立教大学観光学部 舛谷研究室 masutani lab, tourism, rikkyo

ホーリー祭とカラーラン、カラフルラン

以前ゼミ生グループが「海外卒業旅行企画コンテスト」で優秀賞を受賞したことがあった。その際日本旅行とチラシ制作まで漕ぎつけたのが「インド交流の旅〜ホーリー祭に参加して交流を深めよう〜」だった。当時からこの期間の滞在は都市によってはかなり危険と言われていたが、ヒンドゥーの豊作祈願だから、南アジアならネパールでも良いし、東南アジアならバリでもと思ったが、こちらはなさそう。などと思っていたが、日本を含め各地でカラーラン、カラフルランと呼ばれるスポーツイベントが行われていて、ホーリー祭派生らしい。日本国内はもちろん、ファンライドとして確立したアメリカ全土、その後カナダ、イギリス、オーストラリア、台湾、韓国、ベトナムなどで実施されている。ここシンガポールでもセントーサ島で毎年8月に実施されているらしい。今年の実施は未確定だが、塗りたくられるの覚悟で見物に行こうか?

5つ星ホテルに安く泊まるには

学生のうちにリッツのバトラーサービスを経験できる人は少ないだろう。しかし、何事も自分の体験が一番勉強になる。そこで、為替換算でツインシェア一人分1万円台で泊まれるクアラルンプールを薦めることが多い。これは実感であって、アジアのホテルの客室単価を比べたわけではない。よくあるホテルサービスでなく、料金の国際比較があればと常々思っていた。

似たようなリストにトリップアドバイザーの「世界主要都市のタクシー料金」がある。日本の高さが際立ち、シンガポールが意外に健闘しているのがわかる。マレーシア、インドネシアはないが、この順で右に(長く)行けるだろう。

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昨年日本にも参入したドイツのオンライン旅行会社ホテル・リザベーション・サービス(HRS)の"Annual Hotel Price Radar"によると、禁酒法など、何かとシンガポールのお手本になっているオーストラリアの二都市が250シンガポールドル超、シンガポール、香港がそれに続く。この調査は現地メディアでは「シンガポールのホテルはアジアで三番目に高い」という記事になったが、逆に安いのは、バンコク、バンガロール、ジャカルタなど。ソウルが意外に健闘し、クアラルンプールが上海より高いというのが実感と異なる。

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私の実感とは、設備、サービスともグローバルな5つ星の体験にどのくらいの対価を払うかという比較。冒頭のリッツカールトンで言えば、東京75,800円(864SGD)、シンガポール460SGD、ソウル340,000Won(416SGD)、クアラルンプール500RM(189SGD)の順で実感にそぐう(ザ・リッツ公式、15/4/15デラックス想定)。

ゼミプロジェクト(サブゼミ)の記録

第三回ゼミ総会(2014.5)配布資料です。ドレスコード民族衣装で、こんな感じでした。

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 前回のゼミ総会配布資料「ゼミ合宿の記録」で、「舛谷ゼミは合宿とサブゼミ(プロジェクト)と卒論でできている、と言っても過言ではない。」と書いた。教授昇格時の第一回(2008.5.17)、10期生記念の第二回(2012.5.26)、齢五十を迎え、立教在籍予定三十年間の折り返し、ちょうど十五年目の今回まで、その気持ちは変わっていない。
 そもそも「プロジェクト」とは何か? 何かをやり遂げてほしいという機能への願いを込めて、一貫して「サブゼミ」という形式的な呼称を使って来なかった。元は私が知りたいこと、掘り下げたいことをテーマにして、一緒に探求する目的だったが、現在は同期による横の学びと平行し、学年通したピアサポートの場として位置づけている。何と言っても、教えることは学ぶこと、なのだ!
 サブゼミリーダーが活動の過程で意識を高め、ゼミ長をサポートし、ゼミ運営を円滑化する効果がある一方、主に昼休みに行われるランチミーティングの頻度が高く、私の最も嫌う「やらされてる感」が漂ってしまうのが今後の課題である。効果的な進め方について、現役、OBでぜひ意見交換してほしい。
 なお、以下の記述は過去wikiウェブを確認しながら記憶で書いているので、補足訂正すべき箇所はぜひ教えてもらいたい。

