小野:僕はフランス文学を研究しております。今回四人の発表者の方々の報告をお聞きしていて、正直驚きました。このセッションは「作家、歴史、社会」ということで、現代文学がテーマになっていますが、僕の持っていた文学研究というイメージとはずいぶん違うものだったからです。フランス文学における文学研究というのは、作品なり作家なりを具体的に論じる、どこが面白いのか、どこがその作家の独自性なのか、特異性なのかをテクストを緻密に分析しながら明らかにしていくものです。自分にとって自明だったそのような読み方が、今日お話しをうかがっていると、全然自明ではないのだということがわかりました。その意味で、僕にとっていちばん馴染み深かったのは、一人の作家・詩人の思想を、そのテクストを提示して分析するという野平さんの発表でした。それ以外の方は、テクストではなくてむしろコンテクストの説明に力点を置いた発表だと思いました。最初の発表者の方は、テクスト分析も重要であると断った上で、歴史的・政治的コンテクストの分析をされ、他の二方はコンテクストの歴史的、社会的背景、トランスカルチュラルな背景を論じられました。作品や作家を取り囲む大きな枠組を論じられわけです。僕はまったくの門外漢なので、それはそれで面白かったんですが、やっぱり「作家、歴史、社会」ということで、作家名とか作品名も言及されていたわけですから、テクストの内容についてどこが面白いのかを例を挙げながら紹介していただきたかったというのが率直な感想です。「テクストの外部を見なさい、政治的な読解をしなさい、歴史的な読解というのをしなさい、テクストの内部に留まっていてはだめである」というのが、英米圏のポストコロニアル研究のいわば決まり文句であり、文学研究もそのような批判を受けて、それに答えるような研究をしてきた。ただし、そうは言っても、すばらしい作品には、それが持っている普遍的な価値や力があると思いますし、そのことを作品を論じる際に無視することはできないとも思います。「文学研究が前提としているその普遍性ってものが、西洋的なものではないか?」という批判的な問いかけが東南アジア研究からはあるのかもしれませんが、作品の強さとか美しさには、普遍的なものにつながるものが確かにあり、それを探し、それがどのように読む者の心を打つのかその仕組みを言語化しようと試みるのが、文学を研究することだという前提が、僕の知っているフランス文学研究にはあります。僕が研究対象としているのは、カリブ海のフランス語文学、フランスの旧植民地であり、いまは海外県となっている地域の文学です。この地域の文学には、本国フランスの文化と文学に同化しようとしてきた伝統があります。カリブ海の作家たちもフランス語で書くときは、当然だと思いますが、やっぱり「中心」であるフランス本国で認められたいという気持ちがあるようです。作家というのは誰か具体的な読者のためにではなくて、普遍的なものを実現するために書いているのだと思います。結局、僕がみなさんの発表を聞いて驚いたということは、要するに、僕が「フランス文学」という、ある種確立され自律した制度のなかにいることの何よりの証拠なのかもしれません。その制度のなかにいる限り、主要な作品と作家についての前提知識は研究者のあいだで共有されていると考えることができるので、いちいちそのコンテクストを説明しなくても、直接対象である作品について議論ができるということになりますから。一方、東南アジアというのは広く、いろんな文化があり、いろんな言語が存在しており、文学研究において、共有された前提知識というものがそもそも存在しないのかもしれません。そのような状況では、作品が産出され受容されるコンテクストを説明することなしに、個々の作家や作品について語っても、聞いている側にはなかなか伝わりにくいといことが確かにあるでしょう。東南アジア文学研究を、フランス文化や文学の研究との類比で考えること自体に無理があるのかもしれません。東南アジア学会、そして文学研究という大きな枠組みがあったとして、結局それぞれの作品や作家の「外部」について説明しなければ、文学を研究する者同士であっても交通することは難しいのだということは大きな発見でした。今日みなさんのお話しをうかがっていて、作品のどこが面白いのか、素晴らしいのかを明らかにすることが何よりも大事だと考えている僕自身の読み方というのが実はすごくナイーブなものじゃないのかと強く感じられもしまた。東南アジア研究に関わっている人を除けば、多くの読者は僕と同じように、そこでどんな作家たちがどんな作品を書いているのかほとんど知らないのではないでしょうか。コンテクストがわからないから、作品もわからない。これが日本における東南アジアの文学の置かれた状況だと思います。東南アジアには力強い作品がいっぱいあると思うのですけれど、そうした作品が翻訳され続けていけば、こうした状況もいつか変わるのではないでしょうか。東南アジア文学はより多くの読者にとって、より身近なものになり、背景知識をいちいち説明しなくても済むようになるはずです。たとえば、東南アジアの現代文学の翻訳には非常に注が多いので、普通の読者は驚くわけですね。でも東南アジアの文学作品が、これから翻訳されてどんどん流通するようになれば、コンテクスト的な説明をそこまで深くせずとも、作品の内容そのものについて具体的に論じやすくなってくるのだろうなと思います。
