示できないところがある。今日やるとしたら、リー・テンポがクアラルンプールを描いた二、三行を取り出して、張愛玲の上海の描写を取り上げて比較するということはできたのかもしれないですが。時間の都合もありましたし、あまり意味を感じなかったのでやりませんでした。普遍性の問題ですが、はっきり言うと面白いか面白くないかということがあったと思うんですが、関係する問いとして誰に向かって書くかというのがありましたが、これは馬華文学ではある部分でははっきりしていて、みんな「自分」のために書いている、「自分」に向かって書いている。その上リアリズムなわけです。それでさっきタイの葬式本だと言ったのですが、普遍的なつよさと言われると若干困っちゃうところがあって、ただ、何人かの作家については、どうも普遍的なつよさを持っているようだ、と言いだしたのが台湾留学組の作家たちだった。ここで批評が生まれたのでしょうね。年代のことでたどっていくと、彼らが60年代生まれですから、批評をはじめるようになるのは90年代なんです。ということで、年代としては合うんですけれど、私常々世代論は信用してなくて、私が60年代生まれで、その人々によって、画期が行われたんだということについてはまだ留保したいので、もうちょっと証拠が欲しいのです。90年代のところで、今日出したような証拠が出ているのですけれど、本当にこれでお終いなのか?70年代生まれとか、もっと前の世代とか、批評はなかったのか?70年代は一人だけ確認しているんですけれど、あとはなかったと思うんですが、世代論のようなところには持っていきたくないので、今日お話ししたところで言うと、今のマレーシアの一エスニック文学の中の華人文学を三つに分けて言うことがありますが、マレー半島の文学と東マレーシアの文学と、それから海外、特に留学生の文学です。この留学生の文学から批評が発信されて、以前の社会主義的リアリズム派が陳腐化してきているのが現在の状況ではないかと思います。(と言いましたが、この種のリアリズムが批判的に捉えられるようになったのは、やはり90年前後の大状況なのでしょうね。世代論に回収仕切れないところは確かにあったと今は思います)

青山:今のお話しだと、テクスト分析をしていてもそれほどいい成果が取り出せないという

舛谷:比喩とか文彩とか、テクスト分析した方がわかる文学作品が出てきたから批評理論なんですよね。そうじゃない文学のところで批評理論は必要なんですか?

小野:フランス文学だったら批評というのが制度として成立するのが十九世紀なんです。フランス文学の自立化、制度化というものと批評というものの制度化。批評の対象とする文学というのをきちっと作り出す。それでテクスト分析と言うことが可能になる。そういう知的背景というのがあると思うのですが、マレーシアでは誰に向かって書くのか、自分に向かって書くと言っていて、そういう作家たちが批評も自分で書いている?

舛谷:それがたぶん以前の姿だったんでしょうね。友だち同士で書いていた。それはチャイニーズだけではないと思いますが。ところが、海外の留学生が、これ変じゃないか、こんなの文学じゃないよと言い出す。第一世代の1920年前後生まれの人に向かってダメを出す。それでびっくりして、大騒ぎになると言うのが90年代以降の状況なんです。

