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11/12/05/3

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*交流文学論2 第10回講義
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*マレーシア
**マレーシアの概要
-島嶼部(木の世界)
-オーストロネシア
-湿潤熱帯気候
--四季はないが、1年を通して微妙に変化はある。
--朝なかなか明るくならない。子供が通学する時間(7時ごろ)でもまだ暗い。
--都市が発達し、人が多く住んでいるのは西である。日本人が観光に行くのは大抵が西であるためか、「マレーシア」というと西の方の特徴をイメージしがちである。モンスーン気候の湿った空気による雨が降り、ダイビングスポットとしても知られる東海岸の存在は忘れがちになってしまっている。
--都市が発達し、人が多く住んでいるのは西である。日本人が観光に行くのは大抵が西であるためか、「マレーシア」というと西の方の特徴をイメージしがちである。モンスーン気候の湿った空気による雨が降り、ダイビングスポット(乾季3-11月オープン)としても知られる東海岸の存在は忘れがちになってしまっている。※ボルネオ島東マレーシアは通年でダイブ可
-人口2,613万人、面積33万平方キロ
-インド文化
-イスラム教
-イギリス(1824) 1930-42、(日本軍政期) 1945-57
--日本軍政期はなぜ「空白」なのか?
--日中戦争から日本軍を敵視していた華僑は、解放戦争(太平洋戦争)で物凄い抵抗をした
--言論統制が緩くなった戦直後に、規制されていた文学作品が大量に発表される。イギリスが戻ってきた46年以降に発表された(42〜3年に考えられていた)作品以外にも、もっとあったのではないか?(証拠隠滅の疑惑)
-ラーマン、1957
--日中戦争から日本軍を敵視していた華僑は、「大東亜戦争」(太平洋戦争)に抗して特に抵抗した
--言論統制が緩くなった戦直後に、規制されていた文学作品が大量に発表される。イギリスが戻ってきた46年以降に発表された(42〜3年に考えられていた)作品以外にも、日本軍政下の作品はもっとあったのではないか?(証拠隠滅の疑惑)
---日本人に求められる軍政研究、資料発掘
-ラーマンらにより1957年独立

**多民族国家マレーシアの構図
-三大民族
--マレー人:イスラム:マレー語:約6割 ←日本で言う「日本人」
--華人:非イスラム:中国語:約3割
--インド系タミル人:イスラム、非イスラム:約1割
-その他
--マレー系先住民
-ブミプトラ=マレー人+マレー系先住民

**民族摩擦小史
-1957 マラヤ連邦イギリスから独立
-1963 マレーシア連邦結成
-1965 シンガポール分離独立
-1969 五一三事件
-1987 国内治安維持法発動←現在廃止を検討(民主化の一環として)
-1998 アンワル副首相逮捕
-2001 カンポンメダン民族衝突
-2006 デンマーク風刺漫画転載事件
-2007 野党、インド系大規模デモ
-2009 アブトラ首相(5代)からナジブ首相へ(6代)

**20世紀以降のマレー文学
-五十年世代
--社会のための芸術
-六十年代
--農村
--女性←オルタナティブ
-第三世代
--文学実験

**現代マレー文学
-五十年代
--クリス・マス『クアラルンプールから来た商人』
-六十年世代
--シャーノン・アハマッド『いばらの道』(農村)
--アマッド・サイド『娼婦サリナ』
-第三世代
--アンワル・リドワンの「意識の流れ」手法『明日が来れば』

**国家文学賞をめぐって
-1981-
-現代マレー文学を構築するための古典創出
-マレー語以外は?
--非常に待遇のよい文学賞であるが、マレー語の文学作品に限られる。

**馬華文学の背景
-=マラヤ華語系華人文学(華語文学)
-中国五四文学運動
--ナショナリズム運動
--対華21カ条要求反対
--新文化運動:言文一致
-華字紙文芸欄(文芸副刊)の口語文
-社会主義的リアリズム
---現状では、モノを読んだり書いたりすることは選ばれた人(エリート)のみが出来ること。それを簡単にしていくことが求められる。

**馬華文学運動
-1920s 南洋色彩文学
-1937- 抗日救''国''(=祖国中国)文学
--労働力として呼ばれた中国人
--奴隷貿易が出来ない時代となり、不足する労働力を補うために中国から契約労働という名の「ほぼ奴隷的」労働者が雇われた
--過酷で苦しい労働→クスリで紛らわす→金が貯まらずに離れなれない…華僑の人々
--居住意識は持てない→「祖国中国」
--現地国なく、居住意識も持てない→「祖国中国」
-''1942-45 日本軍政期''
-1947 儒民文学論争
-1948 非常事態宣言
-1956 愛''国''(=現代マラヤ)主義的大衆文学
-1957 マラヤ連邦独立
--「平和に独立」とはいうものの…
--英のカムバック→(主に共産党が)独立を望むように→英が非常事態宣言(1948)
--英のカムバック→(主に共産党=華人が)独立を望むように→英が非常事態宣言(1948)
-1963 マレーシア連邦結成
-1965 シンガポール分離独立

**タミル語文学の流れ
-1881…タミル語新聞
-1910s マドハヴォラオ『真珠の首飾り』
-1920s '''*タミル改政運動'''
-1920s ヒンドゥー宗教詩
-1950s 
--短編小説
--'''*ドラヴィダ運動'''
-1963 タミル作家協会
---'''*中国五四運動からきている'''
---マレーシアには本格的なシンガポールやタイ料理の店が割とある(どちらも英植民地化→植民地間の移動は割と自由だった)

**五一三事件後の政府方針
-1969.5.13 五一三事件
--デモの規制…危ないから。旅行者にとって、人だかりに近づいてみるのは危険な行為
-1970.8 国家原則(Rukunegara)←マレーシアがどういう国なのかを確認するためのもの
--神への信仰
--国王(イスラムの王様)および国家への忠誠
--**憲法遵守
--**法による統治
---**西洋近代法、かろうじてイスラム法でない
--良識ある行動と特性←倫理
---マレー人、イスラム優位
-1970.9 初代首相、独立の父、ラーマン辞職
-1971.2 非常事態解除

**敏感問題とは
-1971 ラザク政権下、憲法改正
-「国民の調和に向けて」
-市民権、民族問題<マレー人特権>、言語<マレー語国語問題>、宗教<イスラム>

**ブミプトラ政策(マレー人優先主義)
-1971.5 ラザク政権下第二次マレーシア計画
-新経済政策(NEP)
-マレー人所得向上のため「ブミプトラ政策」
---しかしながら…↓

**国内治安法(Internal Security Act)発動
-1987華語小学校人事問題をめぐり、人種暴動寸前
--中国語教育を受けていないものを校長にしようとした
-茅草行動、大逮捕、Operasi Larangとも→ショックを受けた人々

**1987の傷跡
-18年かかって拭い去られつつあった
-18年かかって拭い去られつつあった18年前の五一三の悪夢