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屋形船

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*航路
-新木場<貯木場>千石橋<夢の島>新曙橋-曙橋-曙水門<辰巳国際水泳場>京葉線<潮見:湾岸署>漣橋-七枝橋-東雲橋-東雲水門<東電新豊洲変電所>木遣り橋-有明北橋-富士見橋-レインボーブリッジ-お台場(フジテレビ前)停泊、東京タワーも見える
*屋形船FWしおり(福田2017.5)
-歴史
*屋形船FWしおり(高柳2016.6)
-1.屋形船の歴史
-2.屋形船の概要
*屋形船について(五十嵐2015.6)
**屋形船の魅力
・夜景を楽しむことができる

・屋形船から花火を見ることができる→付加価値

・浴衣が着られて気分が上がる→付加価値

・宴会ができる

・リッチな身分になれる→非日常

・情緒ある雰囲気→日本っぽさ→近年外国人観光客にも人気がある
**まちづくりメンバーの意見
総じて値段が高いという意見が多かった。

ポジティブな意見としては、普段陸上では見られない景色を海の上から見ることができるという点。

団体利用はともかく、個人での利用はしないかな...

外国人観光客もわざわざ高いお金を払って、屋形船に乗ろうとは思わないのでは?
**屋形船と納涼船の違い
違いは何と言っても船の大きさです。納涼船になると定員数2000人クラスの大型船が使われます。一方屋形船は定員20名から30名で小型の船です。大きな船で快適なクルーズを楽しむのが納涼船。小さいけれど風流な船が屋形船です。納涼船は夜出発するのが主です。一方、屋形船は花見をしたり、遊覧したりとコースがいくつかあることが多いようです。宴会等貸し切りたい場合は屋形船になるでしょう。