野平:テクスト分析を中心に発表させていただいたのですが、他の先生方の発表を聞かせていただいて、僕自身はコンテクストに関する分析が全くなかったなと、そこは反省する次第で、たとえばティエンという人の読者層がどれだけなのか、あるいは海外にいるベトナム人の文学コミュニティがいかなるものか、ということを今説明せよと言われてもなかなか難しい面がありまして。そうした面でそういう基礎的な研究、コンテクストの分析も改めてくわしくやる必要があると感じております。あまり最近のベトナム現代文学の動向というのは僕自身あまりわからない。今回発表したファム・コン・ティエンという作家が最初はちょっと過激なことを言うので面白いなというのでのめり込んだんですが、ただ、深く読んでいくと思想面になってくると僕には全く理解ができない点があって、それでそういう彼の言ってる思想というのはどういうことなのかということに、ずっと時間を費やしてしまいまして、それでもうちょっと幅広い研究というのができなかった、疎かになってしまったという点があるかと考えています。ただ、ファム・コン・ティエンを通じて、南北分断期の南ベトナムにおける文学というのがきちっと批評されていない、再評価されていないという部分もありますし、そういった部分で彼を突破口に研究するという方向で行ってたんですが、それから彼を通じて、彼は仏教徒なんですが、仏教的な考え方というのを僕自身は少しずつですが勉強しているつもりなんですが、それはまた現代の批評理論は欧米から出てきているものですが、それとは違った解釈というのが仏教的な観点からは違う世界の見方ができるのではないか。そして、ベトナムの古典の文作作品を鑑賞する場合に、やはり仏教思想がいかなるものかという、僕はまだ本当はわかっていないんですが、そういったものを知らなければ分からない部分があるんじゃないかなと思うんですね。たとえばグエン・ズーという作家が昔いまして、『金雲翹』というベトナム人だったら誰でも知ってる古典作品を書いた人ですが、その人が漢詩で「私は千回金剛般若経を読んだ。何だかよくわからなかった。あるとき突然無私、無であることこそ真の教えである」というふうに書いた漢文、漢詩があるんですが、その無というのも金剛般若経の論理というのは、鈴木大拙が言ったように「あるものがあるものと名付けられるのは、あるものでないからである」というような特異な論理が働いていると思いますし、それから一般的に言って西洋的な考え方というのはあるものが存在しているというのが前提になっていると思うんですが、それに対して、ティエンもそうですし、グエン・ズーの漢詩の中でもそうですが、無ということを言っている。それが果たして有無の対立の中で捉えられるの無であるか、決してそうではないと思うんですが、そういった点を今後考えていきたいかなと思っております。それから、批評の不在ということを押川先生、指摘されましたが、ベトナムについてはあるのではないかなと思うんですけれど。1930年代にはベトナムの詩人のアンソロジーが出ますが、その中で一人一人のいい作品をピックアップして、紹介、批評を書いている。それから、最近でも具体的な名前を出せばムエン・フン・クオクという新進の批評家が出ていて、ベトナム文学というのは自分たちの国に閉じこもっていてはだめで、たとえばポストモダニズムだとか、新しい潮流を受け入れろだとかという提言をしている批評家もおります。

青山:まずテクストの面白さというのが小野さんから指摘されましたけれど、それを考える前に、今回扱ったファム・コン・ティエンの場合、彼の基盤になった仏教思想自体を理解することを通じて、作品の面白さがつかめるのではないかという指摘だったと思います。それから批評に関しても、東南アジアの多様性ということに戻ってくるのではないかと思いますが、ベトナムの場合、おそらく中国由来の批評の伝統があるのではというご指摘でした。

野平:もう一点だけ、「物語」ということばなんですが、これはフランス語ではレシですか?一つのことばだけとって何か言うつもりはないんですが、レシあるいはナラティブと「物語」がイコールで結びつけられるか、翻訳の問題になってきますけれども。たとえば「もの」という日本語の場合には「ものがなしい」とか「ものすごい」とかそういう場合の「もの」であるわけです。そういう一つ一つのことばが本当にイコールで結びつけられるのか、僕は疑問に思っています。

岡田:カンボジアの場合にはテクスト批評というのはあまり見受けられないと思います。今思い出したんですけれど、先ほど紹介した文学ジャーナルに載っていることがありまして、その中で詩人というか大御所ではないですけれど、その人が短編小説というのはそもそも文学ではない、小説ではない。長編小説が重視されていて、短編の小説もそもそも散文というのは詩の延長線上にあるべきだから、もっと美しい語彙、サンスクリットとかパーリ語のことばというものを使うべきだから、文学ジャーナルに載っているような短編小説は短編小説とは言わないのだというのが、外から見るとカンボジアの国内のいるカンボジアの人が違う捉え方をしているのだなと感じました。1990年という区切りについて、私の報告のときに言いましたが妥当だと思うんです。こういう雑誌が出てますよと紹介したんですけれど、詩は少ない紙面で済むんですが、実際には小説の方は発表の場は1980年代より少なくなっているのではないかという感じがしてます。1980年代というのは社会主義国で、すべて国家統制されていましたので、党の宣伝のための手段として一定量は出版されていた。それとは別に闇で手書きで恋愛小説を書きまして、みんな手で写したものが、小説読むのが好きな人にはやったり、タイ・カンボジア国境の難民キャンプの方へ渡っていたりということがありますので、公式のルートとそうじゃないところと発表の場が多かったのではないかと思います。実際に自費出版に限られ、ほぼ自費出版に近いかたちですから、先ほど紹介した二名の作家しか出版できないということで、新聞には文芸のページというのはありませんので、どちらかというと最近は小説よりも歴史物の翻訳ですとか、韓国ドラマのまとめとかが載るのが多くなっているので、そういう意味でも1990年を境にかなり変わったと思います。

第80回東南アジア学会研究大会シンポジウム
2008年11月30日,東京大学駒場キャンパス

9:30-9:35 趣旨説明
青山 亨 (東京外国語大学)

