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シンポジウム

アダットとキリスト教:土地・資源をめぐる先住民運動にみられる文化シンボルの性質と役割―東西カリマンタン州の事例から―
浦野真理子(北星学園大学)

 インドネシアにおける、アダットをシンボルとする土地・資源をめぐる先住民運動の性質を、1997年から1999年の間に行った東カリマンタンのダヤク・クニャー族の村における17ヶ月のフィールドワークの間に得た参与観察とインタビュー、および2004-5年の間、東西カリマンタン州で行なったインタビューを通して得たデータをもとに検討する。
理論的問題は、(1)過去に採られてきた国家の政策が社会運動の形成にどのように影響するか、(2)文化シンボルは人々が存在意義をかける儀礼なのか、あるいは政治アクターのイデオロギー的道具なのか、である。
 インドネシアでは、スハルト大統領時代の中央集権的な資源開発政策のもと、森林資源の豊かな外島の住民たちは、1965年農業基本法に認められている農民の慣習(アダット)的土地所有に対する権利を認めるよう主張してきた。近年の民主化と地方分権化は、アダット的土地所有の権利強化を求める先住民運動にとって、またとないチャンスといえる。
 東西カリマンタンの農民たちは、木材伐採会社や鉱物採掘会社との間に似通った土地問題を抱えてきた。しかし、農民のエリートたちがそれに対処する運動を組織するそのやり方は、きわめて異なっている。西カリマンタン州の農民は、アダットを旗印とする強い民族アイデンティティを持ち、それが政府の政策に抗議する際に住民組織の大きな力となっている。一方、東カリマンタン州の農民のリーダーたちはアダットを主張してはいるものの、彼らはほとんどが政府の職員や議員たちなどであり、政府がつくった官製のアダット・ネットワークを利用する形で運動を行っている。そのため政府がすすめる森林開発政策などに対して、概して宥和的である。
 なぜこのような違いが生まれてきたのか。その理由のひとつは、60年代に国が反共産主義政策の一環として五大宗教への国民の帰属を徹底させたことにより生じた、両者の宗教的帰属の違いである。クニャー族の住民のほとんどは従来のアニミズムからプロテスタント系キリスト教に改宗したが、プロテスタント系教会はアニミズムの儀式に対して非常に厳しい態度で臨み、その結果、アダットの儀式はほとんどが失われた。クニャー族のリーダーたちが、アダット的土地所有への権利を主張してきたのは、それが国の法律のなかにも認められており、比較的安全な権利の表現手段だったからである。それに対して、西カリマンタンのダヤク族の間では、アニミズムに対して寛容なカトリック教会が優勢であった。そのため、西カリマンタン州のダヤク族のリーダーたちは、伝統的な民族のシンボルを用いた住民の組織化を容易に行なうことができた。
 以上の点は、国家がその政策を通してもたらした社会的な変化が、農民のリーダーが文化シンボルを用いて運動の組織化を行なう能力に影響していることを示している。農民のエリートたちは、文化シンボルを戦略的に道具として用いてきた。しかし、特定の文化シンボルが利用可能かについては、彼らが組織化しようとしている住民の間でどのような価値の変化が起こってきたか、に深くかかわっている。