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2005年6月関東地区例会報告要旨その1

2005年6月の関東地区例会の報告要旨をお届けいたします。
(6月は2人の方に御報告を頂きましたが、伊藤毅氏の報告要旨を先にお送りします)


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東南アジア史学会関東地区6月例会
2005年6月25日(土)
於:東京大学赤門総合研究棟849号教室
報告者:伊藤毅(一橋大学大学院社会学研究科)
題目:「村から再考する民主主義:インドネシア「改革」時代の国家・社会関係」
コメント:倉沢愛子(慶応義塾大学)

(報告要旨)
 本報告の目的は、民主主義の日常的な意味を西ジャワ州バンドン県に位置するN村
の事例を中心に実証的に検証することである。これまでの民主主義に関する研究は、
民主主義の諸制度に焦点をあてた政治体制研究にとどまってきた。本研究では、民主
主義を諸制度の定着でなく、市民が重要な意志決定過程に参加することととらえ、イ
ンドネシア民主化以降の国家・社会関係のダイナミックな動きを具体的に描写する。
「改革」時代のインドネシアにおいて、国家の社会に対するコントロールは低下した
が、社会による国家のコントロールは依然として困難なままである。村落(N村)単
位の国家・社会関係の変化を分析することで、制度的な変化がこれまで周辺化されて
きた個人・グループのエンパワーメントに至っていないことの要因を探る。
 スハルト大統領の新秩序体制(1966-1998)は、1979年の村落行政法によって村落
を画一化し、行政の末端組織として組み込むことで、国家による管理を強めた。1998
年5月のスハルト体制の崩壊後、ハビビ政権は地方分権化に着手し、1999年5月に地
方行政法を成立させた。1979年の村落行政法と1999年の地方行政法を比較すると、後
者には以下のような特徴がある。㈰村落の多様性を承認、㈪村議会(BPD)設立によ
る村長の権力分散、㈫村財政の自立化等による村落の自治。メガワティ政権による
2004年成立の地方行政法は、行き過ぎた地方自治に歯止めをかけることを目的とし、
村落を行政の末端組織として再編成すること、書記の公務員化などが盛り込まれてい
る。
 報告者が調査を実施した西ジャワ州バンドン県N村は、1983年にW村が二分割されて
成立した村で、住民のほとんどが農民、工場労働者である。地方分権化前後で村組織
に大きな変化はないが、村行政スタッフは高学歴化の傾向にある。1999年の地方行政
法によって成立した村会議BPDのメンバーは、高学歴だがN村のトコー(Tokoh)と呼
ばれるインフォーマル・リーダーでない人々も議員になっているという特徴がある。
村議会の設立は、村長への権力集中を防ぐことを目的としていたが、同時にトコーが
村の意思決定の場から排除されることにつながった。スハルト時代に設立された事実
上の官製組織(婦人会、青年団等)については、スハルト体制崩壊後のN村ではその
機能・目的において大きく変化した。機能が停止した組織は5(18.5%)、事実上機能
していない組織6(22.2%)、名称を変更して機能している組織3(11.1%)、以前と同
様に機能している組織13(48.1%)である。その背景には、上位機関とのつながりが
疎遠になったこと、補助金の廃止などの要因がある。
 「改革」時代において、民主主義の制度は精緻化されたが、住民が開発計画に参加
する権利は持つが参加できない状況にあるなど、制度が意図しない結果を生んでいる
現状がある。村落レベルでは、村のエリートが国家とのつながり(公務員の制服、イ
ンドネシア語の使用、開発プロジェクト)を誇示することで、統治の正統性を獲得す
るというやり方に変化は見られない。これまで周辺化されてきた個人・グループ(特
に村の貧困者、未就学者)は、エリートとの分断を埋めることが出来ないものと理解
しており、政治的な意思決定の場への参加は自らがとるべき行動ではないとし、村落
における自らの役割を受容している。スハルト体制崩壊後も、両者の意識は大きく変
化しておらず、エリート側の意識が一般住民の政策決定の場への「参加」の意識を規
定していると結論づけられる。

