立教大学観光学部 舛谷研究室 masutani lab, tourism, rikkyo

最初の日本語聖書はシンガポール製

在外で所属している南洋理工大人文社会学院中文学科の公開講演会で、「シンガポール翻訳業ー過去、現在、未来」を聴いた。主に中英翻訳を手掛ける陳丹楓(Tan Dan Feng)氏は、ここNTUの他、NUS、SIMなどの翻訳学科で講義されている40代のカナダ育ちのシンガポール人だ。今のCIMO (Chinese, Malay, India, Other)という分け方は荒すぎる、1888年18万人口のとき、タミル語の新聞だけで18紙もあった、と具体的。おわりは郭宝坤を引いて多元か一元かでまとめておられた。

林文慶の英訳『離騒』の詳細な注の話の次に、スタンフォードロードの旧MPH(現ヴァンガードビル)が出て、MPHはMethodist Publishing Houseの略(決してMusic Power Stationではない)で、元はアブドゥッラーのMission Pressがあって、日本語の新聞も出していたと言う話。マレー文学の鼻祖、『アブドゥッラー物語』(平凡社東洋文庫、中原道子訳)の著者はラッフルズの書記でマレー語教師でもあったが、宣教のため、シンガポールでの日本語出版は新聞だけではなかったようだ。

現存する日本語聖書は、16世紀の記録にある部分訳はすべて散逸しており、17世紀以降キリスト教禁止が徹底され、19世紀の『約翰福音之伝』(1837年、シンガポール出版)が最古とのことだ。陳氏は日本の博物館で見たとおっしゃっていたが、私は図書館貴重書級ではないかと思った。ブリティッシュライブラリーにはあるものの、ギュツラフ訳は国内opacでは立教の海老澤文庫も含め、20世紀以降の復刻しか見つからなかった。現存16冊のうち2冊は日本聖書協会の聖書図書館にはあるようだ。書誌は確かにシンガポール出版となっているが、翻訳補助者がまた面白かった。

マカオでドイツ人宣教師の翻訳を助けたのは、愛知県美浜町出身の日本人漂流民たちで、聖書和訳頌徳記念碑が1961年に建立され、毎年記念式典が行われているという。その中でも音吉は三浦綾子『海嶺』やその映画化などで知られるようになり、翻訳後、モリソン号事件で帰国に失敗し、上海経由、奇しくも聖書出版地のシンガポールに移住、遣欧使節団の福沢らの訪問を受けるなどし、明治維新前夜の1867年に亡くなっている。2002年にシンガポール日本人墓地に音吉顕彰碑ができ、2004年チョアチューカンキリスト教墓地で遺骨が発見され、日本人墓地の納骨堂に安置された他、故郷美浜町にも分骨されているとのこと。日本人墓地で二葉亭終焉之碑にばかり気を取られている場合ではない。

春節の初詣

シンガポール南安会館の知人に誘われ、大晦日に中国廟巡りしました。集合場所のTelok Ayer通り天福宮(福建)に23時過ぎに赴くと、中はお参りの人、向かいでお供えの傀儡戯、廟内見学ツアー、並びの玉皇宮では道教協会の道士のお祈りと大賑わい。

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新年を迎えると廟内に獅子と龍が躍り込んできた。

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天官に率いられた黄赤の獅子はひと踊りした後、お供えの上にうずくまり、何やらごそごそ。残されたのは今年のラッキーナンバー。

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年越しがひと段落したところで、徒歩でPhillip通りの粤海清廟(潮州)へ。義安公司の守護神で、きれいになったばかり。

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歩いても行けたかもしれないが、タクシーを奮発して、Shenton Wayバスターミナルの福徳祠(客家)へ。今日見た中で一番小さかったが、ここも2012年に改修されていた。1824年創建と伝えられ、シンガポール最古とも言われるが、証拠となる碑は見つからなかった。

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バスターミナルから133ナイトライダーに乗り、Pruvis通り(海南二街)の天后宮(海南)へ。ここは古廟を海南会館ビルが覆うように建てられた面白いつくり。

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 最後に静まり返ったブギスを抜け、参詣者最多のWarerloo通り(四馬路)観音堂(共通)に着いたのは3時過ぎ。それでも初詣客でごった返していた。