青山:今回の発表では、野平さんの発表でテクスト自体に入り込んでいく発表もあったわけですが、それ以外の三つの報告はコンテクストの問題を取り上げられている研究報告だったということで、改めて東南アジアの多様性とその中でコンテクストを共有する難しさということを指摘されたかと思います。
押川:今の小野さんのフランス語圏文学という視点あるいは立場からのコメントにつながるようなものにしたいと思います。今日四人の報告者の報告を聞いて、東南アジアの文学研究が新しい時代に入ったなという感じがいたします。日本で東南アジア文学研究がはじまって二十五年くらいだと思います。たとえば、今年の三月だったでしょうか、ブリタニカ百科事典の東南アジアの文学の項目が全面改訂になった。これは日本語版ですけれど、四十年くらい前に松山納先生が、東南アジア文学の全体の概要、各国の文学史を一人で担当されて、それがずっとこれまでブリタニカの百科事典に生きてきたわけですね。それはそれでたいへんな力業で、お一人が担当されるという積極的な意味もあると思うのですけれど、現在の視点から見て少し古い。それで今回四十年ぶりくらいに全面改訂することになり、東南アジアの国ごとに分担して、たとえば東南アジアの古典文学、各国の文学史についてかなり深い記述ができたと思います。いずれにしても、ここ二十五年くらい研究がなされてきて、百五十冊を超える単行本が日本語で翻訳刊行されている。これは一つの言語に東南アジアの文学作品が翻訳され出版されたケースとして、英語にもないし、フランス語やドイツ語にもない。世界で一番、我々は居ながらにしてフィリピンの文学や、インドネシア、タイの文学を日本語で読めるという特権的な位置にあるのだろうと思います。ただ、一方で先ほど小野さんが注の多さというのをおっしゃいましたけど、僕はこれを東南アジア文学の「注の呪縛」というふうに考えています。これがないとなかなか作品が読めない。しかし一方では、注の多さによって一般の読者を遠ざけている。そういう翻訳があり、二十五年の研究の蓄積がある。それらを踏まえて、批判的に新しい研究がようやくスタートするのかなと思います。小野さんのおっしゃったフランス語圏文学から見たコメントに対する応答として、こういうことを申し上げたい。それは、東南アジアあるいは東南アジア学会における文学研究の特殊性というものがあるということです。その特殊性というのは、一つは文学研究が我々の場合は地域研究の一環として行われてきたということ。それは具体的には文学が成立する社会的な基盤、歴史的背景を研究することで、当該の社会を、たとえば政治学や経済学といった社会科学的な視点、あるいは他の歴史学のような視点とはひと目盛りずらしたところから理解しようとしてきた。そのことによって、他のディシプリンによる東南アジア理解と併せて、トータルな理解ができるだろう。そういうことをたぶん東南アジアの文学研究というのは目指してきただろうと思うわけです。したがって、文学研究が地域研究の一環として成り立っていることと関係して、澤井さんの発表のときにテクスト分析だけでなく、という言い方をされましたが、実は東南アジア文学研究でテクスト分析というのはほとんどなされてこなかったと言っていい。少なくとも今日、野平さんがなさったようなかたちのテクスト分析は行われてこなかったと思います。それから、もう一点、東南アジア文学研究の特殊性の第二点は、今のことと関係しますけれど、東南アジア学会あるいは東南アジア学という知の制度あるいはアカデミズムの枠の中で、文学を研究してきたという特殊性があると思います。東南アジア学会には歴史学や経済学や国際関係論など、あらゆるジャンルの人が入っている。その中で文学研究を行い、発表するときに、我々はどうしても知の、アカデミズムの制度というものを前提にして、それを踏まえて研究せざるを得なかったと思います。それはもう少し具体的に言いますと、これまでの東南アジア文学研究というのは、ナショナリズムと絡めて文学をどう考えるのか、その枠組にとらわれてきた。あるいはそういう枠組に引っかかる作家や作品を取り上げて論じてきたと思うわけです。たとえば、具体的には、自分がやってきたことでもあるんですけれど、インドネシアのプラムディア・アナンタ・トゥールに代表させるようなかたちで、東南アジアの文学、近現代文学を語る。