ICT
元ITプロジェクト。サイバーラーニングを担当する舛谷ゼミのキープロジェクトで、ここのリーダーがゼミ長になることが比較的多かった。社会学部でゼミをはじめたとき、メディアセンターの役職をしていて、IIJやドコモなど、立教出入りのIT企業との産学連携を進めたいという気持ちがあった。アキバフィールドワークで2万円パソコン(100ドルPC:OLPCのつもりだった)を購入貸与し、Linux OS(近年はUbuntu)をクリーンインストールしてもらうのが常だった。10からタブレットに移行し、直近の13では電子書籍端末を強調した。デバイス目当てを避けるため、ITパスポート取得や仮想サーバ構築など、様々なタスクを課している。09の使い残しゼミ費に補充し、「ゼミ生がICTについての見分を広め、教養を高めることを援助するため、経済的援助を与えることを目的とする」ICT援助金を設立し、自己申告で資格や機器など何でも、半額5000円上限まで補助している。この基金への寄付を歓迎する。

観光まちづくり
元エスニックタウンプロジェクト。担当者の専門(華僑研究)を踏まえ、チャイナタウンをはじめとするエスニックタウンの探訪を目的としたが、色々なところに行きたくなったので、どこでも行けるよう「観光まちづくり」を行う現場へのフィールドワークに拡張した。毎年6月に行われる屋形船は、定番化した人気企画である。08から自主企画ではじまった山手線徒歩一周の運営も、定例化に伴い行っている。各地で行われるボランティアガイド等、見に行きたい場所はたくさんあるが、魅力的なフィールドを見つけたときは、ぜひ教えてほしい。
なお、10から活動実態が似通ってしまった、まなざし観光(旧なつかしい論+エキゾチック論)を合併吸収している。観光のまなざしの二つの代表例、なつかしいとエキゾチックは自己と他者の裏表であるという一応の結論を出し、アーリ『観光のまなざし』未訳の第三版の定義の翻訳もしてもらい、惜しむ向きもあったが、役割を終えたと考えている。

メディア・ツーリズム
元エスニックメディアプロジェクト。これも担当者の専門を踏まえ、多民族社会における少数民族語メディア(エスニックメディア)を対象としたが、日本だと中国語など日本語以外になってしまうので、観光資料ともなる海外の日本語メディアも対象にしていた。マスコミはじめ、メディア研究への関心、そして近年のアニメ聖地巡礼等のコンテンツツーリズムの展開に応じて10から改称した。フィールドワークも聖地巡礼すればよいので、やりやすくなった。

トラベルライティング
毎年トラベルライティングアワードを選定し、勝手に表彰している。はじめたときから、これはゼミがなくなっても続くだろうと自惚れた企画。すべてのトラベルライティング(旅エッセイ)を対象にするのは難しいので、「日本語機内誌」という限定を設けた。毎年JTB旅の図書館や立教新座図書館所蔵の機内誌を読み、候補作をしぼって全ゼミ生の投票で決めている。経年広報の効果で、研究室に寄贈される機内誌も増え、まだ観光マスコミに限定されるが、学外の関心も高まっている。11からプレスリリースを打ち、授賞式(受賞者欠席なら発表会)を開催している。

日本とアジア
04発議で唯一の学生発プロジェクト。流行語大賞2013で候補50に残るほど一般的になったダークツーリズム(死、悲劇、暴虐など負の遺産を観る)を中心に、日本ならではの災害跡地や公害からの環境回復を対象にしている。東日本大震災後の現在、広く注目されているが、個人の研究課題としては、本来の定義である戦跡観光を中心に考えている。学生プロジェクトの方は、広く関心の趣くままに進めてほしい。靖国を含む皇居周辺見学等、フィールドワークを重ねて練り上げたコースもある。

グローバルスタンダード
当初の意図はインターネットの標準規格であるRFC やISOなどの国際標準化を対象とする目論見だったが、青木保の文章(『憩いのロビーで』所収)にあった「もしグローバルなスタンダードというものがあるとしたら、国際的なチェーンホテルの出現はそれを端的に示すことだと思う。」を踏襲したソフトパワー論に移行し、ホテルチェーンやファッション、ブランドなど、グローバルな消費文化の魅力の源泉を探ってもらっている。
自主企画ではじまった富士登山の定例化に伴い、「世界遺産」というグローバルスタンダードを対象に加えている。

