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個人研究発表

ペゴン宗教本にみる19世紀ジャワのイスラーム受容
菅原 由美(天理大学)

 19世紀中葉オランダ植民地期のジャワは、巡礼者やイスラーム寄宿塾が増加し、新たなイスラーム化の波を迎えていた。しかしながら、こうした側面は、これまでのインドネシア史研究において、指摘はされながらも、詳細に分析されてこなかった。これは、20世紀初頭のイスラーム改革主義運動に研究の焦点が置かれ、インドネシアのイスラームにとって、19世紀は単に「改革前の時代」としてしか捉えられてこなかったためである。また、オランダ植民地期にはじまったジャワ学において、イスラーム浸透前の「純正」なジャワ文化研究のために、ジャワ文字ジャワ語史料研究が蓄積された一方で、イスラーム寄宿塾で用いられていた宗教テキストは、研究材料として十分に注目されることがなかった。近年になって、プサントレンで用いられているテキストの研究が発表されているが、プサントレンと外の社会とのつながりが明白に示されていないために、こうした研究からジャワ社会のイスラーム受容の問題を説明することは不十分にならざるを得ない。本発表は上記の問題関心に基づき、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、二人の人物によって執筆・出版されたペゴン(アラビア文字ジャワ語)宗教本の執筆及び流通特徴を分析することにより、同時期のジャワ社会のイスラーム受容について考察することを目的とする。
 19世紀中葉、ペゴンによって宗教テキストを大量に執筆する宗教指導者-アフマッド・リファイとソレ・ダラット-が現れる。それまでペゴンは宗教テキストの場合、アラビア語本文に挿入される翻訳に用いられることが主であった。しかし、彼らはアラビア語やマレー語の知識を持たないジャワの民衆を対象にして、ジャワ語でテキストを執筆した。これらのテキストには、プサントレンで用いられていたテキストの内容が組み込まれていただけでなく、読者が理解または実践できるように、様々な工夫が挿入されていた。
 一方、巡礼者の増加とともに、シンガポール及びボンベイで宗教テキストの出版が盛んになり、ペゴン書も出版を重ね、ついにはチレボンやスラバヤなどのジャワ北海岸でも、アラブ人によりペゴン書が出版されるに至った。特に人気を博したソレ・ダラットの著書Majmu’at al-Shari’at al-Kafiyat li al-Awammは、ムスリムとしての基礎知識に加え、結婚、礼拝、巡礼などについて項目ごとに簡潔にまとめられており、実生活のなかで手引書として用いることができる宗教書であった。こうしたことから、オランダ統治下にありながら、実生活の規範としてイスラームを取り入れ、ムスリムとしてより「適切な」生活を送ることを、プサントレンの外にいる人々が望む方向にあったこと、そして宗教指導者も、より民衆の要望に合致したかたちでの知識提供を行っていったことがうかがえる。現地人官吏批判につながるイスラーム慣習の実践には圧力がかけられていたが、テキストの表現を変えながらキヤイの抵抗は続いた。