2005年5月関東地区例会報告要旨
2005年5月の関東地区例会の報告要旨をお届けいたします。
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東南アジア史学会関東地区5月例会
2005年5月28日(土)
於:東京大学赤門総合研究棟849号教室
報告者:宮本隆史(東京外国語大学大学院)
題目:「19世紀の海峡植民地における流刑監獄制度:囚人管理のための諸規則に関す
る一考察」
参加者:23名
[報告要旨]
19世紀の海峡植民地における監獄制度は、インド亜大陸や香港からの囚人の流刑監
獄として機能した1870年以前と、流刑制度の終了に伴い現地住民の収監施設として改
革が行われた以降の時期に二分される。この制度上の歴史は、ヨーロッパにおける近
代的な行刑制度と刑罰思想との影響という文脈の中で理解する必要がある。すなわ
ち、身体刑から懲役刑への転向、強制労働による「矯正」の重視などの諸要素が組み
合わされ、制度化されていったものである。本報告は、流刑監獄として始まった海峡
植民地の監獄制度が、「有益な労働者」の創出から、19世紀後半以降に「社会防衛」
へと課題を移した過程を検証し、制度と刑罰思想がどのように変化し、あるいはどの
ような連続性があったのか考察する。
海峡植民地の監獄は、18世紀末以降にインド亜大陸の刑務所人口の過密と、新たに
開発されたベンクーレンやペナンでの労働力不足というプッシュ・プル要因により整
備が始まる。制度に関する規定は、1818〜1845年の間に4度にわたり発令・改定が重
ねられたが、それは囚人管理を「生産的」な労働者につくり変え、その労働により
「矯正」するというふたつの企図を軸とするものだった。そのための制度として、囚
人の等級を細分化、階層化し、段階的に「自由」を獲得する階梯が用意された。しか
しその対象となったのは有益な労働者たり得る「健康な成人男性」に限られ、女性や
老齢者・傷病者はひとつの等級にくくられ、「自由」への回路は閉じられていた。つ
まり、体制は植民地建設のために安価な労働力を必要としており、有効な労働力で
あった流刑囚人は、その流れに沿って制度化されたのである。
1868年に流刑制度が廃止されると、現地囚人の収監施設としての機能が重視され、
独居拘禁が導入された。19世紀半ば以降、移民の流入により自由な労働力が増加した
ため、囚人を「有益な労働者」とする必要性はなくなり、監獄の目的は住民からの隔
離と犯罪再発の防止に移っていった。その背景には、1840年代頃から「ネイティブの
心は改心できない」とする人道的介入の失敗が認識され、危険な人口を収容すること
で、社会を防衛することが監獄の中心課題となっていったことも挙げられる。
しかし報告者は結論として、制度の転換において、断絶よりもむしろ連続性を強調し
ている。ひとつには、「労働による矯正」という考えを基礎とする制度面での連続
性、さらに人道主義という言説レベルでの連続性である。かくして、1872年の監獄条
例では、流刑制度化の等級制度は残り、さらに囚人を正しい品行に導く得点制度が導
入された。つまり新たな監獄制度は、内省に効果的とされたイギリス式の独居拘禁
と、労働による「矯正」という2つの理念備えたのである。ここに、統治のための旧
い制度や言説は、新たな社会経済諸関係の中で、新たな機能を帯びるようになって
いった。このような変容がどのような過程を経て作動するようになったのか、その関
係性を構成したのか明らかにすることが今後の課題である。
[コメント:吉澤誠一郎(東京大学)]
近代中国における監獄について卒論で論じた記憶をもとにコメントさせていただ
く。1)流刑制度の全体像という視点から説明されたほうが分かりやすかった。場所
的に他の海峡植民地と比較した位置づけや、制度的に刑罰体系において当時の海峡植
民地の流刑がどの程度の重い刑だったかなどの説明がほしかった。2)権力的な人口
再配置、流刑先でのリクルートについて考える必要がある。流刑のエスニシティーな