そのことが果たして妥当なのかということが、今日の皆さんの発表を聞いて突きつけられているような気がいたしました。ただ、一方では国民国家という枠組は揺らいでおりますけれど、依然として強固にあるわけで、それをたとえば、香港でのインドネシア人のお手伝いさんたちの文学実践が紹介されましたけれど、そういうものが、国民国家あるいはナショナリズム、ネイションという枠組の中で作家や作品を論じてきていたものを相対化し得るのかということは、そう簡単には行かないだろうという気がします。もう一点、四番目ですけれども、小野さんのフランス語圏文学との大きな違いですけれども、フランス語圏文学の場合にはテクスト研究あるいはテクスト分析が主流だということですが、東南アジア文学研究においてそれが不在だったことの大きな理由は、いわゆるリテラリーカノン(正典)というものが存在しなかった、それが不在だったことにあると思います。フランス文学会というものがあったとして、そこである作家のテクスト分析をするというのは、学会員にそれが読まれているということが前提ですね。だから読みの様々な可能性についてそこでは議論できる。そのような文学作品が、カノンが東南アジアでは見出しにくい。それからもう一点、カノンの不在とともに批評の不在というものがあったのだろうと思います。それは東南アジアのベトナムやインドネシアやフィリピンといった国の中で批評が不在であるということでもあり、我々研究する側でもそのようなことが、クリティークということが行われてこなかったということでもある。そんなことを小野さんの話をお聞きしながら考えました。最後にもう一点、コーディネータの青山さんのおっしゃったことですけれど、1990年頃を境に大きな現象が生じている、大きな物語から小さな物語への大きな転換が起こったのではないかと言われた。リオタールの言い方を念頭に置かれているのでしょうけれど、彼の言ったのは共産主義の崩壊とか教養主義的なものの衰退ということであって、ここでは大きな状況は描かない、あるいはプラムディアの四部作のように、長い歴史的なスパンでもって物語を描く、物語を展開する、そういう物語がなくなって、もう少し私的な、周辺的なことにテーマが移りつつあるのではないかという問題提起だったのだろうと思います。これは四人の発表者の方にそれぞれお伺いしたいのですけれど、一方ではたとえばベトナムで言えば、ドイモイ以降、ズオン・トゥー・フオンにしてもあるいはバオ・ニンにしても、依然として大きな物語という枠組が残っているわけです。東南アジア全体として大きな物語から小さな物語へというのがそれほど明示的に、普遍的な現象として起こってきているかどうかは、少し留保をつける必要があるだろうと思います。つまり1990年という問い方が果たして妥当なのか、そういう時代区分が妥当なのか。それからそれを境にして大きな物語から小さな物語への移行ということが四人の方々のそれぞれの国で起こっているかどうかをお聞きしたい。
青山:今のお話しは第一には小野さんのコメントに対するレスポンスで、東南アジアの文学研究でどうしてコンテクスト中心にならざるを得なかったのかを、東南アジア研究という知の枠組の方から説明がありました。やはり地域研究の一つとしてはじまったところがあり、政治なり社会なり国づくりの仕組みを考える一つの手がかりとして文学というのは使われてきた。逆に文学そのもの、テクストそのものの内容について突っ込んだ研究というのはされてこなかったということがある。それから、東南アジアのそれぞれの地域の現状として、リテラリーカノン、正典となるような作品が不在である、それから批評を行う伝統が不在である。それはなぜかという難しい問題があると思うんですけれど、たとえば継続的な伝統のある批評誌、ジャーナルがないということも批評の不在と絡んでくるのではないかと思います。それから最後に、私が趣旨説明で提起した問題ですけれど、1990年をはじめとする、ある十年間を境にしてある社会的変化が起こってきているわけですけれど、それに対応したような、文学の変化というのもあるのではないかという仮説です。あるとすれば、いわゆる大きな物語から小さな物語への変化。簡単な言い方をしましたけれども、午前中にも大きな物語というのは何かという疑問が提示されてのですけれど、インドネシアに引っかけて言いますと、プラムディアの作品というのは実は大きな物語として読まれてきたと思うのです。プラムディアの作品が大きな物語なのかということは、振り返ってみる必要があると思います。ミンケという一人の青年の成長の物語であり、様々な女性とのロマンスの物語であるという読みも十分可能であるのですけれど、こういう部分に注目しないで、あたかもインドネシアという国民国家、民族主義運動の大きなうねりという、大きな物語の中に回収してしまって分析したんだというところで終わっている。