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個人研究発表

反・反イスラーム主義の政治社会学
―スハルト後のインドネシアにおける宗教運動と民衆―
佐々木 拓雄(国際医療福祉大学非常勤講師)

 反・反イスラーム主義という概念の使用によって意図しているのは、イスラーム主義にも反イスラーム主義にも与しない人々の存在や態度を掬いとることである。1998年のスハルト政権崩壊から現在までのインドネシア政治は、現地ムスリム社会の文化的態様を映し出すかたちで発展してきた。そこであらわれた最も大きな、しかし見過ごされがちな潮流が、反・反イスラーム主義である。本発表では、概ね以下の主張にそって、この潮流の文化的背景、宗教運動との関わり、政治社会でのあらわれ方について論じ、スハルト後インドネシアの政治変動を読み解く際の視点や理論的枠組を提起する。
 インドネシアのムスリム社会は、従来、アバンガン(名目的ムスリム)とサントリ(敬虔なムスリム)の二項対立図式によって捉えられてきたが、その構造は、開発の成果やイスラーム復興のうねりとともに変化した。すなわち、読み書き能力の大衆化とマスメディアの発達などにより、聖典を読む人々が増え、逸脱への恐れとともに、聖典の規範が浸透した。これは、聖典の規範がすぐに履行されるようになったという意味では必ずしもない。履行すべきだという志向性が広まったという意味である。そうしたかたちの再イスラーム化が進行する一方で、住民の多数は、アバンガン文化の特色ともされた「寛容」も保ち続けた。この「寛容」は、信仰スタイルの多様性を受け入れる態度とともに、異種混交性の高い大衆文化に象徴される創造的な力とも結びついている。
 聖典に基づくイスラーム・アイデンティティの高まりと高度な「寛容」を併せ備えたこの多数派住民の心性は、それをとりまくどの宗教運動とも容易に結合しない。スハルト政権崩壊後、イスラーム主義(聖典主義)運動が活性化し、コミュニケーション上の強力な地位を得た。しかし、この運動は「寛容」に基づかないがゆえに、当然のように支持層に限界があった。他方、これに対抗する多元主義(リベラル)イスラームの運動は、多数派住民との接合がより可能であるが、不寛容に対しても「寛容」を持続する人々のスタイルとこの運動の間には、注意して見るべき隔たりがある。
 こうして特定の運動に帰せられない人々の、多くの場合、イスラーム主義運動に対する反応として政治社会にあらわれてきたのが、反・反イスラーム主義の潮流である。それは、社会統合のコアとなると同時に、政治力学の焦点ともなった。「ムスリムである前にインドネシア人であれ」とする世俗的ナショナリストたちの言説が衰退していったのは、それを吸収する基盤が大きく失われたことの表れである。また、現大統領ユドヨノが選挙で成功した要因の一つは、彼が自らのムスリムとしてのアイデンティティを薄めることなく、世俗的なコミュニケーションの奥行きを広げようとした点にあった。