第3回 交流文学論
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�\は世鯑阿�してゆく力としての文学
�∪�治を把握するための文学
日本においても、例えば明治時代には欧米へ留学することで欧米文学を学んだ。
上座部仏教国。(南伝)←→大乗仏教。発祥地以外で栄えている宗教。 敬虔な信者による自身の目で”本物”を見たがるような聖地巡礼も盛ん。 ちなみに上座部仏教を小乗仏教と呼ぶのは今日においては差別的な(イヌイットのような)意味合いがあるため、大乗仏教としての比較でなく事象としての上座部仏教という呼称を。
受賞者には、兼業が多い。(作家である傍ら、映画監督,裁判所職員,食堂店主など様々… これは、世界的に日本のほうが珍しい例である。 日本では1億2000万人が同じ言語を用いて、その識字率はほぼ100%であり世界的には読書人口はとても多い国なのである。電車で読書という事も他の国ではあまりなされないものの、日本においてはまったく珍しい事ではない。 対して、諸外国では文学,出版業界の市場は狭くて文学だけでは食べてすらゆけないという実態でもある。 職業としての『プロ作家』が成り立つ国は、世界的にも珍しくまた恵まれた環境であるのかもしれない。
代表作には、『鏡の中を数える』,『映画 地球で最後のふたり』 東南アジア文学における大事な点は、『どんな作家の、何語の作品が権威ある賞を受けるのか』ということである。
それは権力者,指導者が、権力というもの,それを保持するものは偉いという理由をわかりやすく示すものであるからである。 一般的に文学というものは象徴的に玉座のものであるため、 その結果として、『国家文学,国民文学といったものが形成』されるのである。
印税の話。 例えば、日本ならば1000円の本が1冊売れたら80円程度の印税が執筆者に入る。 その前提は文芸誌であり、日本で言うなら群像,新潮,文学界,すばるに代表されるものである。 しかしアジアでは専門文芸誌は不振であり、総合誌,週刊誌,新聞文芸欄が重要になっている。 特に、新聞文芸欄が重要。しかしこれでもその収入はお小遣い程度のものであり、しかも不定期収入なのである。 その結果、生きてゆく事もままならない事になってしまう職業作家は存在しないのだ。
執筆者が、その国の歴史におけるどのような事件を経験,体験したか。 これが、作品に大きく影響する。 1932立憲革命 1941自由タイ運動~第二次世界大戦 1949シャムからタイへ 1957サリット元帥クーデター、憲法停止。 1973血の日曜日事件 1974田中角栄首相がタイを訪れた時期に反日デモ 1976血の水曜日事件 ☆1992五月流血事件 2006軍事クーデターでタクシン首相失脚 2008反政府デモ、空港占拠による首相交代