そういう分析の仕方が正しい分析の仕方であるという見方がかなり有力であったと思うんですね。それは我々の見方自体が最近の東南アジアの変化に対応して、もっと違った見方ができるのではないかという、見る方の研究する側の視点の変化もあると思います。現実には東南アジアの文学作品自体がそういう変化を起こしているのかどうかというのが一つの仮説として問題提起されるのではないかと思います。もちろんこれは仮説ですので、そんなことはないんだと、ベトナムの公式文学はそうではないんだとか、あるいは90年なんていう区切り自体が意味をなさないんだという反論がなされても構わないと思います。
澤井:まず先ほど私の発表に対するコメントをいただきましたので、それに対するレスポンスということで。最初にインドネシア語文学におけるテクスト研究というのがコンテクスト研究に比べて元々蓄積がないというか、テクスト研究が行われてこなかったというご指摘なんですけれども、確かに日本ではそうだという部分もあると思います。ただ、他の社会を見た場合に、私が見る限り蓄積があるのではないかと思います。まず日本の中でもこれまでに文学研究者そのものでなくても、たとえば白石隆、加藤剛先生等がテクスト研究を行っています。そして名前をざっとあげるだけでも、、マイヤー、、、、クラーク、これがざっと私が思いつくような研究者なんですけれども、この人たちの研究蓄積は私にとって示唆の大きいものでありまして、このようなテクスト分析の蓄積を踏まえた上で、これに相応するようなコンテクスト研究がこれからなされねばならないのではないかというのが、私の考えです。私の発表の意図に少し説明を加えさせていただきますと、先ほど確かに私は文学コミュニティというものを、香港に住むインドネシア人、移民労働者の文学コミュニティというものを取り上げ、国語文学というものが変わっている、そしてそれが当然ナショナリズムの概念の変わり方にも関わってくると主張したわけなんですけれども、その一例をもってたとえばナショナリズムについて相対化をしようと思ったわけではなく、この一つの例を取り上げることで何が見えてくるのかというようなお話しをしようとしたわけです。ですからこれは私の立ち位置から見えてきたナショナリズムの一つの変化の例であって、これは当然他の状況から見たナショナリズムの状況と整合性がなくて当然と思いますし、そういう意味で私の説というのも否定または批判されなければならないですし、それによってナショナリズムがどのように変わっていくかという方向性が見えてくると一番いいのではないかと思います。
青山:日本における特殊状況で、インドネシア国内外におけるテクスト研究はあるということで、むしろそこから逃れるために今回はコンテクスト研究をされたという話しだということだと思います。それから、ナショナリズムの相対化ということも、あくまで香港における文学コミュニティを通じて何が見えてくるのかという観点からの研究報告であって、今後より大きくナショナリズムの相対化につながっていくことができれば、ということだったと思います。
舛谷:今大学の中で非常に幸せな科目を持っていまして、一つは東南アジア文学というのを持っていて、もう一つは批評理論というのを持っていて、前期が批評理論で後期が東南アジア文学という、それが学科の必修科目という学部なんですが、やってて思うのは、前期の批評理論を学生は何とか我慢して聞いてくれるんですけれど、後期の東南アジア文学は非常に困るんです。先ほどあったように翻訳はいっぱいあるんですけれど、リテラリーカノンというか、おなじみの話みたいなのがない。それは今の日本やフランスの現代文学にしても同じと思います。今日もそうですけれど、ストーリーはさておき何か話しをするということになってしまって、学生のリアクションペーパーを見てもしんどいときがあって、どうしようかなと思います。前期の批評理論との絡みで言うと、先ほど「乳離れ論」というのを、乳というのは「文化中国」、もっとわかりやすく言えば中華文化圏、そこからどう離れていくかという議論について申し上げました。彼らのかなりの部分の文学がリアリズムです。言ってみれば平板なリアリズムでして、社会主義的リアリズムと言ったのは、「的」を入れているのはそういうところもあるんですが、日本の私小説とも違って、せいぜい読者反応論くらいのところで読めちゃうんです。テクスト分析というよりも、フェミニズム分析とかポストコロニアル批評とかいうことになってくるとちょっと別かもしれませんけれど、先ほど注の呪縛というのがありましたけれど、事物として「チック」という果物がどんな形か知ってる?というような注以外のところはそのまま読めてしまう作品が割と多い。