2008年11月アーカイブ

第80回東南アジア学会研究大会シンポジウム
2008年11月30日,東京大学駒場キャンパス

9:30-9:35 趣旨説明
青山 亨 (東京外国語大学)

9:35-10:05 発表1
インドネシア:「文学コミュニティ」から見える文学実践の多様化
澤井志保 (東京外国語大学大学院/香港中文大学大学院)

10:05-10:35 発表2
マレーシア:多民族社会の中の華人文学
舛谷 鋭 (立教大学)

10:35-11:05 発表3
ベトナム:ファム・コン・ティエンの詩学
野平宗弘 (廈門大学外文学院)

11:05-11:20 休憩

11:20-11:50 発表4
タイ:タイ現代文学の登場と新ジャンルの挑戦
アット・ブンナーク (タイ中小企業開発銀行)

11:50-12:20 発表5
カンボジア:内戦終結後からの再出発
岡田知子 (東京外国語大学)

12:20-13:30 昼食休憩
13:30-14:30 会員総会

14:45-15:00 コメント1
小野正嗣 (明治学院大学)

15:00-15:15 コメント2
押川典昭 (大東文化大学)

15:15-16:15 総合討論

岡田知子(東京外国語大学)

 社会経済の復興・発展途上にあるカンボジアでは、文学はいまだ模索状態にある。本発表では、大量消費される恋愛小説、文学賞応募小説・投稿詩の社会的役割、ポスト・ジェノサイド文学の出現の3点に焦点をあてて概観する。
 カンボジアでは長らく続いた内戦が終結、1990年前後を境に急激な社会変革が始り、1993年にカンボジア王国が誕生した。法律上、言論の自由が認められるようになり、多くの新聞、雑誌が発行され始めた。そこには伝統的価値観に沿った恋愛小説が掲載される一方、直接的な性愛描写を入れるなど、それまでのタブーを破った小説には、新しい価値観や解放感が読み取れる。
現在まで職業作家として活躍しているのは、2名の女性作家、マウ・ソムナーン(1959-)、パル・ヴァンナリーレアク(1954-)であり、書き下ろしの単行本を次々と出版している。いわゆるフォーミュラ・ロマンスである一連の作品群では、洒落た文体や難解な語彙を使用せず、強い政治的主張、痛烈な社会批判はない。同時代の都会を舞台に、富裕層の生活スタイルがふんだんに盛り込まれており、わかりやすい筋立てで展開も速い点が読者をひきつけている。体現化された美徳としての若さと美貌を備えた女性主人公は、「純潔を守る」という伝統的性規範を踏襲しているが、それはカンボジア人女性のアイデンティティとして再評価されている。同時に女性の行動領域の拡大、親子関係のありかたなどに新しい価値観が見られる。ただどの作家も「作家は教育者」という立場は崩しておらず、作品は娯楽のためだけではなく若い女性のための規範書としても読める。
 一般人が実名で社会に訴える場がまだ少ないカンボジアでは、文学賞への応募短編小説や新聞雑誌の投稿詩が、一般人の意見投稿としての役割を果たしている。動物や神々を登場人物にして風刺的に貧困、汚職、伝統崩壊、遺跡盗掘など社会・政治批判したものが多い。特に詩は、紙幅をとらないことから掲載の機会が多く、またそれぞれ決まった吟唱法を持つ伝統的な定型詩で書かれることにより、読者も容易に感情を共有できることができると考えられる。
ポスト・ジェノサイド文学とは、ここではポル・ポト政権時代の人民の苦しみを物語った小説や個人体験を綴ったものとする。前者は、1980年代の社会主義リアリズム小説に類似しており、ポル・ポト政権崩壊の記念日を冠した「一月七日文学賞」の受賞作品にその特徴が見られた。後者については、ディアスポラによって書かれた作品を、カンボジア語に翻訳し、出版したものが圧倒的に多い。現在でもクメール・ルージュの国際法廷での審議は続いており、国内での公的な評価が定まっていないためか、国内のカンボジア人による作品はまだ少ない。その中でも、たとえば一般庶民による記録である『地獄の一三六六日間―ポル・ポト政権下での真実』(オム・ソンバット著)では、当時の悲惨な体験が生々しく描かれる一方で、強制労働の末、完成した水利施設に感動するなど、一概に「ポル・ポト政権の圧制での被害」だけを訴えているものではない。
 カンボジア人ディアスポラからのカンボジア国内のさまざまな文学、文化活動に関するコミットメントも少なくない。それはインターネット・ラジオを通した情報発信にはじまり、文学研究者、作家、映像作家、舞踏家、音楽家など幅広い分野にわたっている。

