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2005年10月関東地区例会報告要旨その2

2005年10月の関東地区例会の報告要旨をお届けいたします。
(10月は2人の方に御報告を頂きましたので、それぞれ別にお送りします)


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東南アジア史学会関東地区10月例会
2005年10月22日(土)
於:東京大学赤門総合研究棟849号教室
参加者:25名
報告者:相沢伸広(京都大学大学院アジアアフリカ地域研究科) 
題目:「スハルト体制の対華人政策 −内務省編−」
コメント:松井和夫(アジア経済研究所)

[報告要旨]
 1965年の930事件以降、インドネシアにおいてMasalah Cina(チナ問題:華人・中国
・中華問題の総称)は政治問題として、そして時には経済問題として表出した。当初
のチナ問題は外交上の対中国問題であり、「チナ」は北京であったが、その後、中国
籍を持つインドネシア在住中国人の問題、さらにはインドネシア国籍をもつ華人の問
題へと変遷していく。このチナ問題を理解するには、1)政権内の誰がどのような目
的・理由で行ったのか、2)その政治・経済・社会的状況はどうであったか、3)具
体的にどのような政策がとられたのかについての研究が必要である。本発表では、な
かでもスハルト体制期のチナ問題の中でも華人についての問題をめぐる法令とその実
施について、重要な役割を果たした内務省に焦点を当てる。
 1967年の大統領決定240号によって内務省はチナ問題のうち特に対華人政策を担当
することが定められ、その後1975年内務省内に設置された社会政治総局(SOSPOL)の国
民統合推進局がこれを担当することになった。この部局は国民国家インドネシアの分
裂を防ぐために、民族、宗教、政治集団といった、最も敏感な問題群の噴出を抑え、
治安・秩序の安定化を図ることを目的とする、国軍と並ぶ最も重要な政府部局であっ
た。さらに1978年には各州政府の知事下にも同名の部局が置かれることとなり、そこ
で地方においても華人に対する政策が全国的に実施されるようになった。
 加えて、1970年代半ばには同化派華人を取り込んでの対華人政策が始まった。1977
年、26州から各地の華人有力者および州政府社会政治総局の役人を招集して準備集会
が開かれ、その結果、国民統合総括連絡協会(BAKOM PKB)が設立された。統合と統一
の実現を「同化」によって達成することを目的とし、内務大臣、または州知事の補佐
期間として機能した。BAKOM PKBの決定に法的効力はなく、内務大臣が諸指令を出し
た。各地の華人コミュニティ代表者の参加を通じて、地方の華人を「良きインドネシ
ア人」へと変えることが試みられた。
 1980年以降は上記の体制ができあがった後、様々な同化プログラムが実施された。
例えば、16州の内務大臣が指定した地域(華人の割合が高い地域)を対象に、各町内
会長に命じてインタビュー調査を行なわせ、各地域における同化推進具合、華人問題
の状況を報告させた。それと同時に華人データの作成が進行した。67年以降、国籍に
関する法制度が整備され、華人は裁判所で中国国籍を破棄したという証明をもらい、
その後出先機関で住民登録を行うという制度を施行したが、実際には徹底されておら
ず、1980年各州知事に対し指令を出し村長や町長を動員しデータ集めを実施した。
 内務省以外にも、教育・文化省、労働省などもそれぞれ同化政策のためのプログラ
ムを実施しており、内務省の役割は横断的ネットワークを作成し各省間の調整作業を
行うことであった。
 最後に本研究の意義を二点述べるならば、華人研究に対しては、これまで華人の側
からしか検討されなかった問題について、はじめて、中央の具体的政策の実施過程を
明らかにする、スハルト体制下についての基礎研究としての意義を持つ。そしてイン
ドネシア政治研究に対しても、これまで資料が得られなかった内務省社会政治総局
(SOSPOL)に関して、研究の出発点として位置づけられる。このSOSPOLはスハルト体
制の治安秩序維持に中心的な役割を果たしてきた機関である為、華人研究のみなら
ず、イスラムや共産主義など、この時代のインドネシアの民族、宗教そして政治につ
いて関心がある者にも重要な研究となる。

[コメント]
㈰内務省がなぜそのような対処をしたのか、その目的の部分がはっきりしない。
SOSPOL(内務省社会政治総局)の政策実行のイニシアティブはどの程度あったのか?
㈪この問題は軍のいわゆる二重機能、またBAKIN(国家情報調整庁)の役割と密接に関
連していたのではないか。マラリ事件以降のインドネシアの外資政策の転換、石油
ブーム、等々につながる軍の権力闘争がSOSPOLのイニシアティブを解明する材料にな
るのではないか。内務省編以外にABRI(インドネシア国軍)、BAKIN編が必要では?
㈫経済的な面、つまり華人ビジネスと政策との関係をみる必要がある。スハルトはチ
ナ問題に対して厳しい対応をとる一方で軍やゴルカルの活動を支える華人マネーを重
視していた。それが政策に反映され、地方の政治レベルでもみえてくるのではない
か。
㈬チナ問題の対処は、外国人管理と関わっている。ジャカルタでは長期滞在には人頭
税が課せられており、これは金持ちの外国人をターゲットにしているのではなく、中
国籍を持つ華人をターゲットとしているものではないかと思う。外国人管理としての
華人政策という視点の必要性がある。
㈭BKMC(チナ問題調整局、1973年設置)へ以降するまでの間になにかあったのか?分
権化への意思表示を出していた時期でもある。そのような時期であったこともあり、
この時期の分析は重要である。また、BKMCは2004年まで存続したとのことだが、その
時点での行政上の位置付けは。
㈮SOSPOLの下部組織は県レベルにも設置されているので、押さえる必要がある。
㈯近年の、AMOI(Aku Menjadi Orang Indonesia、若い華人自身がインドネシア人にな
ることを奨励する運動)などについても見る必要がある。
㉀現在の制度的な民主化の流れの中でSOSPOLがいかなる状況にあるのか。国籍証明書
をなくそうという話がでているが、実際には内務省の内部には華人名簿は残ってお
り、使用されているのではないか。スハルト時代の残存物がおそらく保管されてお
り、いつでも利用できる体制になっているのでは。

