会員各位
関東部会1月例会のご案内をお送りいたします。
今回は「B・C級戦犯を再検討する − 裁判資料に基づいて」
というテーマで、ミニシンポジウムをおこないます。
皆様のご参加をお待ちしています。
日時: 1月13日(土)午後1時より
会場: 東京大学
赤門総合研究棟 8階 849号教室
本郷の東京大学の赤門を入ってすぐ右手の建物が赤門総合研究棟です。
そこのロビーを入り、左奥のエレベータで8階にお上がり下さい。
総合テーマ
B・C級戦犯を再検討する − 裁判資料に基づいて
報告者
司会 :倉沢愛子 (慶応大学教授)
パネリスト:内海愛子 (恵泉女学園大学教授)
難波ちずる(学術振興会)
奈良修一 (東方研究会)
参加費:一般200円、学生100円
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連絡先 関東地区理事 奈良修一
nara-shu@mwe.biglobe.ne.jp
シンポジウム要旨
「B・C級戦犯を再検討する − 裁判資料に基づいて」
第二次世界大戦が終了して既に、60年が経ったが、この戦争を歴史的にどう評価するかの作業はこれからといえよう。というのも、日本が戦った戦争の名称一つ確定していないのである。「第二次世界大戦」では、世界的すぎるし、「太平洋戦争」では、中国や、東南アジアでの戦いが無視されがちになる。「大東亜戦争」は、時の政府が名付けただけに歴史的には正確かもしれないが、戦後使用が禁止されたこともあり、一つの色がつきまとう。また、同様なことは、最近使われ出した「アジア・太平洋戦争」にも言えよう。また、「十五年戦争」という語は、現在使われなくなっている。さらに読売新聞の提唱した「昭和戦争」は、まだ定着したとは言い難い。
以上見てきたように、この戦争の歴史的評価はこれから始まるといって良い。今までの研究が必ずしも進展しなかった理由の一つに、歴史資料があまり残されていないか、または、公開されていなかったことが挙げられる。だが、最近、弁護人の方々が著作物を残し、日本の公文書館に保管されているB・C級戦犯裁判資料の存在も知られるようになってきた。
この資料は、連合国によって裁かれた裁判資料の広範な部分を網羅しており、完全ではないにしろ、日本の占領政策、捕虜の扱いなどを知るには一級の資料と言って良く、広く検討されることが望まれる。
本シンポジウムでは、これらの資料を実際に扱ってきた人が中心となり、その資料の来歴、性格などを紹介し、今までの研究史に対してどのような点で重要なのかを再考していく予定である。
シンポジウム詳細内容
報告1 日本におけるB・C級戦犯資料について
報告者 奈良修一
今まで、戦犯についての研究はあまり進んでいないと言って良い。というのも、その基本的な資料が公開されていなかったからである。とくに、8月15日の玉音放送のあと、重要書類を全て焼却してしまったことは、歴史研究においては、取り返しのつかない失策である。そのために、2次的な資料しか使えないという状況が現れているのである。
日本の戦争におけるさまざまな状況を考察するに当たり、1次資料は不可欠と言って良い。このB・C級戦犯裁判の資料は、貴重な資料である。アメリカ国立公文書館所蔵資料の復社マイクロフィルムが国立図書館で公開され、平成9年には外交資料館での外交記録が公開された。平成14年には国立公文書館が保管する資料の公開を始めている。しかし、このことが研究者の間には必ずしも知られていない嫌いがあるため、これを知らしめることが、本報告の主眼である。
まず、国立公文書館にこの資料が保管されるにいたる経緯、特に豊田隈雄氏を中心とした職員による尽力に焦点を当てて報告を行う予定である。豊田氏は、海軍軍人としてドイツにおり、終戦後、復員局に勤めた。その活動を通じ、戦争裁判に関わり、そのままでは散逸しそうな資料を精力的に収集し、法務省に保管させたのである。彼のこの業績は、日本の保つB・C級戦犯資料の特徴を知るには、不可欠な要素である。しかし、氏のことは、ほとんど知られていないと言って良い。それ故に、この機会に豊田氏のことを報告することは重要だと考える。
戦犯資料については、既に茶園義男氏による資料紹介が出版されているが、氏の使用した資料と公文書館のそれとの間には微妙な違いがある。利用上の留意点を指摘する。
次に、具体的な資料の状況を紹介する。一般的な裁判数や、被告の数、判決の数は公開されているが、具体的な内容は、先述した茶園氏の資料に概観されているほか、横浜弁護士会で取り上げられた典型ケース以外、全くないと言って良い。それ故に、国立公文書館にある資料がどのような資料であり、どの資料が保存され、どの資料がないかを報告することは、今後の研究において是非とも必要な作業と考える。
さらに、時間があれば、今まで見てきた資料から得た感想を述べ、アメリカ、イギリス、オランダ、中国の裁判の在り方の差を紹介出来ればと考えている。
報告2 サイゴン裁判について
報告者 難波ちずる
連合国軍によるフランスの解放により、親独政府であったヴィシー政府が崩壊し、フランスはかろうじて戦勝国の地位を獲得し、連合国の一員として枢軸国に対する戦後処理に参加した。その一環として、フランスは、日本の戦犯を裁くA級、そしてB・C級軍事裁判にも加わった。日本軍が駐留していたフランス領インドシナでなされた日本軍の戦争犯罪を裁くサイゴン裁判は、昭和21年9月から25年3月にかけてサイゴンで行われ、裁判件数は計39件、有期判決112名、無期判決31名、死刑判決65名の有罪判決を出した。他のアジアの欧米植民地で行われた裁判に比して件数が少ないのは、1940年9月から1945年3月までのほぼ4年半にわたって、日本は、インドシナにおけるフランス宗主権を温存させる「静謐保持」の政策をとり、基本的にはフランスとの協定に基づいて「平和に」仏印に進駐したためである。日本がこの地を完全占領した時期は45年3月から敗戦の8月までの5ヶ月までと短期間であり、日本とフランスが武力対決したのは、仏印処理の際の短期間の戦いのみであった。
国立公文書館に保存されているサイゴン裁判関係の資料は、非常に貴重なものである。というのも、フランス側には、所見のかぎり、この裁判をめぐる資料は今の時点で公開されていないからである。裁判資料は、フランスがベトナムから撤退するときにサイゴンに残してきたと、エクサンプロバンスにある海外文書館(Centre des Archives d’outre-mer)のインドシナ専門のアーキビストは述べているが、ホーチミン市の国立第二文書館(Trung Tam Luu Tru Quoc Gia 2)で、これらの資料の所在はまだ確認するにいたってはいない。直接の裁判資料でなくとも、関連する資料がフランスの国防省や外務省にもあるはずではあるが、少なくとも、国防省の目録にはそれらは掲載されてはいない。外務省の資料目録は、それ自体が非常に簡潔なもので、情報に乏しく、インドシナ関連の目録の中に「戦犯」(Criminels de guerre)という項目を確認したが、その史料を閲覧するには特別許可をとらなくてはならず、現在その申請中であり、内容を把握するにはいたっていない。フランスにおけるサイゴン裁判の史料状況は以上のようなものであり、よってフランスにおけるこの裁判に関する認知度は今日においても非常に低いといえる。
以上のように、調査は途中段階であるが、本報告では、このような事実を紹介しつつ、国立公文書館のサイゴン裁判関係資料からみられる本裁判自体の特長、また、インドシナにおいて日本人の何が裁かれたのかを整理し、かつ、本裁判が、戦後、インドシナにフランスが復帰し、支配を再び確立する過程においてどのような意味をもっていたのかに言及するつもりである。