個人研究発表
植民地期のカンボジアにおける他者認識の成立過程――タイ人の他者化を中心として
笹川秀夫(上智大学アジア文化研究所客員研究員)
カンボジアのナショナリズムの成立期にあたる1930年代以降、国内に住むベトナム人と中国人を他者と見なすことで、「彼ら」とは異なる「われらクメール人」というまとまりが創り出されてきた。1940年代前半には、タイ=仏印戦争の影響を受けて、タイ人もまた他者と見なされ、「われらクメール人」との差異が出版メディアを通じて喧伝されるようになった。
クメール人のベトナム人嫌いは顕著に見られる現象であり、カンボジア国内に住むベトナム人に対する襲撃事件が過去に複数回にわたって発生していることなどから、カンボジアにおける反ベトナム感情については、これまでのカンボジア研究でも注目を集めてきた。しかし、シハヌック時代におけるタイとの国交断絶や、2003年1月、プノンペンで発生したタイ大使館やタイ系企業の襲撃事件に見られるように、反タイ感情もまた、カンボジアのナショナリズムの通奏低音をなしているといえる。
他方で、「ネーション」に相当するクメール語「チアット」が、タイ語「チャート」に由来することや、現在のカンボジア王国憲法で国是とされている「民族、宗教、国王」というスローガンもまたタイからの影響を受けていることなど、カンボジアのナショナリズムの根幹をなす語彙や概念は、タイ語を学び、タイ(シャム)に留学した僧侶によってカンボジアにもたらされたと考えられる。しかしながら、タイ人の他者化がカンボジアのナショナリズムを構成する重要な要素の一つとなったことから、こうしたタイ(シャム)からの文化的な影響が声高に語られることはなくなった。
本報告は、植民地時代に刊行されたクメール語文献の記述内容を検討することで、カンボジアのナショナリズムの成立過程をたどり、近代的な語彙や概念をクメール語に取り込む際にタイ語を参照しつつも、タイ人を他者と見なすようになった過程を論じることを目的としている。あわせて、ナショナリズムの成立時期に見られる特徴が、独立後も現在にいたるまで、カンボジアで影響力を保持している点についても若干の言及を行ないたい。