2006年6月関東地区例会報告要旨2
会員各位
2006年6月の関東例会の報告要旨(その2)をお届けします。
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日時:2006年6月24日(土)14:30-
会場:東京大学赤門総合研究棟849教室
報告者:西廣直子(京都大学大学院)
報告題目:「インドネシアにおける高齢化と高齢者の現状:ミナンカバウの事例」
出席者:13名
[報告要旨]
本報告の目的は、まずインドネシアの高齢化について統計を用いた現状把握を行
い、次いで、フィールドワークの成果をもとに、ミナンカバウにおける高齢者の生活
形態を概観し、ミナンカバウ村落社会の高齢者と家族および地域社会のあり方を検討
することである。
本報告では高齢者の定義として、インドネシア共和国の「老人福祉法」が定める60
歳以上という基準を用いる。ただし国連などでは一般に65歳以上が基準として使用さ
れる。国連の定義では、65歳以上の人口が7%以上に達すると「高齢化社会」、14%
以上に達すると「高齢社会」と呼ばれる。
高齢化の主要因として一般に挙げられるのは、出生率の低下と死亡率の低下であ
り、一般に、高出生率・高死亡率の段階から、まず死亡率の低下、さらに出生率の低
下を経て、最終的に低出生率・低死亡率の状態に移行する、「人口転換」と呼ばれる
現象が見られる。
インドネシアの場合を見ると、まず出生率は徐々に低下し、1990年代には3%以下
になっている。一方、乳児死亡率は1970年代から90年代にかけて急速に低下、平均寿
命も90年代末には70歳近くまで延びている。その結果、65歳以上人口の比率は既に5
%近くに達しており、2030年ごろには7%、2050年ごろには15%近くに達すると予測
されている。他の先進国と比較しても、高齢化社会から高齢社会への進展が急速に進
むといわれる。
高齢化に伴う問題としては、経済成長率の低下、社会保障、高齢者医療・介護など
が挙げられるが、インドネシアでは、近い将来に高齢化社会が到来するにもかかわら
ず、これらについての研究は緒についたばかりである。1990年代半ばには社会問題調
査局によって、高齢化先進地域であるジョグジャカルタなどを対象とした人口学的研
究が行われ、他に、高齢者概念の地域による差異を取り上げた研究などもある。一方
ミナンカバウについては、母系制社会における親族集団やジェンダー研究などの蓄積
があるが、高齢者問題についての研究はほとんど見られない。
次にミナンカバウの高齢者の生活実態を見ていく。報告者の調査地は西スマトラ州
アガム県のシダン・インドリン村と、その近郊に所在するある老人ホームである。調
査期間は2000年夏および2001年冬から2002年冬にかけてで、総計165世帯の聞き取り
調査を行った。調査村の人口は1,114人、すべてミナンカバウ人のムスリムで、職業
構成は農業42%、小売商27%、公務員13%などである。経済的には、約5km離れたブ
キティンギへの依存度が高い。
調査地では、2000年時点で60歳以上の人口は14.7%、65歳以上では10.3%に達して
おり、既に高齢化社会に到達している。高齢者を指す呼称としては、ウラン・ガエッ
という一般的な呼び名の他に、ネネッやガエッなどの親族に対する呼称が親族以外に
も広く用いられることがある。
高齢者の家族構成を見ると、一人暮らしと老夫婦二人のみの世帯を合わせると約3
割にも達している。一方家族との同居を見ると、主な同居者(扶養者)は娘とその家族
である場合が75.8%と圧倒的に多い。これは母方居住の影響によると思われる。
高齢者の経済状況については、同居の場合は原則として扶養家族が生活を保障する
ほか、インフォーマントの32%が水田耕作や小売業など何らかの仕事を続けており、
比較的豊かであるといえる。また非同居の子供の場合も、ムランタウ先から金銭的支
援を行う事例が多く、総じて、高齢者の扶養は当然の義務という認識が見られる。
いくつか具体的な事例を紹介すると、例えば72歳の女性Tは一人暮らしだが、ブキ
ティンギに住む娘の家の毎日「出勤」している。また42歳の女性Yは現在家族とブキ
ティンギに居住しているが、近い親族内に女性が自分だけなので、今後の親族の扶養
が気がかりであると述べ、また、親族を老人ホームへ入れるのは「恥ずかしい」こと
だという認識を持っていた。さらに、やや特殊な事例として、男性の一人暮らしや、