ホームステイ
2004年から行っていたブルネイ合宿は主にイスラム家庭ホームステイだが、現地の評判がよく、毎年来られないかと要望があり、07でゼミ合宿からスピンアウトさせ自主企画で毎年実施にし、08からは新設ホームステイプロジェクトに運営を移管し、私が行かなくてもできる体制を整えた。その後、学部間協定校のマラヤ大やモンゴル国立大など、立教訪問プログラムに際し、主に土日一泊のホームステイ受入れがはじまり、送り出しと受入れの両面から、ホームステイを検討することができるようになった。ペナンやバリなど送り出しに困ったことはないが、日本側の受入れは常に不足しているので、ぜひOBにも協力をお願いしたい。地元志木ロータリークラブの日豪相互ホームステイなど、外部から協力を要請されることもある。

 こうして見ると、プロジェクトの内容が各自の卒論テーマにつながったり、就職に影響したりしているケースも散見される。しかし、プロジェクトは生き物である。今後も生没流転を繰り返して行くのを、むしろ楽しみにしている。

 さて、末筆ながら私の五十天命である。大学の仕事には、研究、教育、学務という三種類がある。学務で便利に使われているのはご存知の通りだが、もちろんこれではない。この会場には全ゼミ生の半分近くの教え子が居るが、全員と顔見知りなのは私一人である。研究も大事だが、やはり私は教育だと思う。
 この9月からその名も「研究休暇」をいただき、一年間、シンガポールの南洋理工大人文社会科学部で教えることになった。この経験が今後の教育をパワーアップさせることを目指したい。皆さんリピーターかもしれないが、新たなシンガポールの魅力を探し、この間に縁あって訪れる方がいれば、ぜひ現地でお伝えしたい。とはいえ、ずっと日本を離れているわけでなく、MOOC(大規模オープンオンライン講座)の一環であるgacco.orgで科目も担当し、一時帰国しての反転学習(スクーリング)も予定している。
 次回総会は私が勤続20年で立教校友の権利を得る2016年度あたりだが、今回初めて現役学年(しかも就活中)の手を煩わせたが、初回03、二回目07に続き、次回運営してくれるという学年があれば歓迎する。

ゼミ合宿の記録

第二回ゼミ総会(2012.5)の配布資料です。当日はドレスコードアジアで、こんな感じでした。

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 舛谷ゼミ(社会学部産業関係学科1999-2005/観光学部交流文化学科 2006-)は合宿とサブゼミ(プロジェクト)と卒論でできている、と言っても過言ではない。海外合宿は大事な異文化体験の研修機会で、私からすると個々の個性をじっくり見極める好機でもあった。
 今後は2年海外合宿のみ必須とし、3、4年は年度はじめの希望によって自主的な実施を検討してもらうことにしようと思うが、「総会」の共通討議として、今後の海外合宿のあり方について、現役、OBでぜひ意見交換してほしい。
 なお、以下の記述は写真をピックアップしながら記憶で書いているので、補足訂正すべき箇所はぜひ教えてもらいたい。