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面白かったのは並びのヒンズー寺院スリ・クリシュナが華人参拝客向けに観音像引っ張り出してたこと。ここは華字紙に広告出したり、観音堂と一緒にお参りする華人も多いらしい。

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華人系の店はどこも閉まっているか、稀に開いていても割増料金なので、インドカフェでコーヒー、プラタ等で一休みしてお開き。

シンガポールの廟はせいぜい200年くらいだが、インドネシアには400年前のが残っているのは先日のチレボン行で実見した通り。それでも、都市国家シンガポールで、春節に限らず、各地の廟が賭け事頼みを含め信仰を集め改修され、あたかも日本の神社のような役割を果たしているのは興味深い。

シンガポールではベンツが売れる

シンガポールは自動車購入抑制に約100%の税金とCOE(新車購入権)の公開入札を課している。前者はすべて外車なので逃げ道なく、後者は1990年からで排気量によるが、Aカテゴリー(1.6リットル以下乗用車)で600万円超に高騰しているらしい(JETRO 2014)。日本で200万の国産車は200+200+400で約1000万。そういう事情で新車登録に大衆車は存在せず高級車が占め、2013年はベンツ、BMW、トヨタがトップ3。先ごろ発表された2014年はトヨタ、ベンツ、BMWと57%伸びたトヨタが20%伸びのベンツを逆転している。その他、この一年間で伸びが大きいのはなぜか日本車。5位のマツダが210%、6位の日産が194%、8位のホンダが264%伸びている。以上、シンガポール陸上交通局(Land Transport Authority)調べでした。

シンガポールの禁酒法

2013年12月8日のリトルインディア暴動以来、轢かれたインド人が酔漢だったこともあり、今年3月までリトルインディアでは大々的な飲酒規制が時限的に敷かれていた。4月以降どうするか、オーストラリアの野外飲酒禁止事例の見学に政府関係者が赴いたりしていたので、更に規制をかけるだろうと思っていたが、このほど4月以降の恒久的な新法が発表された。

禁酒時間と場所は、1.夜10時半から朝7時まで全島で酒類店頭販売禁止、公共の場で飲酒禁止。2.飲食店は店内のみ酒類提供可で店頭販売不可。3.ゲイランとリトルインディア周辺にそれぞれ禁酒エリアを設け、平日はもちろん、週末、休前日の夜間(夜8時から朝6時)酒類店頭販売禁止。4.夜10時半以降、公園やコンドのバーベキューピット(プールサイドは除く)などで飲酒する場合は事前に届け出、とのことだ。

その後通産大臣が「過去3年間、週に平均1度は飲酒に関わる事件が、平均2度は傷害が発生している」と発言。これらは増加傾向にあり「公共秩序を守るため、法案が必要」と強調。

一番経済的なダメージを受けそうなのはセブンイレブンなどのコンビニだが、賛成文書を提出させられたよう。あくまで新聞報道によるが、業界団体も1年間は試行期間で、との声明を出すのが精いっぱい。

罰金の最高額も販売店に対してはこれまでの5000ドルから1万ドルになり、禁酒エリアでは3万ドル。個人に対しては初犯1000ドル、再犯以降2000ドルと禁固3ヶ月以内。

観光客にとって、ますます安全な国になるに違いない。

参考: Liquor Control Bill

 

その後大使館から以下の緊急一斉通報(15/3/4)が来た。コンド内のバーベキュー場が公共の場所か否かは、第三者が自由に出入りできるかという判断基準なので、ケースバイケースのように思う。原文と事例を研究したい。

--

酒類規制法の施行について(注意喚起)

2015年1月の議会で酒類規制法案が可決され、2015年4月1日から
施行予定です。シンガポール内務省の発表に基づき同法律の内容や
予想される違反形態を以下にまとめました。


1 2015年4月1日から、シンガポール国内の「公共の場」における、午後
10時30分から午前7時までの飲酒が法律(酒類規制法)で禁止されます。
法律に違反した場合、最高1,000シンガポールドルの罰金が科され、
再犯の場合、最高2,000シンガポールドルの罰金又は最高3ヶ月の禁固刑に
処せられます。また、同時間帯の酒類の小売販売も禁止され、コンビニエンス・
ストアやスーパーマーケットでの酒の購入ができなくなります。