[コメントに対する回答]
㈰㈪マラリ事件とは直接の関連は無いが、チナ問題におけるSOSPOLのイニシアティブ
と国軍内部の権力闘争は密接に関連する。内務省におけるチナ問題担当の部局は、ス
ナルソ准将が国軍において権力を握っていた時期に、彼の属人的なイニシアティブに
よって組織された。今回は網羅できなかったが、自分の博士論文では内務省だけでな
く軍やBAKINの分析を含めている。
㈬外国人管理との関係について、おもしろい指摘である。チナ問題はもともと対中国
問題であったこともあり、そういう側面は名簿も含めて様々なところに残されてい
る。現在では内務省の役割は変わっている。テロ対策などとの関連については、確認
していないが内務省はそのような機能は持っていないと思う。
㈭BKMCが1973年に設立されたのは、先述の通りスナルソ准将が権力を握っていた時期
の問題。2004年時点では、BAKINの直接の下部組織ではなく外郭団体のような位置付
け。メガワティ時代(2004年4月)に廃止。軍の中の権力闘争とは特に関係ない。
㉀民主化とSOSPOL、現在のSOSPOLについては今後考えていきたい。とても興味深い。
華人名簿を含めてスハルト時代の制度的遺産が具体的にどこの省庁にどのように残っ
ているのかについては別に研究する必要がある。すくなくとも犯罪データに関しては
検察庁、住民データは内務省がそれぞれ管轄であり、管理している。

[質疑応答]
 同化政策が実施されることによって差別が生み出されるという側面は無いか。イン
タビュー調査の質問票の中にアスリとクトゥルナンという言葉があるが、クトゥルナ
ンは外国人一般を指しているのか、華人を特に指しているものであるか(沢井)→ク
トゥルナンという語は行政文書ではインド人やアラブ人等を含めて指す。ただしイン
タビュー調査そのものの目的は住民が華人かどうかを判別すること。その意味で、同
化政策が結果的に差別政策の側面を持ったということは言える。

 チナ問題を担当する部局の変遷は具体的に分かったが、それによって問題の語り
方、扱い方がどのように変わったのか(西)→今回は内務省しか紹介しなかったので分
かりづらいが、国軍との関係を含めて見ると良く分かる。チナ問題は軍にとっては監
視政策であり、内務省にとっては国民統合を維持、もしくは促進するためのプログラ
ムの一部分であった。(相沢)

 インドネシア政府はどういう目的で、華人の国籍取得を厳しくしているのか。国籍
取得を推進することを目的としているにも関わらず、なぜ複雑な行政手続をそのまま
にしているのか。そのような非効率性はなぜ存在するのか(倉沢)→ 結果的に非効率
であることは確かでも、その非効率が「意図的」なものであることを確認することは
できない。いえることは、非効率性が手続きコストを高め、よって末端の行政官が華
人からお金を取るチャンスが実際ある以上、効率化してそのチャンスをなくすインセ
ンティヴは当局にはあまりない。それと、国籍取得申請が大量にもかかわらず、この
案件を処理しているスタッフの少なさが、効率性の限界をもたらしていることであ
る。(相沢)

㈰インドネシアでは「チナ」という言葉はネガティブなニュアンスが強いが、「ティ
オンホア」という言葉が使われた形跡は無いか。 ㈪行政文書の中で「チナ宗教
(Agama Cina)」という言葉があるが、これは公定宗教として認めているということに
なるのか?(青山)→㈰「ティオンホア」という言葉は98年以降、権利回復運動を行っ
ている人々によって、「チナ」は蔑称だという認識から使用されている。スハルト政
権の公式文書では「チナ」という呼称で統一する旨指令があったが、華人の間には
「チナ」と呼ばないで欲しいという心情は存在した。㈪行政文書では正確には「チナ
の文化、宗教、習慣」という表現。ここは「中華色の」という意味。インドネシアに
は実際には5大宗教に入らない宗教はたくさんある。しかし当時の政治状況を詳しく
検討すると、中華色のある宗教は排除しなければならない状況にあった。

㈰「チナ」とは別に華人を指す言葉はインドネシア語にあるのか。タイやベトナムで
は蔑称とそうでない呼称の両方が存在しており、使い分けられている。㈪政策の実施
においては地方ごとにかなり大きな差があったのではないか。(桜井)→㈰インドネシ
アではそのような特別な蔑称は他にわからない。㈪全体としての政策はあったのだ
が、地方でそれが反映しているかどうかには差があった。地方によって華人をめぐる
社会的状況は多様である。注目すべきは、例えば、公共の場でのお祭りに関しては、
県・市が決定権を持っていたこと。それによって、中央の決定についての地方での政
策実行には差が出てくるということになる。今日の話は意識的に中央からの分析にと
どめたが、今後地方の研究を合わせることでさらに面白い成果が期待できる。(相沢)

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連絡先:関東地区例会委員 國谷徹

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