高齢者同士の再婚なども見られた。
総じて、調査村ではこれらの事例が表立って「問題」としてとらえられることはな
く、また、村内では老人ホームに預けられている高齢者は一人もおらず、近隣に老人
ホームがあることを知らない人も多かった。
次に老人ホームについて簡単に触れる。老人ホーム「カシ・サヤン・イブ」は隣の
タナ・ダタール県にある県立の老人ホームである。入居条件は、60歳以上で身寄りが
なく、経済的に困窮していること、心身健全であること、である。入居費用は一切無
料で、州政府や外部の社会福祉団体、宗教団体からの支援を受けている。入居者は男
性38名、女性12名で、男性が多い。入居者の平均年齢は71歳である。
入居者へのインタビューからは、おおむね生活に満足しているものの、一方で、
「もし身寄りがあればここには入らなかった」、「まるで牢獄のようだ」などの意見
も聞かれた。
まとめると、インドネシアでは明らかに高齢化が進行中であり、既に高齢化社会に
進展した地域も存在する。ミナンカバウの場合は、高齢者の約70%が家族と同居して
おり、困窮者は比較的少ない。母方居住の慣行により、女性には財産相続の代償とし
て高齢者の扶養が求められるほか、恥(マル)の概念やイスラームの教えなどの影響も
あって、老親の面倒を見るのは当然とする風潮が強い。このため、高齢化の進展の割
には、高齢化問題は現在のところさほど表面化していないといえる。
今後の課題としては、インドネシアでの高齢化の今後について継続調査が必要であ
るほか、ミナンカバウの歴史的・文化的文脈の中で高齢化問題を捉える視点が必要で
ある。
[質疑応答]
Q. 例えばマレーなどと比較して、母系社会の影響はどの程度見られるのか。(鈴
木) −A. 一般に大家族である点は同じだが、介護者=財産相続者である点が大きな
特徴。
Q. ①老人ホームには提携している病院などがあるか、あるとすれば無料か。②亡く
なった人のための共同墓地などの施設はあるか。③企業からの寄付は受けているか。
(中山) −A. ①提携している病院は無料ではないが、緊急の際には立替などの措置を
とる。また、週一回、無料で健康診断と投薬を行う。②敷地内に共同墓地があるが既
に一杯で、少し離れた共同墓地も利用している。③寄付は社会福祉団体や宗教団体か
らで、企業からの寄付はないと思う。
Q. ①インドネシアの他地域での高齢化の進展状況は。②高齢化問題に対する政府の
見解は。(弘末) −A. ①西スマトラのほか、ジョグジャカルタ、東部ジャワ、バリな
どで進んでいる。②老人福祉問題にまではまだ手が回らず、有効な対策は取れていな
い。
Q. 老人ホームではイスラームの宗教色はどの程度前面に出ているか。また、イス
ラーム団体の関与はどの程度か。(國谷) −A. 入居者は一般に敬虔なムスリムが多
い。宗教団体は、寄付というかたちで寄与している。また、男性の高齢者の場合、モ
スクやスラウで寝泊りする人もある。
Q. ①従来のミナンカバウ研究において提示されてきた、アダットとイスラームとい
う社会概念の関係という視点から問題を考えたほうが良いのではないか。②高齢化の
最大の問題は人口転換による扶養負担の増大にある。特に発展途上国では、生産性の
向上が進まないままに人口転換が進むという状況があると思うが、にもかかわらず、
現時点では高齢者人口を扶養しえているのはなぜか。(桜井)−A. ②農業や家事労働
など、何らかの社会的分業を行っている高齢者が多い。また、土地財産を所有する高
齢者も多い。−この事例の場合、ブキティンギという都市への近接が高齢者人口の扶
養を可能にしている。(桜井)
Q. 介護をするのは女性であるという認識が強いようだが、男性の関与はどの程度
か。(北川)−A. 離婚した息子が親の面倒を見る例などもある。一方、男性の高齢
者は誰からも世話を受けられないケースが多い。
Q. 政府による年金制度や高齢者医療・福祉はどの程度進んでいるか。(桾沢) −A.
年金制度は現在はきわめて限られたものだが、2000年以降見直しが進められている。
政府の診療所(puskesmas)は村内に一つ、隣村にはより大規模なものが一つ存在す
る。ただし調査村はブキティンギに近く、比較的裕福なので、ブキティンギの病院を
利用する人のほうが多い。
(文責:國谷徹(東京大学大学院))
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連絡先:関東地区例会委員 國谷徹