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個人研究発表

「亡国の民」の形成
-山地民ラフの自律的政権の解体をめぐって-
片岡 樹(東京経済大学非常勤講師)

 本報告は、東南アジア大陸部山地社会における民族意識の変遷過程を、チベット・ビルマ語系民族のひとつであるラフの事例から論ずるものである。現在の東南アジア(特に山地)で語られる民族的自己規定は、しばしば中国側での歴史的経験を反映している。にもかかわらず、中国での過去と東南アジアでの現在を架橋しつつ理解する試みがこれまでじゅうぶんになされてきたとはいいがたい。本報告は、そうした問題意識を前提に、現在のタイ・ビルマのラフに流布する「亡国」神話を、19世紀末の雲南西南部における政治変動(清朝によるラフ地区の軍事的征服)との関わりで考察することにする。
 ラフの神話が語る、かつて滅ぼされた「ラフの国」がどのようなものであったのかについては、現在の中国民族学の成果を参照することでその輪郭が得られる。そこから明らかになるのは、「ラフの国」における非ラフ的要素の大きさである。18-19世紀に進行した自律的政治統合の強化は、漢伝仏教の影響下に一種の仏房連合体として形成されていた。そこで「ジョモ(王・神・仏)」と崇拝される指導者層には漢人僧が多く見られ、その権力はしばしば周辺地区の「厰棍漢奸」あるいは内地漢人の不平分子との連合によって支えられていた。しかもこうした仏房連合体の組織化は、19世紀における清朝による限定的かつ断続的な介入によって二次的に強化された側面が強い。
 この「ラフの国」の最終的な解体は、1880年代の上ビルマの英領化と、それに対応した清朝の辺防政策の推進に起因する。国土防衛とそのための国境画定という課題のなかで、「ラフの国」の清朝への未服従が、当時の雲貴総督によって突如問題視されるようになったというのがその経緯である。「ラフの国」の解体は、「逆夷の平定」により国境防衛上の不安を取り除くという清朝側の論理によって進められた。
 事実上の独立状態にあった「ラフの国」は、名目上は孟連土侯国領となっており、しかも孟連は清朝と王朝ビルマの双方に服属していたため、1880-90年代には国境画定作業に伴いラフ地区の帰属問題が発生した。同時期には「亡国」状態の回復を神の再臨によって実現すると説く千年王国主義がラフのあいだで急速に高まることになるが、それは中英双方が干渉を強めたことへの反応として把握可能である。現在まで受け継がれるラフの千年王国主義は、この運動を開祖とするものである。
 以上の考察からは、現在のタイ・ビルマにおけるラフの特異な民族意識のあり方は、19世紀末の雲南西南において、従来のローカルな政治体系が近代国家によって存続を否定されたという経験を反映しているということができる。