9:35-10:05 発表1
インドネシア:「文学コミュニティ」から見える文学実践の多様化
澤井志保 (東京外国語大学大学院/香港中文大学大学院)

10:05-10:35 発表2
マレーシア:多民族社会の中の華人文学
舛谷 鋭 (立教大学)

10:35-11:05 発表3
ベトナム:ファム・コン・ティエンの詩学
野平宗弘 (廈門大学外文学院)

11:05-11:20 休憩

11:20-11:50 発表4
タイ:タイ現代文学の登場と新ジャンルの挑戦
アット・ブンナーク (タイ中小企業開発銀行)

11:50-12:20 発表5
カンボジア:内戦終結後からの再出発
岡田知子 (東京外国語大学)

12:20-13:30 昼食休憩
13:30-14:30 会員総会

14:45-15:00 コメント1
小野正嗣 (明治学院大学)

15:00-15:15 コメント2
押川典昭 (大東文化大学)

15:15-16:15 総合討論

岡田知子(東京外国語大学)

 社会経済の復興・発展途上にあるカンボジアでは、文学はいまだ模索状態にある。本発表では、大量消費される恋愛小説、文学賞応募小説・投稿詩の社会的役割、ポスト・ジェノサイド文学の出現の3点に焦点をあてて概観する。
 カンボジアでは長らく続いた内戦が終結、1990年前後を境に急激な社会変革が始り、1993年にカンボジア王国が誕生した。法律上、言論の自由が認められるようになり、多くの新聞、雑誌が発行され始めた。そこには伝統的価値観に沿った恋愛小説が掲載される一方、直接的な性愛描写を入れるなど、それまでのタブーを破った小説には、新しい価値観や解放感が読み取れる。
現在まで職業作家として活躍しているのは、2名の女性作家、マウ・ソムナーン(1959-)、パル・ヴァンナリーレアク(1954-)であり、書き下ろしの単行本を次々と出版している。いわゆるフォーミュラ・ロマンスである一連の作品群では、洒落た文体や難解な語彙を使用せず、強い政治的主張、痛烈な社会批判はない。同時代の都会を舞台に、富裕層の生活スタイルがふんだんに盛り込まれており、わかりやすい筋立てで展開も速い点が読者をひきつけている。体現化された美徳としての若さと美貌を備えた女性主人公は、「純潔を守る」という伝統的性規範を踏襲しているが、それはカンボジア人女性のアイデンティティとして再評価されている。同時に女性の行動領域の拡大、親子関係のありかたなどに新しい価値観が見られる。ただどの作家も「作家は教育者」という立場は崩しておらず、作品は娯楽のためだけではなく若い女性のための規範書としても読める。
 一般人が実名で社会に訴える場がまだ少ないカンボジアでは、文学賞への応募短編小説や新聞雑誌の投稿詩が、一般人の意見投稿としての役割を果たしている。動物や神々を登場人物にして風刺的に貧困、汚職、伝統崩壊、遺跡盗掘など社会・政治批判したものが多い。特に詩は、紙幅をとらないことから掲載の機会が多く、またそれぞれ決まった吟唱法を持つ伝統的な定型詩で書かれることにより、読者も容易に感情を共有できることができると考えられる。
ポスト・ジェノサイド文学とは、ここではポル・ポト政権時代の人民の苦しみを物語った小説や個人体験を綴ったものとする。前者は、1980年代の社会主義リアリズム小説に類似しており、ポル・ポト政権崩壊の記念日を冠した「一月七日文学賞」の受賞作品にその特徴が見られた。後者については、ディアスポラによって書かれた作品を、カンボジア語に翻訳し、出版したものが圧倒的に多い。現在でもクメール・ルージュの国際法廷での審議は続いており、国内での公的な評価が定まっていないためか、国内のカンボジア人による作品はまだ少ない。その中でも、たとえば一般庶民による記録である『地獄の一三六六日間―ポル・ポト政権下での真実』(オム・ソンバット著)では、当時の悲惨な体験が生々しく描かれる一方で、強制労働の末、完成した水利施設に感動するなど、一概に「ポル・ポト政権の圧制での被害」だけを訴えているものではない。
 カンボジア人ディアスポラからのカンボジア国内のさまざまな文学、文化活動に関するコミットメントも少なくない。それはインターネット・ラジオを通した情報発信にはじまり、文学研究者、作家、映像作家、舞踏家、音楽家など幅広い分野にわたっている。

アット・ブンナーク(タイ中小企業開発銀行)

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