FrontPage | 一覧 | 検索 | 更新履歴(RSS) | 新規作成
はてなブックマークに追加 はてなブックマークを表示

12/01/23/3

差分表示


*第14回講義
本日1月23日は旧正月。中国では祝日でお休みの日です。
----
*東南アジアとは何か
1.地域の特徴
2.言語・民族
3.地理
4.人口、面積
5.外文化
6.宗教
7.植民地化←日本はアジアでは珍しく植民地化"する側"だった。当時は植民地を持つことが良しとされた。日本は「正しい」事をしていた、成功していたと言える。
8.民族英雄、独立
--作者/読者(ホスト/ゲスト)
--読者が作品を解釈し、作者が正解を持っているという19c的考え方から、読者優位の時代に

*シンガポール
**シンガポールとは
-島嶼部(木の世界)
-オーストロネシア語族
-湿潤熱帯気候
-人口435万人、面積697平方キロ(東京23区と同じくらい)
-中国文化(全体の7割)
-大乗仏教
-イギリス植民地1819-1963(マレーシア連邦1963-1965)
-民族英雄リークアンユー、1965

**シンガポール独立後の''二言語政策''
-英語を柱とする二言語
-与党(人民行動党)支持率が低下した70年代末以降
-英語オンリー=欧米的価値観の普及に対抗
-母語による道徳(公民)教育の強化
--「''講華語''」(''共通中国語''を話しましょう)運動
--大多数を占める華人は、特に儒教が選定された
---マレー人(全体の約1割)はイスラム
--家庭内言語である中国語方言(福建語や広東語)の追放

**二言語政策、本当の理由
「私はずっと人民に、再び方言を話さないこと、共通中国語の学習こそ必要であることを呼びかけている。たぶん皆は英語と中国語を学び、家庭内では中国語方言を話しているだろう。これは無理なのだ。''私は''これが無理であることを知っている。脳のより多くの空間を占め、より多くの領域を使ってしまう。福建語の発音は共通中国語と全く違う。(中略)あまりに複雑だ。だから''私は''共通中国語に改めたのである。」
(『Keeping My Mandarin Alive: Lee Kuan Yew's Language Learning Experience』)
-勉強してみたが、挫折したリークアンユー
-主語「私は」が通ってしまう…私が無理なものはみんな無理なのだ。
→二言語政策はリークアンユーの個人的事情?

**シンガポールの文学
-華人文学
--''華語系''
--''英語系''
-英語系タミル人文学
-マレー人文学
--マレー語系
--英語系
-※マレー語、華語とも、50年代までの出版、作家活動の中心は大都市シンガポール

**前回リアぺ
作品篇をすべて読み、一番好きな詩(またはフレーズ)を一つ選び、その理由を記せ
-シンガポール文学『ありふれたこと』
-『色』←シンガポールの「色」が分からないと難しい

**シンガポール英語詩
-本章の主題
-''英語以外に表現手段を持たない''人達によって''創られつつある''文学
-モダニズム以前の英語詩から
-自分の国としての現地「マラヤ」がテーマに
--50年代にナショナリズムの高揚と反植民地運動
-個人の抒情と公的愛国

**コモンウェルスの文学
-旧イギリス植民地の英語圏文学
--GeNii:コモンウェルスand文学→論文13件、著書8件
-ポストコロニアルの三段階
--英文学の模倣段階
--脱植民地のナショナリズム段階(政治的には独立していても、文化的に宗主国の影響が残る)
--現地化段階



**中国語の定着
-八十年代までに勝負ありと言われた英語教育派VS中国語教育派
-「講華語」運動は中国語教育派に公然と中国語、中華文化を推進する機会を与える
-中国の経済成長という外的要因
-中国語はもはや後戻りできないトレンド
-小学校卒業試験などの振り分けテスト
--富裕な英語家庭で中国語教育重視の私立幼稚園が支持(中国語教育による差別化)
-高等教育
-かつての中国語教育の牙城、南洋大学(1957〜1980)の校地を継承し、1992年に大学に昇格した南洋理工大学
-「南洋大学」への改称論も
---日本の東大の様な、世界でも有数の大学
---シンガポールの大学の給与は円高の日本よりも高い

