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交流文学論2 第6回授業
前回のリアぺ
外国由来の行事
ベトナム文学
ベトナム
ベトナムの時代区分
民族と言語
近代文学前夜
近代ベトナムのフランス文学
近代小説の形成
社会派の登場
文学論争(1930s)
戦争の時代
日本の市民社会とベトナム戦争
ベトナムの政治と文学
人文佳品事件(1956)
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交流文学論2 第6回授業
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前回のリアぺ
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「このように」という表現を用いている場合、きちんと前述部分を表してつなげられているか。
外国由来の行事
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行事の日本における普及は観光学部において重要な関心事である
クリスマス…日本にかなり定着している。
ハロウィン…国内の商業施設に於いてハロウィンはどの程度定着しているのか?
→どこから来たのか分からない文化が、定着していく。
→あたかも昔からあった文化であるかのように認識される。(ex.ドライブスルー)
ベトナム文学
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ベトナム
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大陸部(草の世界)
モンクメール
モンスーン気候
人口8,423万人、面積33万平方キロ
中国
漢字文化圏…日本と地理的には遠いが、文化的には近いものがある→日本と同様な外国文化の受け入れ方をする?
大乗仏教
フランス(1887〜45)←20c半ばまで植民地であった
ホーチミン、1945←絶対的な民族英雄を持ったことのある国は他の文化を受け入れやすい?
ベトナムの時代区分
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古典文学(13-19c)
中国→現在でも漢文がオフィシャル(日本に於いては漢文は教養)
SVOとSOVの違いのためにレ点等を用いひっくり返して読んだ
古い翻訳(難解だがきれい)と新しい翻訳(分かりやすい)…どちらが良いのか
近代文学(19-20c)
フランス
現代文学(1945-)←独立から76年まで約30年間ずっと戦争をしていた
ベトナム
北/南…東西冷戦の代理戦争(植民地の影響も入れて書かざるを得ない)
80年代までは情報の入手が困難であったため、南北統一後に南が以前の状態を保っていた事に北は驚いた
「口語」と「文語」にはずれが生じる…「あげぽよ」「さげぽよ」という流行語(口語)が辞書に載るのは〜10年後だが、辞書に一度載れば文語化し、しばらく残る
19〜20cに外国語を学べたのはエリート(電子辞書もなかった時代)
民族と言語
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9割のキン族と53の少数民族
タイ、メオ、クメール、チャム、華人等
越僑の存在
ノーベル賞受賞者、「華僑(かきょう)」のようなお金持ち。
北は共産主義であったため、お金持ちが南に逃亡→越境は南に多い
「ベトナムのための諸民族」から「諸民族のためのベトナム」
多民族国家としてのベトナム
近代文学前夜
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漢文学
チュ・ノム文学←ベトナムが勝手に作った漢字
定型・韻文
フランス植民地化による西欧化…「私は」の文学の始まり
=近代化:意識、出版状況
近代ベトナムのフランス文学
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デュマ、ユゴー、モリエールら近代文学者諸作
ファム・クイン「小説について」(1921)
近代のリアリズム
翻訳の重要性
翻案小説←どこの国でも出ているが、日本は少し早かった(明治)
全く想像がつかないが、読み終えてしまう
近代小説の形成
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自力文団(1930s)
浪漫、進歩、自由、反封権(封建?)…「現状を変えよう!」「自然はいいものだ!!」
大衆化はしても限られた人のみに許された観光
後に政治集団化←近代化、一つの生き方
カイ・フン「蝶魂仙夢」(1933)
背景としての純ベトナム
中国→フランス→(ようやく)ベトナム:「ベトナムが背景=近代」
社会派の登場
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貧困、不正な社会問題テーマ
「取り上げるべきテーマ」
日本では芥川賞(純文学)と直木賞(大衆文学)とに分かれているが、これは珍しい例である。
ヨーロッパ(BBC等)目線では、日本は「極東」として中東と共に「オリエント」とされる。
フランス植民地当局からの発禁処分
現代文学期(1945-)に直結
文学論争(1930s)
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新旧詩論争
韻文定型詩:伝統
日本に於いては主に短歌(5・7・5・7・7)が定型を支えた(『源氏物語』等の短歌を多く含む歌物語の存在)
散文自由詩:前衛
ふたつの観念論争
芸術派(現代的、わかりやすい)と人生派(社会主義的な反映としての文学)
戦争の時代
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1940 日本軍の仏印進駐
日仏二重支配
1945 ホーチミンの民族解放運動
グエン朝の終焉
独立宣言
1946 フランス復帰
1954 ジュネーブ協定
1965 アメリカの南ベトナム介入から北爆へ
1973 パリ和平協定
1975-6 ベトナム統一
日本の市民社会とベトナム戦争
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ベトナムに平和を!市民連合(べ平連)
小田稔(作家)、鶴見俊輔(哲学者)、高畠通敏(立教大学)らが北爆直後(1965)に結成
パリ和平協定で米軍全面撤退(1973)後に解散
政治的信条や思想を問わない「来るもの拒まず。去るもの追わず」の市民運動
ベトナムの政治と文学
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国家の政治的要請にいかに応えるか
文学は政治目標達成の道具
人文佳品事件(1956)
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中国の百家争鳴(1956)〜反右派
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