アット・ブンナーク(タイ中小企業開発銀行)

野平宗弘(廈門大学外文学院)

1986 年に始まるドイモイ以降、ベトナムの作家達には一定の創作の自由が認められ、
ドイモイ文学の潮流は88-89 年に頂点を迎えた。作家ファム・ティ・ホアイPhạm Thị
Hoài(1960-)は、その後の90 年代半ば以降、現在に到るまでをポスト・ドイモイ期と
規定し、質の高い作品も現れているとはいうものの、伝説化されるような作品はないと指
摘している。
ベトナム現代文学の中で伝説化されているものの一つに、1950 年代後半の北ベトナム
で創作の自由を求め弾圧された「人文-佳品事件」が挙げられるが、その中心人物である
詩人の故チャン・ザンTrần Dần(1926-1997)らが、2007 年になって国家賞を受け、約
半世紀前の文学事件の実質的な名誉回復がなされたことが象徴しているように、過去の見
直しはやっと始まったところである。また、その受賞理由には「社会主義建設と祖国防衛
に貢献した」ことが挙げられていることから分かるように、ベトナムの現代文学は公式的
にはベトナム共産党の「大きな物語」に属していると言える。
南北分断期(1954-75)の南ベトナムに現れた詩人、思想家のファム・コン・ティエン
Phạm Công Thiện(1941-. 以下、ティエンと略称)が公に再評価されることはまだ先のこ
とだろうが、60 年代後半に「ファム・コン・ティエン現象」と呼ばれる流行現象ともな
った彼の出現の衝撃は、今でも半ば伝説的に語りつがれているだけでなく、彼からの影響
を公言する詩人や彼を乗り越えようとする詩人も現在のベトナム国内にはいる。だが、
60年代に彼が達した思想的地平まで、彼を支持する者達が到っているかは疑問も残る。
現在、亡命者の立場にありアメリカで暮らすティエンは、ベトナム語での詩作によって
「故郷」への回帰を試みている。彼にとって「故郷」を再び「見る」ことは、現実的な帰
国によって果たされるものではなく、言語的世界創造によってこそなされるものである。
彼は、主体たる人間の言語によって客体的に世界を掌握しようとする西洋形而上学に根
差した表象的思考を、ベトナムの伝統的宗教の一つである大乗仏教の「空」の思想に基づ
いて否定し尽くし「空」さえも否定することで、アリストテレス型の論理も主体も客体も
ない根拠なき「透明な源」(詩人ハン・マック・トゥーの言葉)にまで退歩しようとする。
そして、その「透明な源」の「如き」世界を、母語ベトナム語での詩作によって新たに創
造することで「故郷」を再び見ようとしている。母語の中で「もの」Cái を語ることによ
って、それを「如実」に、「実際」に、「存在」へともたらすことが、彼の「もの」語り
であり、「故郷」回帰であると言える。
ベトナムの「存在」を忘却した西洋形而上学に根本的には根差している現在のベトナム
の国家イデオロギーの「大きな物語」のみならず、私自身に対しても、日本と同じく大乗
仏教文化圏から現れたティエンの「もの」語りは、近代的思考とは別の思考、別の言語世
界の可能性を突きつけている。

舛谷鋭(立教大学)