*屋形船について(仲村 2014.6)
**屋形船とは
-屋形船とは、和船の一種で、主に船上で宴会や食事をして楽しむ、屋根と座敷が備えられた船のこと。楼船(ろうせん)ともいう。
※和船・・・日本にて発展した構造船。洋式帆船(ヨット)とは構造等大きく異なる。
--洋式には人間でいう骨(助木、フレーム等)がある。和船には骨が無く外板などで出来ている。
--洋式帆船(ヨット)は向かい風でも走れるが(45度にジグザグに)和船は向かい風では殆ど前には進めない。和船は骨が無いので、構造が弱く三角マスト(帆)が張れない為。
**屋形船の歴史〜宮人の舟遊び〜
-屋形船のルーツをたどると、その原型は平安時代に見出せる。 
-古くは万葉集にも詠まれていたというのが宮人の「舟遊び」。
-桜や紅葉を愛でたり、漢詩や和歌を詠んだり、楽器を奏でたり等々。船の上は、貴人たちが日ごろの技術や知識を披露して過ごす場であった。
**戦国大名の舟遊び
-戦国期には、織田信長や豊臣秀次が、宮中の舟遊びに似せて、船中で句や謡(うたい)の会、茶の湯を催したという話も伝わっている。
-戦に明け暮れる日々の束の間の安息の場だったのか、それとも政略・戦略を企てた、接待の場だったのかは不明。
**粋で風流な江戸の屋形船
-質素な屋形船が新造されたこともあり、大名などが所有する豪華船から、船宿や料理屋が所有し、一般庶民も粋で風流な遊びとして楽しめる、現代に通ずる屋形船のスタイルへと継承されていった。
-浮世絵にも、屋形船を楽しむ江戸の人々の図が、数多く残されている。
**明治以降の屋形船
-江戸が終わり、維新後も明治・大正・昭和初期にいたるまで、人々に楽しまれてきた屋形船だが太平洋戦争のために、衰退していく。
-戦後復興から高度経済成長期に入ると、今度は水質汚染や、殺風景な河川護岸工事がなされた影響から、一時はほとんどの屋形船が鳴りを潜めることになった。
**現代の屋形船
-屋形船が息を吹き返し始めたのは、1980年代のバブルの頃から。「豪華な遊び」として注目されたことに、河川環境が改善されてきたことなどが重なり、やがてエアコンやカラオケ完備の、現代型の屋形船が続々と登場するようになった。
-日本の伝統文化として、延々と続いてきたかに思われる屋形船も、浮き沈みをくり返し、再び脚光を浴び始めたのは、比較的最近のことだった。
**環境汚染に対しての対応?
-屎尿(しにょう)の垂れ流し・・・・
-レインボーブリッジや東京タワーの夜景が楽しめるお台場周辺は屋形船が集まるスポット。春から夏の多い日には120隻がひしめく。屎尿は停留場所でバキュームカーが回収しているが、ホースが届かない場合などは規制海域の外で流すこともあったという
-海洋汚染防止法が屎尿の海への排出を規制するのは、定員100人以上の船舶。屋形船の多くは60〜70人で今までは対象外であった。
**環境汚染に対しての対応?
-東京湾の水質改善をめざす東京都は2010年から、屋形船からの屎尿の排出規制を強化した。
--→排出禁止海域をレインボーブリッジや芝浦周辺を含む約3千ヘクタールに広げるよう条例の施行規則を改定。屋形船の停留場所近くなど4カ所に、タンクから屎尿を吸い上げるポンプを新設し、新たな規制を始めている。
**参考資料
-屋形船の歴史 http://www.yakatabunetsurishin.com/history.html
-朝日新聞(2010年12月29日)屋形船の垂れ流しダメ 東京都、屎尿排出規制を強化方針 http://web.archive.org/web/20110101125220/http://www.asahi.com/national/update/1225/TKY201012250134.html
*屋形船という遊び方の歴史(舛谷 2013.6)
**水辺の景観として:
-隅田川やお台場周辺に集まる何隻もの屋形船は、夜の海に光が映り、今や東京景観の一つ
-花見と納涼、特に花火大会の時期がピーク。スカイツリー見物などオフシーズン対策も
-粋というまなざしの体現として
**船遊び小史:
-クルーズ/舟遊び
-屋形船の原型となる「苫」(とま)
--秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ(万葉集)
-「苫」が発展し、貴族の遊船、官船などが屋形船に
-江戸時代、隅田川などを中心とした河、掘りを使った水上交通が発達
--屋形船は大名や武家、商人たち遊びの一つに
--金、銀、漆、絵画などで、船内外に装飾を施し、芸者衆と乗り込んで遊ぶ
--通常定員20名ほど。有力な大名は自前で、大きく豪華絢爛な船を競うように造るようになり、幕府が規制を敷いたほど
-日本全国で屋形船が作られ、桜を愛でたり、俳句を詠んだりする風流な遊びとして、庶民の間にも広がり、明治、大正、昭和初期と人々に愛された
-昭和20年代の太平洋戦争での敗戦後、東京湾河川は水質汚染が悪化。コンクリートの殺風景な堤防も屋形船から眺める景色を奪い、廃業する船宿も増えた
-東京で屋形船が再び盛り上がったのは、昭和の終わり、80年代バブル期頃。休業していた船宿が再開、釣り船屋が屋形船を始めたり
--品川、浜松町、月島、深川などに船宿が多くあり、屋形船の数やタイプは様々
--基本的に2時間半くらいの航海をしながら、てんぷらを主にした食事と、飲み放題で1名1万〜1万5,000円ほどが相場
**震災支援
-屋形船東京都協同組合の取り組み
--加盟船宿35の総屋形船数120隻
-屋形船には、厨房、トイレが設備されており、飲料水も確保され、収容人数も一隻あたり数10人から100人ほど
-災害時帰宅困難者の「川渡し」のみならず、各行政機関(警察庁、消防庁等)の指揮人員の速やかな輸送や医療団体、ボランティア団体の搬送、あるいは、けが人や急病人の川沿いの病院への搬送等、また、その居住性をいかし、一時的な避難所としての利用も可能
-事例
--東京マラソン応援と災害時帰宅困難防災支援シュミレーションで屋形船無料運行(2011)
**課題:
-「粋」はどのように演出されているか。気付いた点を当日の様子、感想とともにゼミブログに投稿せよ
**東京舟旅by東京都
-https://www.suitown.jp/
*リンク
-月島もんじゃ協会 http://www.4900yen.com/
--ホットペッパークーポン http://www.hotpepper.jp/strJ000043595/
--ぐるなびクーポン http://r.gnavi.co.jp/g207100/
--震災時 http://www.yakatabune-kumiai.jp/association/activity01.html
-リバーステーション http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/00117/