2 飲酒が禁止される「公共の場」とは、主として駅、道路、歩道、公園、広場等、
出入りが自由な場所が想定されており、私的な空間である自宅やホテルの部屋、
あるいは、コンドミニアム敷地内のバーベキュー場は屋外であっても「公共の場」には
含まれず、法律上、夜間の飲酒は認められます。

3 午後10時30分以降であっても、政府から酒類提供の許可を得たバー、レストラン、
ホーカー、カフェ、イベント会場等においては、許可で認められた時刻まで酒を飲むことは
可能です。ただし、提供を受けた場所で飲むことが条件であり、同所から別の場所に
持ち出したり、自宅やホテルに持ち帰ることは禁止されます。


◎想定される違反例1
午後10時30分より前にコンビニエンス・ストア等で酒を購入し、午後10時30分過ぎに
歩道上のベンチ等、公共の場で飲酒。

◎想定される違反例2
自宅でパーティーを開催し、午後10時30分過ぎ、酒が足りなくなったため、酒を販売(提供)
しているホーカーやカフェに行き、酒を購入し、同所で消費することなく、自宅へ持ち帰る。

卒業論文の記録―第四回ゼミ総会に寄せて―

前々回の総会配布資料で、
「舛谷ゼミ(社会学部産業関係学科1999-2005/観光学部交流文化学科 2006-)は合宿とサブゼミ(プロジェクト)と卒論でできている、と言っても過言ではない。」
と書いた。合宿とプロジェクトについては前回、前々回に配布資料としたので、今回いよいよ卒論について触れてみたい。
 必修でもない卒論に向き合い、何万字も書き綴るのはたいへんなことだ。しかし、これは各自がテーマを持って大学生活を過ごすことへの注意喚起に過ぎない。寝ても醒めても考え続けられるようなテーマを持っているのは一部の人かもしれない。それでも、各人がこれと決めたテーマを持ち続けることで、日々様々な気づきが生まれ、学びのコアにしてもらうことを、どうしてもあきらめられない。1年生の4月の前のめりに学ぼうとする新鮮な姿勢は日々失われ、4年になる頃には、すっかり慣れ切った「日本の大学生」ができあがっているせいもある。
 卒業前に何とか好奇心と向学心を取り戻して欲しい、恩師と呼んでもらえるなら、勉学の指導とその証を残しておきたい、そんな思いもある。卒業後に、もっと勉強しておけばよかったと言う人は多い。その現れの一つとして、卒論を書いておいてよかったと言う人も少なくない。残した結果が大事ではなく、書けても書けなくてもプロセスが大切なのだ。先行研究をさがし、合宿やゼミ中に報告し、何とかでっち上げて事務〆切に間にあわせ、観光学部ではその後レジュメを作成し、報告会で他ゼミや教員の前でプレゼンし、最後にゼミ独自の報告書を仕上げる。どの段階でギブアップしても、何か残るものはあったと信じたい。いつも言うことだが、瞬間的にでも日本一そのテーマについて知っている、と自負できるくらい突き詰めてほしい。事実、書き上げた時点ではそうしたレベルに到達していた卒論もないことはない。今回改めてすべての卒論報告書を見直し、贔屓目ながらそうした思いを強くした。
 巻末に一覧を付したが、123本の卒論・ゼミ論のうち、エリアとしては主に日本を扱ったものがダントツで51本、次いで中国13本、韓国8本と続く。合宿や留学経験から、マレーシア、シンガポール、香港、台湾など、やはりアジアが多いが、欧米やアフリカも一定数あり、ベジタリアンやLCCなど地域を問わない一般的な題材もある。テーマとしては、重複や分類の仕方に異論もあろうが、観光19本、聖地巡礼やサブカルチャーなどのコンテンツツーリズムが16本で続く。ICTも15本あり、特に初代ゼミではテーマが揃い、報告書に「アジアのIT」と題するほどだった。地域研究9本、まちづくり6本、文化一般と食文化、教育、そしてダークツーリズムも5本あった。環境とエコツーリズムも併せると5本になる。インバウンド、交通、メディアはそれぞれ4本だった。
 こうして見ると、確かに指導教員の専門や関心が反映しているようだが、私としては決してテーマを押し付けたり誘導したりしたつもりはない。確かにテーマが一つ決まっていて、それについて全員が探究するというゼミもある。その方が相乗効果もあり、レベルも揃うかもしれない。何より指導する方も簡単だろう。しかし、最初に述べた、自分が持ち続け、考え抜けるテーマは人それぞれではないか。正直、指導、評価する方はたいへんだが、私が刺激を受けることも少なくない。たとえばダークツーリズムについて、東日本大震災後に注目されたが、戦争遺産として本ゼミでは先んじて卒論まで出ていることは研究史としても特筆される(ちょっと大袈裟かな?)。
 いまどき、いつまで安くないコストをかけて印刷し、重い冊子をつくるのか、自問自答することもある。他の報告書類はすでに電子出版に切り替えている。この辺は、現役だけでなく、先輩にも意見をもらいたいところだ。