ベトナム文学の方であったようなテクスト分析を提示できないところがある。今日やるとしたら、リー・テンポがクアラルンプールを描いた二、三行を取り出して、張愛玲の上海の描写を取り上げて比較するということはできたのかもしれないですが。時間の都合もありましたし、あまり意味を感じなかったのでやりませんでした。普遍性の問題ですが、はっきり言うと面白いか面白くないかということがあったと思うんですが、関係する問いとして誰に向かって書くかというのがありましたが、これは馬華文学ではある部分でははっきりしていて、みんな「自分」のために書いている、「自分」に向かって書いている。その上リアリズムなわけです。それでさっきタイの葬式本だと言ったのですが、普遍的なつよさと言われると若干困っちゃうところがあって、ただ、何人かの作家については、どうも普遍的なつよさを持っているようだ、と言いだしたのが台湾留学組の作家たちだった。ここで批評が生まれたのでしょうね。年代のことでたどっていくと、彼らが60年代生まれですから、批評をはじめるようになるのは90年代なんです。ということで、年代としては合うんですけれど、私常々世代論は信用してなくて、私が60年代生まれで、その人々によって、画期が行われたんだということについてはまだ留保したいので、もうちょっと証拠が欲しいのです。90年代のところで、今日出したような証拠が出ているのですけれど、本当にこれでお終いなのか?70年代生まれとか、もっと前の世代とか、批評はなかったのか?70年代は一人だけ確認しているんですけれど、あとはなかったと思うんですが、世代論のようなところには持っていきたくないので、今日お話ししたところで言うと、今のマレーシアの一エスニック文学の中の華人文学を三つに分けて言うことがありますが、マレー半島の文学と東マレーシアの文学と、それから海外、特に留学生の文学です。この留学生の文学から批評が発信されて、以前の社会主義的リアリズム派が陳腐化してきているのが現在の状況ではないかと思います。(と言いましたが、この種のリアリズムが批判的に捉えられるようになったのは、やはり90年前後の大状況なのでしょうね。世代論に回収仕切れないところは確かにあったと今は思います)
青山:今のお話しだと、テクスト分析をしていてもそれほどいい成果が取り出せないという
舛谷:比喩とか文彩とか、テクスト分析した方がわかる文学作品が出てきたから批評理論なんですよね。そうじゃない文学のところで批評理論は必要なんですか?
小野:フランス文学だったら批評というのが制度として成立するのが十九世紀なんです。フランス文学の自立化、制度化というものと批評というものの制度化。批評の対象とする文学というのをきちっと作り出す。それでテクスト分析と言うことが可能になる。そういう知的背景というのがあると思うのですが、マレーシアでは誰に向かって書くのか、自分に向かって書くと言っていて、そういう作家たちが批評も自分で書いている?
舛谷:それがたぶん以前の姿だったんでしょうね。友だち同士で書いていた。それはチャイニーズだけではないと思いますが。ところが、海外の留学生が、これ変じゃないか、こんなの文学じゃないよと言い出す。第一世代の1920年前後生まれの人に向かってダメを出す。それでびっくりして、大騒ぎになると言うのが90年代以降の状況なんです。
野平:テクスト分析を中心に発表させていただいたのですが、他の先生方の発表を聞かせていただいて、僕自身はコンテクストに関する分析が全くなかったなと、そこは反省する次第で、たとえばティエンという人の読者層がどれだけなのか、あるいは海外にいるベトナム人の文学コミュニティがいかなるものか、ということを今説明せよと言われてもなかなか難しい面がありまして。そうした面でそういう基礎的な研究、コンテクストの分析も改めてくわしくやる必要があると感じております。あまり最近のベトナム現代文学の動向というのは僕自身あまりわからない。今回発表したファム・コン・ティエンという作家が最初はちょっと過激なことを言うので面白いなというのでのめり込んだんですが、ただ、深く読んでいくと思想面になってくると僕には全く理解ができない点があって、それでそういう彼の言ってる思想というのはどういうことなのかということに、ずっと時間を費やしてしまいまして、それでもうちょっと幅広い研究というのができなかった、疎かになってしまったという点があるかと考えています。ただ、ファム・コン・ティエンを通じて、南北分断期の南ベトナムにおける文学というのがきちっと批評されていない、再評価されていないという部分もありますし、そういった部分で彼を突破口に研究するという方向で行ってたんですが、それから彼を通じて、彼は仏教徒なんですが、仏教的な考え方というのを僕自身は少しずつですが勉強しているつもりなんですが、それはまた現代の批評理論は欧米から出てきているものですが、それとは違った解釈というのが仏教的な観点からは違う世界の見方ができるのではないか。