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東南アジア史学会関東部会9月例会報告要旨

2005年6月の関東地区例会の報告要旨をお届けいたします。
今回は、既に御案内致しましたとおりに、関東例会そのものではなく、日本学術会議東洋学研究連絡委員会公開シンポジウム「――アジア人間科学への道――東洋学とアジア研究――」が開催されましたので、これをもって関東例会に代えました。
 このシンポジウムの報告をもって、関東例会の報告要旨と代えさせて頂きます。

シンポジウム
「アジア人間科学への道」
主催:日本学術会議第1部東洋学研究連絡委員会・財団法人東方学会・中谷英昭教授共同研究プロジェクト「総合人間学」

日時:2005年9月24日(土)13:00〜17:00
会場:東京大学文学部1番大教室(東京大学法文2号館2F)

プログラム
(1)石井米雄(大学共同利用機関法人人間文化研究機構長)「東洋学と地域研究」(東南アジア史学会)
(2)大橋一章(早稲田大学文学部教授)「仏教美術の伝播――中国・朝鮮・日本――」(美術史学会)
(3)蓑豊(大阪市立美術館館長・金沢21世紀美術館館長)「オリエントとは何か」(東洋陶磁学会)
(4)内堀基光(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長)「アジアにおける民族学と人類学:東南アジア島嶼部を中心として」(中谷英昭教授共同研究プロジェクト「総合人間学」)
(5)藤井正人(京都大学人文科学研究所教授)「総合学としてのインド研究のあり方を探る

問題提起:桜井由躬雄
 シンポジウムのテーマを「人間科学、東洋学・アジア研究」にしたが、語感が違う。東洋学は文献中心、アジア研究はフィールドを中心、前者は前近代、後者は現代を中心とすると考えられている。東洋学は文明の普遍性を中心に、アジア研究は、発信を考えず、地域性、個別性を中心にする傾向がある。ここにディシプリンの差がある。
 両者の共通点は、「アジア」であるが、これは地域であり、個性を持った空間である。この個性を地域性(regionlity)とする。自然環境と人文環境の相互作用の経過と結果、この総体を探求するのが人間科学であり、それ故に「アジア人間科学」とする。
 東洋学とアジア研究の違いは、以下の3点に分けられる。
1)文献とフィールド:素材の相違。批判の上に使用。
2)個別性と普遍性→文化と文明:地域性と世界性、対立ではなく、相互的に見ることが可能。
3)受信的、発信的:
 この両者を融合するために「グローバル化とアジア」という特定研究の科学研究費をとり、更に発展させていく計画である。

石井米雄

「東洋学」と「地域研究」

人間科学をフランス語にすると”Le Science de le home”になる。
日本の東南アジア研究は、東洋学として始まり、戦後、アメリカの影響で地域研究が入ってきた。
しかし、ヴェトナム研究に見られるように東洋学の延長としての東南アジア研究が強い。しかし、この文献研究の限界を感じたことがある。その例として『真臘風土記』に「大抵一歳中可三四番収種」とあるが、自然科学者の目から見て、同じ種類のが年に3・4回収穫できるのか、そうでないとすると実態はどうなのか、という対話を受けて目を見開かせられた。あらためて、研究すると、カンボジア稲作の多様性に気付かされた。この地域には、雨季田、浮稲田、乾季田とあり、どこでもいつでも何らかの稲が収穫される。耕作する者は、水の有無を知り、植える稲を選別するのである。これが先ほどの漢文の本来の意味である。
 ここに、「東洋学」と「東南アジア研究」の交流の可能性がある。文献と臨地調査の両方が必要なのである。


大橋一章(早稲田大学文学部教授)

「仏教美術の伝播――中国・朝鮮・日本」(美術史学会)

 法隆寺西院伽藍は現存する最古の木造建築といわれる。本報告の目的は、このような仏教美術(建築や仏像)の源流を探ることである。報告者によれば、日本の仏教美術の伝播の流れは、従来広く受け入れられてきたような、敦煌→中原→朝鮮→日本、という西から東への流れではなく、むしろ、中原から、西は敦煌へ、東は朝鮮を経て日本へ、という中心から周辺への流れであった。
 朝鮮半島を経て6世紀前半に日本に仏教が伝来した後、日本に伝播した仏教美術は、ほとんどそのままのかたちで受容され、当初は「日本化」がほとんど施されなかったことが特徴的である。


蓑 豊(大阪市立美術館館長・金沢21世紀美術館館長)

「オリエントとは何か」(東洋陶磁学会)

 本報告では、美術の世界に焦点を当てつつ、「オリエント」という用語について考察が加えられた。報告者によれば、「オリエント」という用語は、おそらくは植民地主義的な響きを帯びるために、近年、アメリカやカナダにおいては「オリエント」という用語が急速に使われなくなっている。それに比べると、イギリスでは「オリエント」という言葉が相対的にまだ広く使用されているようである。植民地主義の時代以前より、ラテン語の「オリエント」という言葉は、地中海から見て、太陽が昇る方向である東方を指す言葉として使用されていた。「オリエント」や「東洋」という言葉の使い方をよく吟味する必要はあるが、こうした用語の使用を止めてしまう必要はなく、用語に込められたポジシティブな意味合いをうまく生かして使い続けていくことが望ましい。


内堀基光(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長)

「アジアにおける民族学と人類学:東南アジア島嶼部を中心として」(東京外国語
大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究プロジェクト「総合人間学」)

 本報告では、東南アジア島嶼部研究を中心に、民族学と人類学、及びそれらと地域研究との関係について検討がなされた。報告者によれば、人類学者は「村しか知らない」と言われることがあるが、ここでいう「村」を対面的な社会関係が展開する「微小な地域」と捉ええれば、これはむしろ人類学のあるべき姿を表現したものとポジティブに理解されうる。この「微小な地域」とは「地域研究」が言うところの国家の規模を超えた「地域」とは異なる。また、人類学や民族学は歴史学とは異なった、「長時間」「非時間」ともいえる時間的射程をもっている。
 ギアツなどの例外を除くと、東南アジア島嶼部を対象とした人類学研究で人類学全体に大きな影響を与えた研究は少ない。自然人類学と文化・社会人類学との間の乖離は拡大しているが、認知研究や進化研究の分野で接点がある。
 微小地域的な見方と大中地域的な見方は根本的に異なるが、現状では、人類学者の中に、「地域研究」的な人たちと「非地域研究」的な人たちが共存している。


藤井正人(京都大学人文科学研究所教授)

「総合学としてのインド研究のあり方を探る:王権・儀礼をテーマとして」(日本印
度学仏教学会)

 本報告では、王権と儀礼に焦点を当てて、総合学としてインド学の可能性が探られた。報告者によれば、日本印度学仏教学会では、地域研究としてのインド研究とも、宗教学における仏教研究とも異なり、インドと仏教との関連に注目する複合的なアプローチが取られている。報告者個人はヴェーダ研究を行っているが、
共同研究として、古代インドの王権と儀礼を考察している。インド学と歴史学の知見を融合しつつ、王権・儀礼や国家形成という課題に取り組んでいる。古代の国家形成の問題を考えるうえでは、国家の要件の明確化、王権などにまつわる語彙の研究、言語史料と非言語(考古学)史料の両者の活用が必要だろう。こうし
た問題に取り組むうえでは、異なるディシプリンの人たちが同一の史料を読み、意見を交換することが重要ではないか。

文責:奈良修一

本要旨を作成するに当たり、左右田直規先生にお手伝い頂きました。ここに改めて感謝申し上げます。