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シンポジウム

ヒンドゥーにおける多元化される価値と政治
永渕康之(名古屋工業大学)

 1980年代、インドネシアにおけるヒンドゥーはバリ島からの脱領域化を経験している。すなわち、バリ島以外のヒンドゥーがバリ島のヒンドゥーよりも多数をしめるという認識がヒンドゥー内部で広まり、バリ島以外のヒンドゥーの組織化がすすみ、発言力を増しているのである。従来、ヒンドゥーはバリ島のバリ人が多数をしめることを前提として、宗教行政におけるヒンドゥーに関する制度は整備されてきた。ヒンドゥーのバリからの脱領域化はその歴史を塗り替えるとともに、バリ中心主義批判をともなうものであった。すなわち、バリの共同体をあらかじめ前提として形成されたヒンドゥーをめぐる制度の限界が指摘されはじめたのである。2001年、バリにおけるヒンドゥー代表機関の分裂という劇的なかたちで批判は表面化した。さらに批判は宗教領域にとどまらず政治世界にも向けられており、バリ社会の今後を左右する2004年に実施された二つの選挙(国民評議会州代表選挙と州知事選挙)に批判勢力は大きな役割をはたした。本発表の第一の目的は、宗教批判勢力の成立過程と現在の動向に焦点をおきながら、批判の内実はいかなるものであり、何を目指しているのかを明らかにすることである。
 脱領域化が生み出した最大の変革はヒンドゥー内部における価値の多元化である。市民社会の実現や多様な声に開かれた民主的立場の強調といった従来なかった宗教の公共的役割をヒンドゥーの団体は意識しはじめた。こうした傾向は、スハルト体制の崩壊過程において顕在化した「改革」と並行するものであるとともに、公共宗教という枠組みにおいて論じられている近年の宗教運動の高まりをめぐる議論と呼応するものである。しかし、民主的ヒンドゥーという主張のもとに結集した多様な声のあり方を見た場合、市民社会や民主主義といった課題を参加主体が共有しているわけでは必ずしもない。むしろ、個々の主体は個別の要求を掲げており、しかも互いの主張において各主体は時には対立している。出自集団や慣習村といった共同体レベルの要求が根強い一方、個人の精神性への希求も拡大している。現在のインドネシアにおけるヒンドゥーは決して同じ価値を共有する単一の閉じられた領域ではなく、むしろきわめて不連続な主体によって構成されているのである。公認宗教への所属が市民権の一部として制度化されている以上、所属宗教を破棄するわけにはいかない。とはいえ、ヒンドゥーという枠組みの内部にいる限り、多元化される価値とそれがもたらす抗争を生きざるをえない。不連続な主体による異なる主張がヒンドゥーという枠組みにおいて接合されている現実に焦点をあて、そのなかで宗教をめぐる諸価値がどのように問われ、政治運動とどのように結びついているのかを明らかにすることが本発表の第二の目的である。