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10/12/13/3

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第10回<シンガポール文学 つづき>

*国家の家父長リー・クアンユーと中国語
-初代首相で現在も家父長的影響力を保つリー・クアンユー内閣顧問
--イギリス留学の英語教育派エリート
-1942年、19歳のリーは日本のシンガポール占領で強制された日本語学習を拒否し、英語を通じて中国語を学び、日本「漢字」を理解することを目指す
-イギリス留学後、1955年にタンジョンパガー区から出馬
-当時牛車水(チャイナタウン)選挙区は中国語演説必須
-人民行動党の左翼系グループ党員から中国語を学ぶ
-1961年、野党(および与党左翼系グループ)と福建語地区の補選で敗北
-六十年代当時、福建語はシンガポールで最も通じる言語
-1965年の独立〜1979年、リーの国慶節演説は福建語

*方言を捨てる
-私はずっと人民に、再び方言を話さないこと、共通中国語の学習こそ必要であることを呼びかけている。たぶん皆は英語と中国語を学び、家庭内では中国語方言を話しているだろう。これは無理なのだ。私はこれが無理であることを知っている。脳のより多くの空間を占め、より多くの領域を使ってしまう。(中略)だから私は共通中国語に改めたのである。(Keeping My Mandarin Alive:Lee Kuan Yew's Language Learning Experience)
-英語+標準中国語

*ロイヤルファミリー、リー家の教育
-英語家庭
-初等、中等教育は中国語
-高等教育は英語
-多民族社会の諸事情は「シンガポーリアン-英語」さえ許さない

*シンガポール華語文学再考
-70%以上が華人(中国系民)であるシンガポール
-話し言葉は広東語、福建語などの方言だった
-書き言葉は共通
--他の中華圏同様、漢字は紐帯

*中国語文学の潮流
-中国、台湾、香港、マカオの中国語国語世界
-マレーシア、シンガポールなどの中国語民族語世界
-中国や隣国マレーシアからの情報、人の流入(移民や留学生)

*生活の糧としての文学
-東京二十三区と同面積の都市国家
-日本を除くアジア各地、「文学」で自活できない
-作家専業は退職者や主婦(夫)
-ほぼ全員が兼業作家

*文学はどこに
-逐次刊行物
--日刊紙は、英語、中国語などの新聞が一つのビルに統合
--別刷の文学ページ「文芸副刊」も純文学系は『聯合早報』の「文芸城」のみ
--文芸団体の同人会誌の他、出版社による文芸誌なし
--海外への投稿
---''マレーシア、台湾、香港、中国や他の華人世界''

*「世界華文文学」の一環としてのシンガポール華人文学
-教育省と主要三文字団体(文芸協会、作家協会、錫山文芸中心)の『シンガポール華文作家伝略』によると、540名
-物故作家100名を除き、団体に所属しない作家を加えると、およそ500名の華人作家が現役


*華人文学と日本
-華人文学の主要テーマの一つである日本
-五尺にも充たないチビ瓜が、両手を腰にあてがったまま、ぶらぶらとアヒルのように歩き回り、ガアガア怒鳴っていた。もう一人は、逆にほとんど口を開かず、濃い眉毛の奥にはめ込まれたトビ色の小さな目で、悪辣そうに様子を窺っていた。(苗秀『残夜行』(めこん))
-「昭南」駅で検問中の日本兵の様子

*軍国日本をどう読み解くか
-1942年から45年の三年八ヶ月は、シンガポール(昭南)の日本軍政時代
-新興国にとって重要な国民史の一齣
-国立文書館のオーラルヒストリーセンターも日本軍政期の記録から
-邦訳作品
--前記『残夜行』
--『シンガポール華文小説選』
--『マレーシア抗日文学選』
--画文集『チョプスイ』

*丁雲
-http://www.jpf.go.jp/j/culture/civil/kaiko/kouen16.html

*結局交流文学とは
-文学経験と観光体験
-書くに足る日々をどのように捉えるか
--作家<作品>読者
--札幌<観光>ゲスト