コメント:倉沢愛子(慶応義塾大学)
 議論の糸口として、質問・コメントを含め4点を指摘する。㈰村議会BPDの成立
は、村長への権力集中を避けることが目的だったが、興味深かったのはその構造から
排除されたインフォーマル・リーダーであるトコーたちの不満。トコーが村議会に入
れない理由は、年齢かそれとも学歴が問題となるのか?㈪調査を実施したN村の特徴
をもう少し論じてほしかった。㈫村の民主化について、NGOはどう関与しているか?
㈬法改正後の多様性の復活と民主化の活性化について、後者については今回の発表で
データが豊富だが、前者についてはそれが不足している。村のアダット(慣習法)復
活の方向性は、またどのくらいそれは実現しているか?他地域では、村の呼び方が以
前のものに戻った事例もあるが、その点についてはどうか。(倉沢)
 →㈰学歴主義が特徴として挙げられる。しかし、年齢については現時点で十分に把
握していないので、今後の課題としたい。㈪N村の特徴としては、工場への依存度が
高いこと、1980年代になって分割された新しい村であること、都市との距離がバスで
20分ほどと都市から離れていないこと等が挙げられる。㈫NGOが助成金申請のプロ
ポーザル作りなどを指導しており、行政に影響を及ぼす場合もある。㈬調査地では村
の呼び方については、今のところ変化が起こっていない。(伊藤)

(質疑応答)
㈰発表の中で「県・市・郡・村数の増加率(2000−2003年)」データが提示されてい
るが、特に村の増加率が低い。その理由は何か?㈪今回の発表では制度が中心の発表
であり、民主主義そのものについての説明が不足しているように思われた。制度の変
化と住民の意識変化との関係がどのように理解できるか?(内藤) →㈰スハルト時
代にすでに分割されていたこと、補助金問題等が絡んでいる。㈪民主主義の理念とし
ての全員参画は市民の政治的権利として保障されなければならない。その権利が構造
的に阻害されている状況はやはり民主主義の効果がすべての市民に浸透していないこ
とを意味しており、現状が懸念される。

㈰調査地住民の移動、また住民間の階層性はどのようになっているか?㈪村のエリー
トと一般の人とをつなぐ人物は存在するか?(山田) →㈰調査地での人の移動につ
いては、まだ把握していない。住民数で言えば1980年には4000人程度だったのが、
2004年には約7000人と二倍弱の増加となっている。階層性については、資料として提
示した家庭福祉の状況を示すSejahtera指数から特徴をつかむことができ、全体とし
ては貧困層が多い村であるといえる。㈪役人と住民をつなぐ存在としては、経済的有
力者があげられ、またトコーが一役買う場面もある。村役人へのロビー活動を彼らが
行うこともある。
そうした役割を果たす存在として、イスラム指導者についてはどうか?(倉沢)→調
査地はイスラムの強い地域であり、イスラム指導者が住民と役人をつなぐ面もある。

㈰集落という単位に、自然村は残っているか?㈪インドネシアの共同体という枠組
で、スハルト期の住民組織は住民の生活にそれはどう結びついたか?ゴトン・ロヨン
(共同労働・相互扶助)との関わりはどうか?(高田) →㈰集落は基本的には行政
の枠組みであり、自分の村として意識される単位は町内会あるいはカンポンが基本に
なっている。㈪スハルト期には住民組織が政治的に利用され、村のリーダーもそれを
利用してきたが、現在は国家の強い統治力が低下したためにそれがしにくい構造に
なっている。ゴトン・ロヨンについては、村レベルよりも小さいカンポン単位で頻度
は不明だが存在している。

報告の副題にある「国家・社会関係」の国家はどのような意味・単位で用いているか
?報告で使われた住民と市民という言葉については、住民の市民化と考えるか、両者
をイコールと考えるか?それによって民主主義の論じ方が変わってくると思われる。
(左右田)→本報告において、「国家」(State)の単位は、場面によってそれが変
化する。スハルト時代のStateは村落レベルでさまざまな形態(村役場、開発プロ
ジェクト、官製組織)で住民の生活に浸透していた。市民という言葉については、村
レベルの話をする際には、市民=都市のイメージがあるため、住民という言葉を使っ
ている。本報告では「住民」を「市民」と同じ意味で使用している。

ここにあげた以外の点についても参加者の間で活発な議論がなされた。
文責:塩谷もも(東京外国語大学大学院博士課程)

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連絡先:関東地区例会委員 國谷徹