 毎日90万部の華字紙が売れ、700万華人の90%が華語小学校に通う国。マレーシア華語系華人文学(馬華文学)はそこにある。所詮新聞の総部数の三割、人口比の四分の一に過ぎず、マレー人に劣る出生率で未来の相対的沈下を危惧する声もある。しかし、文学の発表媒体としての華字紙、リテラシーを保つための民族語教育と、それらを支える社団が存続するために、十分な絶対数とも言えよう。
 国語であるマレーシア語で作品を発表するのはマレー人作家はもちろん、タミル人のウタヤ(1972-)だけでなく、リム・スウィーティン(1952-)ら華人作家も少なくない。国立言語図書研究所(DBP)には、民族文学間の相互交流としてウスマン・アワン(1929-2001)を中心に発足したマレーシア翻訳と創作協会の活動もある。
 しかし、華人中高生の文化英雄は、リムらマレーシア語作家でなく、華人私立高校から台湾留学し、彼の地の文壇で活躍する黄錦樹(1967-)、陳大為(1969-)、鍾怡雯(1969-)といった「六字輩」(六十年代生まれ)の「留台」作家たちである。彼らの作品は「原住民」作家らとともに台湾文学に彩りを添える「ディアスポラ」文学として評価されている。
 「留台」作家からも高い評価を受けるリー・テンポ(李天葆,1969-)は、同じく「六字輩」ながら、国内に留まり作家活動を続ける華人作家である。彼の作品は多民族社会マレーシアにおける文学の一断面であり、かつ「文化中国」(中華文化圏)との関わりも深い。
 クアラルンプール生まれのリーは、広東大埔系客家を父に持つ現地第二世代の華人である。マレーシアで準公立華語小から私立華語中高に進み、卒業後は中国福建省、廈門大学の通信コースで学び、私立中学の華語教師を勤めた。作風から海外華人世界の代表的張(愛玲)派作家と呼ばれる。(邦訳は以下を参照:リー・テンポ著、舛谷鋭訳「写真の中の人」『新潮』10月号、2007)ちなみに『傾城の恋』の張愛玲 (1920-1995)は、四十年代上海で活躍した女性作家であり、今も中華文化圏で広く読み継がれる「現役」作家である。
 現代マレーシアにあってなぜ四十年代上海なのか?二十一世紀に入り、祖籍地(祖先の原籍地)中国からの「乳離れ論争」が、他ならぬリーの作品を契機に巻き起こった。彼は桃源郷としての上海モダンを酷愛し、その面影をツインタワーはじめ高層ビルが居並ぶ大都会クアラルンプールに探す。茨廠街(ペタリン通り)のチャイナタウンや、新街場(ピール通り付近)のような華人の生活区がそれに当たるが、タミル人のブリックフィールドやマレー人のチョーキットも、それぞれの民族毎に同様の感興を呼び覚ますだろう。
 イギリス植民地時代に契約移民として海を渡った華人の文学は、紛れなくポストコロニアル文学の一環である。リー・テンポの文学は「文化中国」の、またマレーシア文学の周縁と切り捨てることができるだろうか。張愛玲が四十年代上海に活きたように、リー・テンポは現代の吉隆坡(クアラルンプール)に活きる。

澤井志保 (東京外国語大学大学院生、香港中文大学大学院)

現在のインドネシアにおいて、「文学コミュニティ」といわれるグループが多く存在し、活発に活動している。「文学コミュニティ」とは、文学に直接的または間接的にかかわる活動を行うために、複数の個人によって、営利を主要目的とせずに形成されたグループのことを指す。
このような文学コミュニティは、植民地時代から、文学を集団的に享受する集まりとして、現在インドネシアと呼ばれる地域に存在しており、独立運動時においては、人々が「国民としての主体性」を想像し獲得していくプロセスにも深く関わることとなった。しかし、1990年代以降をめどとして増加している文学コミュニティにおいては、参加者の知識人的特権性と、文学の享受を通して立ち上げられる国民的主体性のあり方について変化が見られる。たとえば、中間層と大まかに分類される範疇と総数が大幅に拡大したことに加え、権威主義的政権の終焉によって言論統制が緩和され、出版業が活性化したことで、文学を享受する層のすそ野が、知識人層を超えて大きく広がった。さらに、メディア・テクノロジーの普及による情報伝達の高速化と、移民労働や留学、旅行などの目的のための海外渡航人口の増加により、以前よりずっと広範囲な階層の人々が、国境や国籍、国語を実体的ないし仮想的に越境しながら、宗教、職業、エスニシティやジェンダーを基軸として、より多面的な文学的主体性を立ち上げるようになった。このような例のひとつが、海外に支部を持つ文学コミュニティや、外国を舞台としたイスラム系ポップ小説ジャンルの出現である。また、ゲイやストリートチルドレン、移民労働者女性等の社会的マイノリティが、文学実践を通して多彩な社会表現を行っている状況からも、近年のインドネシア語文学においては、特定の国民的主体性を提起するのみならず、むしろこれについて問い直し、再解釈する可能性を見てとれる。
そこで当発表においては、香港在住のインドネシア人女性家事労働者によるイスラム系文学コミュニティを取り上げ、上述のような社会的変化が、インドネシア語文学にどのような意味を付与し、国語文学研究の新しい射程を示唆するのかについて検討する。そのために当発表では、この文学コミュニティの活動形態の内容と参加者の執筆したテクストの両方から、文学的主体性の読み取りを試みる。たとえば、当コミュニティ参加者は、インドネシアでは多数派でも、香港への移民によって、宗教、エスニシティ、経済力の上で少数派になることで、現地の社会的文脈において新たな主体性を交渉することになる。そこで、コミュニティに参加することでムスリム女性としての連帯を実現し、互いの作品を批評し合って文章力を向上させることで、労働者ではなく、著者になろうと努力し、さらにテクストの中で家事労働者への搾取や文化的抑圧について批判することで、現地社会での自分の位置を分析する。このような文学の享受プロセスの観察により、現代における国語文学とナショナリズム、そして文学的主体性のかかわり方について考えたい。

