舛谷鋭(立教大学)
毎日90万部の華字紙が売れ、700万華人の90%が華語小学校に通う国。マレーシア華語系華人文学(馬華文学)はそこにある。所詮新聞の総部数の三割、人口比の四分の一に過ぎず、マレー人に劣る出生率で未来の相対的沈下を危惧する声もある。しかし、文学の発表媒体としての華字紙、リテラシーを保つための民族語教育と、それらを支える社団が存続するために、十分な絶対数とも言えよう。
国語であるマレーシア語で作品を発表するのはマレー人作家はもちろん、タミル人のウタヤ(1972-)だけでなく、リム・スウィーティン(1952-)ら華人作家も少なくない。国立言語図書研究所(DBP)には、民族文学間の相互交流としてウスマン・アワン(1929-2001)を中心に発足したマレーシア翻訳と創作協会の活動もある。
しかし、華人中高生の文化英雄は、リムらマレーシア語作家でなく、華人私立高校から台湾留学し、彼の地の文壇で活躍する黄錦樹(1967-)、陳大為(1969-)、鍾怡雯(1969-)といった「六字輩」(六十年代生まれ)の「留台」作家たちである。彼らの作品は「原住民」作家らとともに台湾文学に彩りを添える「ディアスポラ」文学として評価されている。
「留台」作家からも高い評価を受けるリー・テンポ(李天葆,1969-)は、同じく「六字輩」ながら、国内に留まり作家活動を続ける華人作家である。彼の作品は多民族社会マレーシアにおける文学の一断面であり、かつ「文化中国」(中華文化圏)との関わりも深い。
クアラルンプール生まれのリーは、広東大埔系客家を父に持つ現地第二世代の華人である。マレーシアで準公立華語小から私立華語中高に進み、卒業後は中国福建省、廈門大学の通信コースで学び、私立中学の華語教師を勤めた。作風から海外華人世界の代表的張(愛玲)派作家と呼ばれる。(邦訳は以下を参照:リー・テンポ著、舛谷鋭訳「写真の中の人」『新潮』10月号、2007)ちなみに『傾城の恋』の張愛玲 (1920-1995)は、四十年代上海で活躍した女性作家であり、今も中華文化圏で広く読み継がれる「現役」作家である。
現代マレーシアにあってなぜ四十年代上海なのか?二十一世紀に入り、祖籍地(祖先の原籍地)中国からの「乳離れ論争」が、他ならぬリーの作品を契機に巻き起こった。彼は桃源郷としての上海モダンを酷愛し、その面影をツインタワーはじめ高層ビルが居並ぶ大都会クアラルンプールに探す。茨廠街(ペタリン通り)のチャイナタウンや、新街場(ピール通り付近)のような華人の生活区がそれに当たるが、タミル人のブリックフィールドやマレー人のチョーキットも、それぞれの民族毎に同様の感興を呼び覚ますだろう。
イギリス植民地時代に契約移民として海を渡った華人の文学は、紛れなくポストコロニアル文学の一環である。リー・テンポの文学は「文化中国」の、またマレーシア文学の周縁と切り捨てることができるだろうか。張愛玲が四十年代上海に活きたように、リー・テンポは現代の吉隆坡(クアラルンプール)に活きる。
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