 

年次 タイトル 地域 テーマ
産関00 韓国インターネットの発展と過程 韓国 ICT
産関00 韓国のインターネットと電子商取引 韓国 ICT
産関00 中国のIT産業 中国 ICT
産関00 中国の携帯電話産業 中国 ICT
産関00 中国デジタル家電企業のグローバル化 中国 ICT
産関00 中国のモバイル産業 中国 ICT
産関00 香港におけるデジタル21戦略とICカード 香港 ICT
産関00 台湾IT産業の発展と対中依存のディレンマ 台湾 ICT
産関00 タイのIT教育と政策 タイ ICT
産関00 シンガポールのIT政策、IT教育 シンガポール ICT
産関00 シンガポールとネット時代における知的財産権 シンガポール ICT
産関00 マレーシア、マハティールのIT政策 マレーシア ICT
産関00 インドの情報政策と情報教育 インド ICT
産関03 巨大国家インドの成長可能性 インド 地域研究
産関03 IT大国インドの教育 インド 教育
産関03 アジアのIT集積地帯:インドとマレーシア アジア ICT
産関03 シンガポールから学ぶ日本の観光政策 シンガポール 観光
産関03 大連と日本:侵略地からビジネスパートナーへ 中国 地域研究
産関03 中国での保険ビジネス展開 中国 地域研究
産関03 中国で生き残るために:日中の化粧品産業 中国 地域研究
産関03 中国農民工とその子女の教育について 中国 教育
産関03 日系企業の人事戦略から見た中国市場成功方式 中国 地域研究
産関03 中国のマス・メディア:中国放送環境の変化 中国 メディア
産関03 巨大産業化する中国携帯電話市場 中国 ICT
産関03 香港の若者と日本文化 香港 コンテンツ
産関03 日中関係について 中国 コンテンツ
産関03 韓流ブームは日韓関係の架け橋になるか 韓国 コンテンツ
産関03 日本の若者文化の国際化 日本 コンテンツ
産関03 世界に広がるOTAKU文化 日本 コンテンツ
観光05 観光地のイメージと社会関係 日本 メディア
観光05 インドネシア−バリ島における観光開発 インドネシア 観光
観光05 東アジア・欧米におけるサブカルチャーと観光について アジア コンテンツ
観光05 日本の屋台と欧米のオープンカフェ−公共空間の利用がもたらす効果− 日本 観光
観光05 川の再生とまちづくり アジア まちづくり
観光05 地球温暖化によるモルディブの水没危機 モルディブ 環境
観光05 記憶産業としての沖縄戦跡観光 日本 ダークツーリズム
観光05 サイパンを事例として戦争という観光資源を考える サイパン ダークツーリズム
観光05 カナダ・ケベック州における二公用語政策の功罪 カナダ 地域研究
観光05 インドとカースト制 インド 文化
観光05 香港人のアイデンティティ形成とその行方 香港 地域研究
交流06 ベジタリアンについて   食文化
交流06 交流する日本と韓国の食文化 韓国 食文化
交流06 台湾の「哈日族」から見るポップカルチャーと女性 台湾 コンテンツ
交流06 日本との比較から考えるビール大国ドイツ ドイツ 食文化
交流06 温泉地療法と温泉療養   観光
交流06 京都観光における修学旅行について 日本 観光
交流06 屋久島の観光 −エコツーリズムとマスツーリズムの混在− 日本 エコツーリズム
交流06 ドイツの外国人誘致政策と日本の外国人誘致政策の比較 ドイツ インバウンド
交流06 リゾートの開発について―海浜リゾートを例に― アジア 観光
交流06 エコビジネスの現状と可能性   環境
交流06 ベトナムにおける戦跡観光について ベトナム ダークツーリズム
交流06 教育制度から作られる国民性   教育
交流06 ひとり旅をめぐる交流文化 ヨーロッパ トラベルライティング
交流07 イスラーム建築の変容と観光   建築
交流07 沖縄における戦跡と観光の関わり方−ヒトからモノへ語りつぐ未来− 日本 ダークツーリズム
交流07 シンガポールにおけるエスニックツーリズムについて-国民性と民族性- シンガポール 観光
交流07 日本のエスニック・レストランにおける諸問題とその役割 日本 食文化
交流07 近代アジアにおける「日本語」教育 アジア 教育
交流07 屋久島におけるエコツーリズム 日本 エコツーリズム
交流07 京浜工業地帯のテクノスケープへの評価の変遷と観光 日本 観光
交流07 日本における「“アキバ的“美少女文化」−萌え大国にっぽん− 日本 コンテンツ
交流07 ディズニーランドの魅力の諸相 日本 ディズニー
交流07 秘境駅と観光−旅行者を惹きつけるもの− 日本 交通
交流07 日本の鉄道の現状と鉄道の活性化における観光の可能性 日本 交通
交流07 貧困問題におけるツーリズムの可能性−キャメロンハイランドにおけるオランアスリ社会を事例として− マレーシア 観光
