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11/12/12/3

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*交流文学論 第11回講義

*時代背景
**国内治安法 発動
・1987年 華語小学校人事問題をめぐり、人種暴動寸前に
(別名…茅草行動,大逮捕,Operasi Larang)

**ゆりかごから墓場まで
民族別のfacility (民族別施設?)
公立小学校にも、中国語ベースだったりマレー語ベースであったり分かれている。
日本でいう朝鮮学校などとはニュアンスが違う。

1987年の暴動はそれが揺らぎそうになったための問題。
デモから派生して暴動になる。
日本では少ない。なかったわけではないのだけれど

**1987の痕跡
-18年かかって拭いされつつあった、五・一三の悪夢再来
-タイや台湾に本格的に拠点を移す華人も登場
-五・一三の記憶,体験が無い若年層にも衝撃を与える結果に

*その他の考えるべき要素
**教育の重要性(前講でも記述あり)
世代を越えて身分をあげるための唯一の方法。
それを可能にするは教育のみ

**留学の意識の違い
国内の教育に限界が見られた際に、海外留学する。
その点で日本の留学とは違う。
彼らの留学のイメージは、例えば栃木県民が
宇都宮大学(国内の大学)を目指すのではなく
東大・京大(海外の大学)を目指すようなもの?

*民族問題
**国民の認識
華人にとってのマレー人はインド系をも含むもの。
マレー人にとってマレー人はインド系や華僑を含まない。
この認識のずれ。
マレー人でなければマレーシアの国民となれないか。

**民族問題をどのように題材化するか
・丁雲
発売禁止の恐れも。
例えば中国語で書かれているとダメ。中国に厳しいというか…
つまり、マレー語で無いと評価されない。受賞対象に成り得ない

**非マレー人によるマレー語文学の可能性
多民族国家を謳う以上、マレーシア文学に華人文学やタミル文学も含まれるべき。
ただ、翻訳は難しく文学交流も難しい。国民文学にも成りえない。
→では非マレー人がマレー語で書いたらどうなるか?

*民族の閥を強化する現代マレーシア社会
**民族語学校(公立小学校,私立中高)
公立はもちろんマレー語教育だが、私立ならば中国語、タミル語教育がある!
**事実上の民族上食堂
→食べるものが違うから。一緒に食事する光景をほとんど見ない
基本的にチャイニーズもマレー料理屋には入らない。
**民族別宗教
憲法で決められているわけで無いけど、マレー人はイスラム教でなければならないといったような決まりさえある
宗教裁判や宗教警察といったものも存在する。日本には理解できないね
**民族別政党,社団(与野党、それぞれが民族別に)
いわゆる県人会のような地域別コミュニティーが多様に存在
**民族別墓苑
日本人用の墓もある。
なぜならマレー系の英語は正直くだけているから日本人でも引け目無く話せる。だからこそ日本人の滞在者も多いから

*ピジンとクレオール
**東南アジアのクレオール華人
ベトナム…ミンフォン
カンボジア…シノカンボジエン
タイ…ルークチン
マレーシア…ニョニャ・ババ
シンガポール,インドネシア…プラナカン
大陸との混血。フィリピンや華人との混血。

**交流文学、あるいは非国語文学考
・クレオールを考える
-混血、ハイブリッド、ピジン~流動
-大義語としての、純粋、伝統。。。~固定
例えば日本人は全員基本的に日本語だから文学の交流というものは少ない

**マレーシアが端的に表れる
純粋で無いもの、不純なもの、流動性のあるもの…これが伝統となりえるか。
クレオールは伝統に含まれているのか(その答えは、Yes

**オランダ領東インドにおけるプラナカン集団の形成
-オランダ領東インド(旧インドネシア)
-プラナカン→クレオール華人
-新客→一世華人
そもそも国境はどこか。
政権が変わっての国境変更はあるのか。
現地化してしまった人と、現地化せずにチャイニーズ文化を守る人との差。

*出版状況と中国小説の翻訳
**19世紀末
マレー語印刷物~新聞等

**20世紀以降
急激に部数伸ばす

**中国小説のマレー語訳
大ヒット!読者獲得

**補足
どんなものが国民か、どんなものが国家か。
日本には分かりづらい感覚かもしれないが、彼らには普通の事。
例えば、学校で習っている言葉と家でしゃべっている言葉が違うことは普通。

例えば、なぜ現代日本で朝鮮語の習得がはやっているのか?
それは朝鮮語によるコンテンツが日本において非常に魅力的だからある。
それと同じ話。

**プラナカンと中国小説の翻訳
中国語読み書き能力を失うも、中国文化への関心を持続
明清の通俗小説をはじめ、中国小説の母語(マレー語)への翻訳
例えば、19世紀末に三国志や列国志、水滸伝が訳された。

**ユーラシアンのヨーロッパ大衆小説の紹介
-ユーラシアン(脱亜混血児)
-『ロビンソン・クルーソー』『三銃士』など
文学はどのような状態で大衆に対して意味を持つか?
出版文化の形成に帰依。
ある程度のベストセラーの登場が必要。

-(例)謎解きはディナーの後に,ハリーポッターシリーズなどの
中学生にも読めるような大衆受けする文学。
その意味で、日本にはまだコンテンツとしての読書の可能性ある。

**ユーラシアン翻訳の発展
-翻訳小説~翻案小説~創作小説
(プラナカン小説~ニャイ小説~ロマン・ピチサン)
「翻訳小説は登場人物の名前や設定が覚えられないから嫌い」
実はこれは核心を突いている。
小説にエキゾチック性を求めずノスタルジーを求めるならば確かに翻訳小説はとっつきにくい。
翻案小説はそれを現地風に置き換えたもの。
創作小説は見せ方にもこだわるようなもの

**大衆文学の形成
純文学に比べて多くの読者を獲得した、『大衆文学』
大衆文芸史や中国種の武侠小説連載も登場

*インドネシア大衆文学現代史

-930事件
中華文化=共産主義としての
中華文化の否定
-5060年代
武侠小説の翻訳。(日本での翻訳は90年代より)
武侠小説は、日本で今も人気のあるカンフー,アクション映画などの原作に近い。
中国現代文学が紹介された。プラムディアも紹介。
(もちろん中国語は抹殺?されているため、マレー語として)