どの問題について掘り下げてほしかった。3)理念としての刑罰思想のあり方という
ことを考える必要がある。ストレートタイムズ等を用いて刑罰のあり方に対する世論
の議論を見ていくとよい。(吉澤)
→1)流刑制度の全体像という視点においては、きちんと説明すべき点であった。
刑の重さについては、イングランドでの流刑は死刑に次ぐものである。ヒンドゥー教
徒にとっては伝説上「黒い水を越える」とカーストを失うため、重い刑であると考え
られていた。2)人口再配置との関係について。英領インド内では奴隷貿易が廃止さ
れてから、流刑者が苦力となった。いずれも人道主義が根底にある点では連続性があ
る。3)刑罰思想の理念。囚人の改善と、抑止力であるということでは理論上対立す
るが、実際には両方考えざるを得ない。社会的にいかに作動していたのか、ご指摘の
通りストレートタイムズ等を用いて相互作用を見ていく必要がある。制度の言説を分
析するだけでは足りないので今後の課題としていきたい。(報告者)
[質疑応答]
女性の流刑が男性と比べて少ない話が出ていたが、女性の流刑にされた罪は具体的
になんだったか。プロスティチュートではないか?(奈良)→殺人であった。程度と
して、プロスティチュート程度の場合は流刑にならない。また、女性の流刑に関して
生産的労働は課されず、労働が明らかにジェンダー化されている。(報告者)→19
Cのジェンダー的労働配分をどう分析するかは問題をはらむが、具体例が見えるとよ
り面白くなる。(奈良)
歴史社会的に位置づけようとする姿勢を感じた。1)海を越えることによってカー
ストを失うため、ヒンドゥー教徒が流刑を嫌うという記述があったが、イギリス人の
見方ではないか?インド人にとってはベンガル湾のむこうにはいいものがあるという
観念が強かったはずだし、必ずしも流刑によって海を越えることを嫌がっていたとい
うことにはならないはず。インド人側の見方がほしかった。2)近代自由主義的刑罰
と制度の関係は?3)ジェンダー的労働配分の話が出ていたが、この時代に課されて
いた労働について考えると、低開発地域への人口再配置に伴うインフラの整備などで
あり、これらは男性が従事せざるをえない仕事なのではないか?(青山)→1)イン
ド人が実際にどう考えていたのかについては分からない。聞き取りなどで今後とれる
かもしれない。2)近代的刑罰と制度の関係はニートではなかった。はっきり関わる
のは自由刑が現れてから。その同時代性は今回の問題設定のひとつである。3)イン
ドやシンガポールでは女性が道路関係の仕事に従事している。こうした仕事を女性が
やらないということが労働のジェンダー化であると捉えている。女性囚人の位置づけ
は今後の課題としていきたい。(報告者)
エスニシティーについて。コメントの中で触れられていたが、囚人のエスニシ
ティーの扱い方はどうだったのか。たとえばインドや香港からの流刑者はどのように
扱われていたか。イギリス人は囚人のエスニシティーという点についてどう考えてい
たのか。(坪井)→当時海峡植民地はインドの一部だった為、インディアという概念
が固定せず、流動的であったろうと理解している。具体的には、食事などを見るとビ
ルマ系、中国系、インド系で分けた扱いになっている。監獄内の張り紙の言語は英
語、中国語、ヒンドゥスタン語であった。少なくともこういう具体例においては、囚
人を「エスニシティー」というカテゴリーの中で扱っている。(報告者)
今回は思想がポイントになると思うが、イギリスの思想を明らかにしたいのか、現
地の影響は視野に入っているのか?相互への影響を考えると、たとえばペナンにおけ
る文書やペナンでの監獄がどのように捉えられていたかという研究はあるのか。(川
島)→相互間影響をふまえてやっていきたいが、今は英文しか読めない為、マレー語
を勉強して現地史料も読んでいくつもりである。(報告者)
ここにあげた以外の点についても参加者の間で活発な議論がなされた。
(文責・工藤裕子・神谷茂子(東大院修士))