交流07 難民の教育問題−パレスチナ難民を事例として− パレスチナ 教育
交流07 日本人観光客の視点から見たソウル観光−韓流後の変化− 韓国 コンテンツ
交流07 「地域ブランド」形成と観光まちづくりに関する研究−大分県湯布院町を事例として− 日本 まちづくり
交流07 日本におけるインバウンド・ツーリズムの歩みとその展望 日本 インバウンド
交流07 真の「観光立国」を目指して−観光庁が日本の観光業界にもたらすもの− 日本 観光
交流08 日本の多文化共生 日本 文化
交流08 愛国心とナショナリズムが形成する国民性 日本 文化
交流08 なぜディズニーリゾートは日本人を魅了し続けているのか 日本 ディズニー
交流08 フランスの観光政策 フランス 観光
交流08 ニューヨーク市における都市観光 アメリカ 観光
交流08 都市のインバウンド政策のあり方 ―集客都市にむけて地方行政に期待されること― 日本 観光
交流08 日本の産業観光 ―インバウンド招致のために― 日本 観光
交流08 スーパーマーケットに見る東南アジアと観光 アジア 観光
交流08 観光カジノの日本への導入と展望 日本 観光
交流08 変わりゆく舞台、万国博覧会 中国 博覧会
交流08 タイにおける売買春産業 ―観光産業とのつながり― タイ 観光
交流08 観光産業におけるロングステイの立ち位置 マレーシア ロングステイ
交流08 若者の海外旅行離れに関する考察 日本 観光
交流09 フリーメイソンと革命の歴史 ヨーロッパ 歴史
交流09 韓国の大衆文化 —海外に拡大する「韓流」— 韓国 コンテンツ
交流09 かわいい聖地巡礼 日本 コンテンツ
交流09 メディアコンテンツと観光振興 日本 コンテンツ
交流09 プロ野球の地域密着化と球団マスコットの役割 日本 コンテンツ
交流09 東京マラソンと観光 日本 スポーツ
交流09 日本人の結婚観と婚活現象 日本 文化
交流09 グローバル化された社会における文化の変容 日本 文化
交流09 LCCが航空業界と旅客に及ぼす影響   交通
交流09 日本の空港の政策 ―地方空港を中心に― 日本 交通
交流09 Space Tourism―宇宙観光の発展と、宇宙旅行時代の幕開け― 宇宙旅行
交流10 ぺットツーリズム-ペットの家族化によるペットビジネスの発展- 日本 ペット
交流10 五感をつかったまちづくり 日本 まちづくり
交流10 若者を惹きつけるIターンの魅力 日本 観光
交流10 環境教育としてのエコツーリズム-持続可能な社会づくりに向けて- 日本 エコツーリズム
交流10 まつりと観光 -音楽フェスティバルを用いた地域振興- 日本 祭り
交流10 韓流ブームから見る「ソフトツーリズム」の可能性 韓国 コンテンツ
交流10 娯楽系旅番組からみる都市観光 日本 メディア
交流10 近代イギリスの田園都市 イギリス まちづくり
交流10 ファッションのグローバルスタンダード   ファッション
交流10 ジブリ映画とコンテンツ・ツーリズム 日本 コンテンツ
交流10 歴史を語り継ぐ沖縄戦跡 日本 ダークツーリズム
交流11 アニメツーリズムの持続可能性についての考察 日本 コンテンツ
交流11 アルコールツーリズムの実態に関する調査 日本 食文化
交流11 旅行系webサービスによる新しい旅のかたち 日本 メディア
交流11 コンパクトシティ政策の歴史的発展と中心市街地の観光資源への影響 日本 まちづくり
交流11 人口減少社会における観光まちづくりの可能性 日本 まちづくり
交流11 千葉県成田市のインバウンド観光の事例から見る日本のインバウンド観光 日本 インバウンド
交流11 シエラレオネの経済発展の遅れと内戦の影響 シエラレオネ 地域研究
交流11 アメリカ黒人を取り巻く環境・歴史から探る黒人音楽のパワー アメリカ 音楽
交流11 現代韓国における土葬から火葬への変容 韓国 地域研究
交流11 東南アジアムスリムの訪日観光について マレーシア インバウンド
交流12 旧東ベルリンエリアの観光地 ―オスタルギーと昭和レトロの比較― ドイツ まなざし
交流12 日本の伝統文化、おもてなしの真意とは何か 日本 ホスピタリティ
交流12 LGBTインバウンドツーリズムの可能性について 日本 ジェンダー
交流12 多肉植物の観光活用 日本 植物
交流12 ショッピングツーリズム ―インバウンドにおける重要なポジションとしてのショッピング― 日本 ショッピング
交流12 歴史的建築物と伝統的町並みの観光活用についての考察 ―兵庫県篠山市の古民家活用事業NIPPONIAを事例に― 日本 建築
交流12 スポーツツーリズムの課題と可能性 ―プロ野球を事例にして― 日本 スポーツ
交流12 台湾における日本統治時代遺産群の継承・再活用及び観光地化―車埕を研究対象として― 台湾 歴史
       