**国家の家父長リー・クアンユーと中国語
-初代首相で現在も家父長的影響力を保つリー・クアンユー(上級祖)
--イギリス留学の英語教育はエリート
-1942年、19歳のリーは日本のシンガポール占領で強制された日本語学習を拒否し、英語を通じて中国語を学び、日本「漢字」を理解することを目指す
-イギリス留学後、1955年にタンジョンバガー区から出馬
•当時牛車水(チャイナタウン)選挙区は中国語演説必須
-当時牛車水(チャイナタウン)選挙区は中国語演説必須
-人民行動党の左翼系グループ党員から中国語を学ぶ
-1961年、野党(および与党左翼系グループ)と福建語地区の補選で敗北
-60年代当時、福建語はシンガポールで最も通じる言語
-1965年の独立〜1979年、リーの国慶節演説は福建語

**方言を捨てる
-「私はずっと人民に…中略…改めたのである。」
-英語+標準中国語(二言語政策)

**ロイヤルファミリー、リー家の教育
-英語家庭
-初等、中等教育は中国語
-高等教育は英語
-''多民族社会の諸事情は「シンガポーリアン=英語」さえ許さない''

**シンガポール華語文学再考
-70%以上が華人(中国系民)であるシンガポール
-話し言葉は広東語、福建語などの方言だった
-書き言葉は共通
--他の中国語圏同様、''漢字''は紐帯

**中国語文学の潮流
-中国、台湾、香港、マカオの中国語国語世界
-マレーシア、シンガポールなどの中国語民族語世界
-中国や隣国マレーシアからの情報、人の流入(移民や留学生)

**シンガポール在住作家丁雲
-開高健記念アジア作家講演会シリーズ16
-マレーシアからシンガポールの放浪
-作品テーマ
--故郷(民族問題、都市化)都市化によって風紀が悪化
--異郷(シンガポール)永住権は持っている
--現代史(労働運動、マラヤ共産党)
--宗教(キリスト教)
---妻の影響で改宗、性格が丸くなった

**生活の糧としての文学
-東京23区と同面積の都市国家
-兼業作家は当たり前、日本の様な専業作家はほとんどいない

**文学はどこに
-逐次刊行物
--日刊紙は英語、中国語などの新聞が一つのビルに統合(言語で階が分けられている。新聞社、言論統制されている)→新聞はあてにならない
--別刷の文学ページ「文芸副刊」も純文学系は『聯合早報』の「文芸城」のみ
--文芸団体の同人会誌の他、出版社による文芸誌なし
--海外への投稿

**「世界華文文学」の一環としてのシンガポール華人文学
-教育省と主要三文学団体(文芸協会、作家協会、錫山文芸中心)の『シンガポール華文作家伝略』によると、540名
-物故作家100名を除き

**華人文学と日本
-華人文学の主要テーマの一つである日本
-五尺にも充たないチビ瓜が両手を腰にあてがったまま、ぶらぶらと…(以下略)苗秀『残夜行』(めこん)
-「昭南」駅で検問中の日本兵の様子

**軍国日本をどう読み解くか
-1942年から45年の「3年8カ月」はシンガポール(昭南)の日本軍政期
-新興国のとって重要な国民史の一齣
-国立文書館のオーラルヒストリーセンターも日本軍政期の記録から
-邦訳作品
--前記『残夜行』ほか

*さいごに
-最後のリアぺへのリプライはCHORUSディスカッション内で。
-後期レポートは時間を過ぎても提出可能なので、諦めずに提出してみて下さい。(もちろん成績提出期限等、限度はあります。悪しからず)