産関00
● ソウル合宿(2001.12)
社会学部、特に産関ではそれまで海外ゼミ合宿実施がなく、ずいぶん心配された。その後いろいろな先生が海外合宿をはじめるきっかけとなった記念すべき初合宿である。実際には年末オフシーズンのスケルトンツアーに乗ったお手軽な渡航手配だった。しかし、現地では延世大学やソフトウエアパークなど様々な場所を訪れ、アスキー編集部から紹介された、当時ブロードバンド先進国だった韓国のIT事情を日本に伝える翻訳者、執筆者たちがついて回ってくれたぜいたくな見学だった。もちろん仁寺洞や梨泰院など定番観光地も外さなかったが、板門店は予約が取れなかった。立教相撲部がモデルの映画『シコ踏んじゃった』が韓国でもヒットしていて、ゼミ生の相撲部キャプテンがスポーツ紙に取材された。今にして思えば韓流前のソウルは静かでしたね。
● 大連合宿(2003.1)
ソフトウエアパーク日本業務部の三上さん(マルチリンガルコンピューティングつながり)を頼って、海橋ホテル泊で日本家屋の残る大連へ。大連外語との学生交流もありました。飛ぶ鳥落とす勢いの中国ソフト企業の重役プレゼンで居眠りもしました。(現新致軟件総経理でいまだに連絡有)まだ外国人立ち入りチェックの厳しかった旅順も開放地域に限って回りました。この学年は前年末のソウルといい、年初の大連といい、厳寒のオフシーズンにホテル泊合宿が続いたのは手探り期だったせいでしょうか。
●ブルネイ合宿(2004.2-3)
2003年の日本ASEAN交流年に初めて国際会議で行ったブルネイで、ブルネイ日本友好協会事務局長で、当時三菱商事の澤田さんと知り合い、日本人100名足らずのブルネイに、ほとんどいない日本人大学生を連れて行くのはインパクトがあるだろうと、トントン拍子に話が進み、4年合宿として2004年春はじめてブルネイホームステイを実施しました。ブルネイ大訪問の際は現地学生が日本人学生に群がり、異様な光景でした。現地学生グループの当時のリーダーが周到に準備してくれて、ステイ先はすべてブルネイ大生宅だったのが以後との違いです。


産関03
● 香港合宿(2004.8)
香港中文大のシドニー・チャン先生と国際交流部の旧友を頼って香港へ。大学内ゲストハウス泊で中文大キャンパスや大牌檔屋台などローカルを満喫し、後に留学する人も出ました。無人島に渡ったり、取り壊し寸前の公団住宅を見学したり、広州に渡ってキャノン現地法人も訪問しました。最後に香港島の六本木、ランカイフォンのお洒落なベトナム料理で締めたのはやり過ぎだったかな。
● マレーシア合宿(2005.9)
社会学部最終年度は研究休暇をいただきました。クアラルンプールのマラヤ大で教えながら、一家で過ごす私のところへ、合宿代わりに10名ほどが来てくれました。張り切って接待したつもりでしたが、新都心プトラジャヤでは、大使館の人の言と違って、一般には入れないお役所が多く、飛び込みでサイバージャヤのIT企業に潜り込み、ルックイースト理系留学で日本に来たことのある若い技術者と話したりしました。小泉当時首相訪馬直前で、商工会議所の方が小泉対応のパイロットとして、ダイハツ合弁の第二国産車プロドゥア工場見学させてくれたのは貴重でした。マラヤ大で日馬の教え子同士の交流はうまく行き、今でも連絡取り合っているようです。
●ブルネイ合宿(2007.3)
当時の切り札、イスラム家庭へのホームステイは4年でと考えていました。前回同様、ブルネイ日本友好協会の手配で、この年から友好協会会員の裕福なブルネイ家庭へのステイが定番になりました。今回も立教生の評判がよく、毎年実施できないか、すぐ卒業でない学年も連れてこられないかと現地の要望があり、2008年3月にゼミ合宿からスピンアウトさせて自主企画で毎年実施にし、今春で7回目を数えました。人数に余裕のあるときは他ゼミ、他学部生も受入れ、ある意味ゼミの看板プログラムです。2009年度からは新設ホームステイプロジェクトに運営を移管し、私が行かなくても実施できる体制を整えました。

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● ソウル合宿(2006.12)
ソウル市立大学が受入れ表明してくれたので、観光学部初合宿はソウルにしました。その後市立大は社会学部と学部間協定を結びますが、学生交流は観光生が先でした。東大門にほど近い大学施設に宿泊し、社会学科ジャン先生と学生たちがつきっきりで面倒見てくれましたが、極寒の中、よく深夜まで遊んだよね。
● 内モンゴル合宿(2007.8)
内モンゴル大学日本語学科を頼り、初モンゴル合宿は中国内モンゴルでした。これを目的にゼミ移動してきた人まで居て、現地学生の日本語レベルも高く、交流はスムーズではなかったかと思います。草原で早起きして布団かぶったまま丘に登って朝日を見たのはよい思い出です。
●バリ合宿(2008.11)
慶応経済のインドネシア研究者、倉沢先生のフィールド兼村おこしベースのバリ西部プンゲラゴアン村を中心に、農村ホームステイ、ヴィラ、リゾートホテルを体験する豪華企画でした。帰国後にヴィラの改善レポートを提出してもらい、以後、バリ合宿は提案書作成が課題になっています。慶応OBの日本人が常駐しているので、私が行かなくても実施可能なコースのうちの一つです。

