交流文学論2 第8回講義
インドネシア
読者人口急増期
- 1930s
- 1950s-60s
- 1970s-90s ポップ小説
- 文学の影響圏
九月三〇日事件
- 1965.9.30
- インドネシア国民のトラウマ
- レクラ*の社会主義リアリズム…政治のための文学
- *インドネシア共産党人民文化協会
- 政治こそ最高司令官
- レクラ系作家粛正、投獄
- 社会主義…一国だけで幸せになろうという思想ではない。
→東南アジアの共産党の背景には中国共産党の存在
- インドネシアVS中国
- 「漢字の裏には共産主義がある」といわれるほどに10年ほど前までのインドネシアでは中国語はタブーだった
ホリソン・グループ
- 1963 文化宣言
- 文芸誌『ホリソン(地平線)』…テキストP.188~9
- 9・30後 文学の政治離れとフィット
- シリアスな作品や実験小説
- ハーベヤシンはほとんど翻訳されていない。
検閲の時代
- スハルト長期政権(1965-98)の閉塞
- 警察国家の典型
- 新聞・雑誌の廃刊
- 作品の背景
- 書き手の職場追放、軟禁、拘留、逮捕、投獄
- 言論抑圧の陰湿化
- 自己検閲の時代でもあった
「改革」による自由化
- 1998スハルト退陣
- 言論統制の終焉
- 突然与えられた自由
- 改革後の文学状況例(『カラム』12,1998)
- 「禁止思想」作品掲載
- プラムディア作品出版紹介
- タブーに触れた作品掲載
- ずっと溜められてきたものが、ここで一気に爆発する
プラムディア・アナンタ・トゥール
- 1925-2006
- 1959、1965-79 左翼系として政治拘留
- 1980s- ノーベル文学賞候補←国際機関の圧力で彼が抹殺されないように
- ノーベル賞は自分でもお金を出して申請すれば候補になれる。
- 1986-2008 押川典昭氏によるブル島4部作翻訳…語りを聞いた受刑者たちが書き留めたものを集めたため、誤植が多く翻訳も困難。
- 1995 マグサイサイ賞(アジアのノーベル賞)
- 1998-2001 発禁処分解除
- 2000 第11回福岡アジア文学賞
- 2001 『日本軍に捨てられた少女たち』出版
- 2006 逝去
- マレーシアとインドネシアの違い
- マレーシア…旧イギリス植民地、インドネシア…旧オランダ植民地
プラムディア国民文学ののち
- ジャーナリスト作家
- ジャーナリストと作家を兼ねている人は日本以外では非常に多い
- コミュニティーの文学
- ウタン・カユと女流作家アユ・ウタミ
- この時初めて「国民文学」と呼ばれる文学が存在することとなった。
- 「まちおこし型」文学
前回リアぺ
- 作品編から1つ選んで
- 「どれか1つ」→すべてを読んだ上でどれか1つ選べという意。1つしか読んでいないリアぺはすぐにわかる。
マレーシア
- 島嶼部(木の世界)
- オーストロネシア
- 湿潤熱帯気候
- 四季はないとはいえ、微妙に変わる。東海岸はモンスーンで湿った空気が吹く影響で雨が降りやすいため、日本人観光客の多くは西のほうにばかり行く。都市部・多くの人が住んでいるのも西である。マレーシアというと西のほうのイメージばかりが語られやすいが、それだけではないのである。
- 人口2,613万人、面積33万平方キロ
- インド文化圏
- イスラム教…16c以降にアラビア半島の方から入ってきた
- 旧イギリス領(1824)1930-42、1945-57
- 国民英雄ラーマン、1957
- 時間はかかったものの、血を流すことなく外交によって独立を達成。
多民族国家マレーシアの構図
- 三大民族
- マレー人:イスラム:マレー語:約6割
- 華人:非イスラム:中国語:約3割
- インド系タミル人:イスラム、非イスラム:約1割
- その他
- ブミプトラ=マレー人+マレー系先住民
- ブミプトラ政策によってマレー人が厚く保護されている
民族摩擦小史
- 1957 マラヤ連邦イギリスから独立…マレー半島のみ
- 1963 マレーシア連邦結成…シンガポール含む
- 1965 シンガポール分離独立
- マレーシア人よりチャイニーズの方が多いことを懸念し、チャイニーズを減らすためシンガポールを切り捨てた形。
- 1969 五一三事件
- 1987 国内治安法発動
- 1998 アンワル副首相逮捕
- 2001 カンポンメダン民族衝突
- 2006 デンマーク風刺漫画転載事件…モハメッドがテロの首謀者?
- 2007 野党、インド系大規模デモ
- 2009 アブトラ首相(5代)からナジブ首相へ(6代)
19世紀前半のマレー文学
- アブドゥッラー物語
- イスラム文学運動
- 出版文化の創世