青山 亨(東京外国語大学)

東南アジア研究の歴史を振り返ってみたとき、文学の研究は、その一角において、もっとも大きな流れでこそなかったかもしれないが、確固たる位置を占めてきた。東南アジア研究における文学研究は、文学固有の問題群を分析する試みであったばかりではなく、文学を通して東南アジアの社会を理解するための探求の試みでもあった。けだし文学は社会的な存在である人間の創造物であり、言語というコードの共有と読み手の存在を前提とする以上、これは当然のことであろう。インドネシアの作家プラムディヤは、文学の理解は人間の理解である、と述べているが、まさに東南アジアの文学研究は、文学を通じて東南アジアの社会、そこに生を営む人々を理解しようと努めてきたのである。
このことは、社会の変化に応じて文学、そして文学の理解もまた変化していくことを意味している。20世紀において、東南アジアの多くの地域が列強の植民地支配のもとにあったころ、あるいは、第二次大戦後に独立を達成し国民国家の建設に全力を尽くしていたころ、あるいは、東西冷戦を背景にした戦乱の渦中にあったころ、文学が文学としての使命に真剣に向け合おうとすればするほど(そのことと作品の価値とは別のものであるし、作品がどのように表現されるかは個々の文学者の意識に委ねられるものであるが)、作品には、近代化、国民統合、抗戦といったその時代の社会的なプロジェクトの潮流が直接的あるいは間接的に反映することとなった。対する文学の研究もまた、文学作品の研究を通じて、社会の有りようとその来るべき変化の方向を読み取ろうとしてきた。
今日、おおよそ1990年を境として、東南アジアの多くの地域において新しい社会的、政治的な変化が生じつつあることは、否定できないであろう。ベトナムにおけるドイモイ政策の開始、マレーシアのペトロナス・ツインタワーに象徴される経済発展、アジア金融危機に端を発するインドネシアのスハルト政権の崩壊とそれに続く民主改革は、これらの変化を示す代表的なできごとである。これらの動きを端的に言いあらわせば、冷戦的イデオロギー対立の衰退、市場経済の進展と都市中間層の台頭、本格的なグローバル化による人、もの、情報の過剰なまでの越境、に集約できよう。
社会の新しい動きに呼応して、東南アジアの文学のなかには、内容あるいは形式においてこれまでの文学とは一線を画す動きが現れつつあるようである。むろん、具体的な作品のあり方は、それぞれの地域固有の力学によって、あるいは、文学者の意思によって、多様な形をとることになろう。しかし、にもかわらず、そこには今までにない胎動が通底していることを感じることができる。また、過去の文学に対しても、新しい視点から読み直されることによって、新たな評価が下される動きも生じている。このような東南アジアの今を前にしたとき、東南アジア文学の研究者には、21世紀にふさわしい新しいアプローチが要請される。
より個別的な問題群としては、1990年前後という区切りがはたして文学の場でも区切りとして機能しているのかどうか、もしそうだとしたら、その前後の変化のあり方として、いわゆる「大きな物語」から「小さな物語」への転換という理解が当てはまるかどうか、といった論点も取り上げられることが期待される。
このシンポジウムでは、東南アジア文学の今を取り上げ、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、カンボジアの文学の研究者に報告をしていただくとともに、東南アジア地域の文学の立場からと、地域を離れた文学の立場からそれぞれコメントをしていただくことによって、東南アジアの文学の今を考えていくことを狙いとしている。この機会に、東南アジア現代文学の眺望を示すことができれば幸いである。
(2008.1.5 ver3)

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