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● 大連合宿(2007.9)
ダボス会議開催直後の大連でした。中心地徒歩圏の大連外語の宿舎に泊まり、周辺の学生街も楽しみました。ソフトウエアパーク日本業務部の三上さんは同行ゼミ生父の友人と判明し、偶然に驚きました。旅順は外国人開放間近で、危なそうなところは日本語しゃべらず黙ってやり過ごし、すべて見て回るという方針で潜入しましたが、途中でバレて罰金来そうだったので、予定を切り上げて戻りました。でも一番日本語しゃべってたのは、ガイドさんだったよね。この後大連外語と観光学部は学部間協定を結び、大連から毎年交換留学生が来ています。まだ立教側から誰も行っていないのは残念な限りです。
● ペナン合宿(2008.9)
問題解決型合宿と称し、各人テーマを持ってペナン中心部のマレー伝統邸宅を借り上げ、世界遺産登録直前のペナンを各人のテーマに沿って見て回りました。学部間協定校のマレーシア科学大にお邪魔したり、郷土史家、国会議員らを宿舎に招いて講演してもらいました。最後の一泊はインスペクションでシャングリラに泊まりましたが、早朝帰国便は少々残念でした。
● 内モンゴル合宿(2009.8)
内モンゴル大学日本語学科受入れで二回目のモンゴル合宿を行いました。草原では夜中に星空を求めて真っ暗な中彷徨いました。経済大成長の要素の一つである大規模な乳業(蒙牛)工場は、牛がターンテーブルで回るチャーリーとチョコレート工場の世界でしたね。
● バリ合宿(2010.3)
自主旅行ということでプンゲラゴアン村に行ってもらおうと思いましたが、直前に日本脳炎が流行って別の村に代わりました。この時期にしたのはバリヒンドゥー最大のお祭りニュピに合わせたからです。晦日は一切明かりを使ってはならず、空港も閉鎖されます。通常の観光ではただホテルから出られないつまらない日ですが、ホームステイにして地元のお祭りを体感してもらいました。参加者はバリファンになって帰ってきました。

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● 広州合宿(2008.9)
学部間協定校の中山大観光学部に受入れをお願いしました。香港ディズニー年間パスポートを持つゼミ生の希望もあり、香港まで遠征しましたが、ランド後の香港市内観光をがんばり過ぎて、広州に帰る電車がなくなりかけ、国境のクライムシティで取り残されそうになるというピンチもありました。
● ペナン合宿(2009.8)
インドネシア学ワークショップとつなげてジャカルタ合宿を予定していましたが、直前にテロがあり中止になりました。どこにも行かないのもかわいそうと思い、急遽ペナン合宿を準備しました。早期体験でぼくがペナンに連れて行ったことのある人もいたので、はじめて農村ホームステイを組み合わせました。マレーシア科学大との合同ゼミ、文化遺産保護NGO見学もいつも通りで、シャングリラのインスペクション宿泊はゆっくり時間を取り、皆で高級スパにも行けました。
● モンゴル国合宿(2010.8)
学部間協定を結んだモンゴル国立大学とはじめての学生交流で、留学生宿舎が無償提供されました。モンゴルの学生たちも現地では珍しい日本人大学生に貼り付き、テレルジ草原まで同行してくれました。モンゴル相撲ブフでは、体育会レスリング部生がズボンを破られながら無敗で、その後リゾート内を歩いていると声を掛けられるほどでした。サッカー国際戦もよい思い出です。