ブルネイホームステイ

ホームステイは地域参加型の観光と言えるが、日本ASEAN年の2003年に東南アジアの中でまだ行っていない国に行きたいという不純な理由で参加したブルネイセミナーで、偶然知り合ったブルネイ日本友好協会(BJFA)澤田さんの導きで、2004年、2007年、2008年と2009年のそれぞれ2月末から3月にかけて、立教生がブルネイへホームステイに出かけている。いずれリンクが切れてしまうだろうが、以下のような現地紙の記事が出ている(ブルネイタイムスは2016年11月、突然閉鎖した)。在留邦人100名足らずのブルネイへ、20代の日本人の若者が一度に10名以上訪れることは現地ではニュースバリューがあるのだ。我々が得ているものも大きいが、ブルネイに普通の日本人を送り込むという文化交流の側面は小さくないのかもしれない。イスラムで富裕な王国であるブルネイという国について普通に語れる日本人が増えることはやはり効果的だろう。プログラムの内容はイスラム家庭でのホームステイ、テンブロン国立公園でのリアルジャングルクルーズとトレッキング、ブルネイ大生との交流会などだ。テンブロンはマレーシア側の飛び地だが、石油、天然ガスのおかげで森林伐採しないで済み、手つかずの原生林が残っている。同じボルネオ島サバ州のコタキナバルは日本から飛行機で6時間足らずだから、ブルネイも距離的にはタイやインドネシアに比べれば近い方だろう。以前あった直行便がまた関空から飛んでくれると便利になるのだが、今のところはクアラルンプール経由行き一泊か、シンガポール経由行きチャンギ夜明かしが少々つらいところ。最初の三回はゼミ合宿の位置づけだったが、昨年からは希望者を募って自由参加にした。今年はついに引率無しで学生が自主的に実施。毎年10-20名の学生が参加する定番プログラムになった。