そして、ベトナムの古典の文作作品を鑑賞する場合に、やはり仏教思想がいかなるものかという、僕はまだ本当はわかっていないんですが、そういったものを知らなければ分からない部分があるんじゃないかなと思うんですね。たとえばグエン・ズーという作家が昔いまして、『金雲翹』というベトナム人だったら誰でも知ってる古典作品を書いた人ですが、その人が漢詩で「私は千回金剛般若経を読んだ。何だかよくわからなかった。あるとき突然無私、無であることこそ真の教えである」というふうに書いた漢文、漢詩があるんですが、その無というのも金剛般若経の論理というのは、鈴木大拙が言ったように「あるものがあるものと名付けられるのは、あるものでないからである」というような特異な論理が働いていると思いますし、それから一般的に言って西洋的な考え方というのはあるものが存在しているというのが前提になっていると思うんですが、それに対して、ティエンもそうですし、グエン・ズーの漢詩の中でもそうですが、無ということを言っている。それが果たして有無の対立の中で捉えられるの無であるか、決してそうではないと思うんですが、そういった点を今後考えていきたいかなと思っております。それから、批評の不在ということを押川先生、指摘されましたが、ベトナムについてはあるのではないかなと思うんですけれど。1930年代にはベトナムの詩人のアンソロジーが出ますが、その中で一人一人のいい作品をピックアップして、紹介、批評を書いている。それから、最近でも具体的な名前を出せばムエン・フン・クオクという新進の批評家が出ていて、ベトナム文学というのは自分たちの国に閉じこもっていてはだめで、たとえばポストモダニズムだとか、新しい潮流を受け入れろだとかという提言をしている批評家もおります。
青山:まずテクストの面白さというのが小野さんから指摘されましたけれど、それを考える前に、今回扱ったファム・コン・ティエンの場合、彼の基盤になった仏教思想自体を理解することを通じて、作品の面白さがつかめるのではないかという指摘だったと思います。それから批評に関しても、東南アジアの多様性ということに戻ってくるのではないかと思いますが、ベトナムの場合、おそらく中国由来の批評の伝統があるのではというご指摘でした。
野平:もう一点だけ、「物語」ということばなんですが、これはフランス語ではレシですか?一つのことばだけとって何か言うつもりはないんですが、レシあるいはナラティブと「物語」がイコールで結びつけられるか、翻訳の問題になってきますけれども。たとえば「もの」という日本語の場合には「ものがなしい」とか「ものすごい」とかそういう場合の「もの」であるわけです。そういう一つ一つのことばが本当にイコールで結びつけられるのか、僕は疑問に思っています。
岡田:カンボジアの場合にはテクスト批評というのはあまり見受けられないと思います。今思い出したんですけれど、先ほど紹介した文学ジャーナルに載っていることがありまして、その中で詩人というか大御所ではないですけれど、その人が短編小説というのはそもそも文学ではない、小説ではない。長編小説が重視されていて、短編の小説もそもそも散文というのは詩の延長線上にあるべきだから、もっと美しい語彙、サンスクリットとかパーリ語のことばというものを使うべきだから、文学ジャーナルに載っているような短編小説は短編小説とは言わないのだというのが、外から見るとカンボジアの国内のいるカンボジアの人が違う捉え方をしているのだなと感じました。1990年という区切りについて、私の報告のときに言いましたが妥当だと思うんです。こういう雑誌が出てますよと紹介したんですけれど、詩は少ない紙面で済むんですが、実際には小説の方は発表の場は1980年代より少なくなっているのではないかという感じがしてます。1980年代というのは社会主義国で、すべて国家統制されていましたので、党の宣伝のための手段として一定量は出版されていた。それとは別に闇で手書きで恋愛小説を書きまして、みんな手で写したものが、小説読むのが好きな人にはやったり、タイ・カンボジア国境の難民キャンプの方へ渡っていたりということがありますので、公式のルートとそうじゃないところと発表の場が多かったのではないかと思います。実際に自費出版に限られ、ほぼ自費出版に近いかたちですから、先ほど紹介した二名の作家しか出版できないということで、新聞には文芸のページというのはありませんので、どちらかというと最近は小説よりも歴史物の翻訳ですとか、韓国ドラマのまとめとかが載るのが多くなっているので、そういう意味でも1990年を境にかなり変わったと思います。