交流08
● 台北合宿(2009.9)
台湾師範大学がほぼ完璧なスタディツアーを組んでくれました。午前は専門家の講義、午後は講義関連場所を専門家引率見学で、私もものすごく勉強になりました。日本人留学生を含む現地学生4名が泊まり込みでサポートしてくれ至れり尽くせりでした。
● グアム合宿(2010.9)
戦跡を求めて日本人リゾートグアムに飛びました。米軍上陸地点をフィールド中、大雨に見舞われて泥水に肩まで浸かりました。多くのカメラが壊れ、赤土に染まった服は洗っても落ちず、合宿史上に残る惨状でした。最後の一泊はインスペクションでウエスティンに泊まりましたが、グアム特有の明け方発便で、滞在が短くて残念でした。
● モンゴル国合宿(2011.8)
モンゴル国はチケットが高く、現地費用物価に比して滞在費も安くないので計20万を超えるため、5名の参加となりました。私も含め全員体調を崩して予定していた世界遺産カラコルム草原へは行けず、近場のテレルジ草原リゾートを楽しみました。モンゴル国立大生は男子中心につきっきりで面倒見てくれました。
● マレー半島合宿(2012.3)
卒業旅行を組んでほしいと言われたので、5000円で泊まれる五つ星ホテル(リッツKL)とジャングル(タマンヌガラ)を組み合わせ、エアアジアで飛んでもらいました。現地では立教交換留学時ゼミ生だったマラヤ大生に再会しました。ブルネイホームステイやカンボジアなど、前後にエアアジア就航都市を回った学生も居て、LCCを十分活用しました。

交流09
● 上海合宿(2010.9)
上海万博を見に行きました。その後全学協定を結ぶことになる華東師範大日本語学科がサポートしてくれました。日本館にはアテンダントをしている先輩ゼミ生も居ました。万博見学の後、南京路からバンドを遊覧船乗り場まですべて徒歩で巡ったのは少々歩き過ぎだったかもしれません。現地で働いている卒業生の旦那さんがやっているアートオフィスにもお邪魔しましたが、後にこの会社にインターンシップ、そして上海就職を目指す学生も出ました。実は上海で働いている立教生は、私の知る限りすべて女性ですが結構いると思います。
● バリ合宿(2011.9)
プンゲラゴアン村での農村ホームステイ、村営ヴィラ泊とリゾートホテルそれぞれ一泊の3泊4日という超弾丸でした。しかし、事後の提案書はなかなか辛口に出来上がりました。
● 武漢合宿(2012.9予定)
民族観光をテーマに中国内陸湖北の土家族自治州を巡ります。三国志の舞台としてのコンテンツツーリズムや、中南民族大学日本語学科の手厚い歓待も予想されます。

交流10
● シンガポール・ペナン合宿(2011.9)
珍しくも合宿企画に手詰まりで、「海峡植民地」というテーマで二都市合宿を催行しました。シンガポールではアジアトップの名門シンガポール国立大日本研究学部を訪ね、市内のウォーキングツアー、コースマップを作成してもらいました。ペナンでは農村ホームステイを体験し、マレーシア科学大での合同ゼミも行いましたが、中東からの留学生がほとんどで、少々戸惑いながらの交流でした。
● 桂林合宿(2012.9予定)
理想郷の探求をテーマに、中国の代表的桃源郷、桂林を巡ります。広西師範大学観光文化学部との学生交流や、日本人元バックパッカーが現地開設している宿にも泊まる予定です。

交流11
● 屋久島合宿(2012.9予定)
エコツーリズムをテーマに日本初の世界自然遺産、屋久島の里山パイロットツアーに参加します。
●タマンヌガラ合宿(2013.3予定)
アマゾンより古いマレー半島の原生林で動植物と触れ合います。

おわりに
 私がはじめてスタディツアー(語学研修)に参加したのは、中国でほぼ三十年前のこと。以後、学生時代から運営に関わり、新規開拓も行ってきた。大学生の春夏休みはほとんどこれに費やしていたと言ってよい。そうした中で今持つほとんどあらゆるものを得た。昔からの友人は、私が海外ゼミ合宿の引率をしているのを知り、まだ同じようなことをやっているのかと嗤うに違いない。
 どこか初めての土地に行くと、ここで合宿はできないか、無意識のうちに考え始め、実施可能な要素について、3日居ればほぼ確実にわかってしまう。これからも新規開拓を欠かすつもりはないが、今後実施に当たっては単にお仕着せでなく、企画から参加型の運営を心がけて行きたい。ゼミ生にとっては、以前よりいろいろな面で厳しくなるのは否めないが、今はそんな風に思っている。

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