Brunei Times 2007-2010

ブルネイ写真ニュース

追記)

その後キャセイが当日乗り換え可能で使ったが、羽田発KL乗換えエアアジアがリーゾナブルで当日着なので、最近はこればかり。上記の通り現地でも評判よく、毎年来られないかと要望あり、07入学ゼミで4年次ゼミ合宿から自主企画で毎年実施にし、08からはホームステイプロジェクト(サブゼミ)を新設し運営移管、引率なし実施体制を整えた。

愛しのドリアン

 一時帰国者の増える夏休み頃、道ばたでパラソルを見ると心躍る。フルーツ屋台は数あれど、お目当てはもちろんドリアン。容器持参で中身だけ持ち帰り、家族四人の夕食はドリアン。最近はローカルでも、コレステロールがなどと避ける向きもあるが、こと外国人にとってこの強烈なシロモノは、食文化への理解度、順応性を示す格好の指標となる。ちなみに我がゼミはドリアン食いが参加の条件である。納豆に顔をしかめる知日派をどう思うか、と問いたい。
 ドリ・アン(とげっ子)というマレー語が示す通り、マレー半島、スマトラ島が原産だが、国際流通するドリアンはタイ産が圧倒的だ。タイ東部ものの旬は5、6月とマレーシアより早めで、品種改良が進みともかく甘い。ペナンでタイ人とドリアンを囲んでいたときのこと。外れだと言うので味見すると、わずかな苦みを含む見事な味。甘い一辺倒に慣れた口には合わないらしい。私のベスト3は、カンボジア・カンポットの赤か黄の印付きドリアン、インドネシアが誇るメダンドリアン、そして1月のクチン市場のドリアンだ。どれも甘さの中にわずかな苦みを伴う逸品だった。
 クチンのは小振りなカンポンドリアンで、あまりに美味しかったので、友人の車の後部座席に十数個積み込み、庭先でぽんぽん割って食べ続けた。十個(房でなく)食べ切ったところでさすがにお腹がぱんぱんになり、母堂が洗面器で持ってきてくれた濃い塩水をゆっくり飲み、命拾いした。
 シンガポールの巨大ドリアン(エスプラネード)はもちろん、地名のカンポン・ドリアン、アミル・ムハマドの映画『ビッグ・ドリアン』などドリアンものにはつい目が行く。ドドル(餅米の一口羊羹)はドリアン味を選ぶし、マラッカ特産タン・キムホック博士のお店では干しドリアン、スプテの日本人会のスーパーのフルーツジャムは、人気のマンゴーやマンゴスチンを除けてドリアンジャムを取る。練りドリアンも嫌いではない。ドリアンシーズンに見かけるドリアンケーキ、パフ、パンケーキなどの洋菓子や、マンゴープリンならぬドリアンプリンも捨てがたい。
 ジャカルタのチャイナタウンでは、華語断絶の32年間を含め、「新合発」と刻印されたドリアン味の月餅が売り続けられていた。ラードを使わず白い粉が吹くハラル月餅は、厳しい排華の時代、ドリアンゆえ許されたのだろうか。
 学名は「強い香り」だそうだが、はじめて食べた香港で、ホテルに持ち込んでひどいことになった。ロビーは大丈夫だったが、エレベータが開くともう臭いがした。上階に行くにつれきつくなり、私のフロアには鼻を手で覆う人がいた。部屋に近づくと更に臭いが強くなり、入るなりあわてて腹に収めた。近所のデサスリハタマスの歯医者はなぜか冷凍ドリアンを売っていて、オフシーズンには有り難かったが、凍らせるとほとんど臭わないことを知った。日本への持ち帰りも可能だろう。しかし日本マレーシア自由貿易協定の発効で、マレーシアドリアンの日本上陸も近いと信じよう。

 

初出:『南国新聞』2006.9.14

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