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*グローバル・スタンダード

 もしグローバルなスタンダードというものがあるとしたら、国際的なチェーンホテルの出現はそれを端的に示すことだと思う。

 経済危機が叫ばれるようになって以来、こうしたいい方はもっぱら経済・金融システムに向けてなされている。グローバル・スタンダードなどというと、いかにも滑りのいいことばに聞こえるけれど、私にはホテルの存在にもっとも明確に当てはめることのできることばに思える。

 たとえば、いわゆる途上国の首都や大都市の国際的チェーンホテルの代表的な存在である、ヒルトンやシェラトンがオープンすると、その都市は確実に国際社会の仲間入りをすることになる。さまざまな政治的理由から閉じられていた国や社会、また経済的に遅れていた社会が、発展を志向してあるある段階に達したことを、眼に見えるかたちで世界に示す指標に、ヒルトンやシェラトンなどの国際的なチェーンホテルの出現はなる。

 とくに第二次世界大戦後の、世界各地へのアメリカ系のチェーンホテルの進出は、アメリカ的な生活様式の「普遍性」を世界に拡大してゆき、「自由と民主主義」と「市場主義」を具現するものとして作用してきた。

 何よりも明るく清潔であること、能率のよさと標準化されたサービス、熱いシャワーが二十四時間ほとばしるように出てバスタオルの類がいつも白く輝いているサニタリー部分の充実、アメリカンコーヒーとブレックファスト、国際的なビジネス流儀と情報通信ネットワーク。気取らないが、スタイルをもった行動様式の尊重。

 まあ、こういった特徴をアメリカ英語とポピュラー音楽とハンバーガーを併せ、世界中に広めた。これぞ生活文化のグローバル・スタンダードであり、いまではさまざまな資本系列による数多くの国際的なチェーンホテルの基本となった。

 ある種のハイライフとハイカルチャー、そして国際的な、開かれた、自由な、といったイメージ。どこへ行っても同じという安心感。もっとも、それはいまアジアで批判的に語られる「グローバル・キャピタリズム」を体現するものでもある。この面からは批判も多々あるにちがいない。しかし、見知らぬ都市で不安な思いにかられて、街角のこうしたホテルを見つけ、急いで中に入ってほっとした経験は貴重にちがいないし、他に代えがたい安心感を与えてくれることでもある。

 もっとも、こうしたホテルのグローバル・スタンダードは、金融システムと同じくアメリカン・スタンダード的でもあるところが魅力でもあり、また限界でもある。

**青木保『憩いのロビーで』日本経済新聞社、2000