個人研究発表
第二次世界大戦期アジアにおけるアーカイブズについて
安藤 正人(人間文化研究機構国文学研究資料館)
日本の植民地支配や戦争をめぐるいわゆる「歴史問題」を克服し、アジアの人々と歴史認識を共有するためには、何よりも歴史認識の基礎となる記録(アーカイブズ資料)の共用化がはかられなければならない。記録の共用化とは、残された記録を掘り起こし、科学的に整備し、これを共通に利用できる、開かれたアーカイブズ(文書館)・システムを創り出すことにほかならない。ただ、そのための基礎的なステップとして、過去の植民地支配や戦争において、アーカイブズ資料がどのように破壊されたり、流出あるいは散逸したのか、また幸いに残されたものは、どのような経緯で残ったのか、という「アーカイブズの歴史」archival historyを明らかにすることが極めて重要である。 それは、今なお止むことのない戦争の脅威から記録をどう守っていくのか、という現実の問題にもつながっており、歴史学とアーカイブズ学が協同で取り組むべき課題だと考えている。
本報告では、日本占領期のマラヤ・シンガポールに例をとり、現地のアーカイブズ資料がたどった歴史の一端を、少ない史料から紹介してみることにしたい。とりあげる素材としては二つ考えている。ひとつは、クアラルンプールに保管されていたマレー連合州とセランゴール州政府の重要公文書が、日本軍侵攻直前にシンガポールに避難移動させられ、日本統治下になってから、その探索と原状復帰が試みられるという小さな「事件」である。日本軍政下における文書行政や記録保存システムの詳細はほとんどわかっていないが、本件は原史料によってその一端を垣間見ることのできる貴重な事例だと思われる。
第二に、直接史料ではないが、戦後、マラヤ・イギリス軍政部に設けられた「記念物・美術・アーカイブズ課(M.F.A.A.)」の記録から、シンガポールのラッフルズ博物館・図書館(「昭南博物館・図書館」)を中心とした日本軍政期のアーカイブズ活動について見てみたい。同博物館・図書館については、E・J・H・コーナー『想い出の昭南博物館』(中公新書)によって広く知られており、本報告ではそれ以上に新しい事実を示すことはできない。しかし、マラヤ・シンガポール全体のアーカイブズ史を明らかにするうえで、日本軍政期における同館の活動は大きな位置を占めていると思われるので、やや詳細に史料紹介を行いたい。また、イギリス軍政部記念物・美術・アーカイブズ課(M.F.A.A.)自体も、「戦争とアーカイブズ」の関連を考える上で興味深い存在である。時間的余裕があれば、日本軍政との比較を念頭におきつつ、その性格を論じてみたい。