第10回<シンガポール文学 つづき>
国家の家父長リー・クアンユーと中国語
- 初代首相で現在も家父長的影響力を保つリー・クアンユー内閣顧問
- 1942年、19歳のリーは日本のシンガポール占領で強制された日本語学習を拒否し、英語を通じて中国語を学び、日本「漢字」を理解することを目指す
- イギリス留学後、1955年にタンジョンパガー区から出馬
- 当時牛車水(チャイナタウン)選挙区は中国語演説必須
- 人民行動党の左翼系グループ党員から中国語を学ぶ
- 1961年、野党(および与党左翼系グループ)と福建語地区の補選で敗北
- 六十年代当時、福建語はシンガポールで最も通じる言語
- 1965年の独立〜1979年、リーの国慶節演説は福建語
方言を捨てる
- 私はずっと人民に、再び方言を話さないこと、共通中国語の学習こそ必要であることを呼びかけている。たぶん皆は英語と中国語を学び、家庭内では中国語方言を話しているだろう。これは無理なのだ。私はこれが無理であることを知っている。脳のより多くの空間を占め、より多くの領域を使ってしまう。(中略)だから私は共通中国語に改めたのである。(Keeping My Mandarin Alive:Lee Kuan Yew's Language Learning Experience)
- 英語+標準中国語
ロイヤルファミリー、リー家の教育
- 英語家庭
- 初等、中等教育は中国語
- 高等教育は英語
- 多民族社会の諸事情は「シンガポーリアン-英語」さえ許さない
シンガポール華語文学再考
- 70%以上が華人(中国系民)であるシンガポール
- 話し言葉は広東語、福建語などの方言だった
- 書き言葉は共通
中国語文学の潮流
- 中国、台湾、香港、マカオの中国語国語世界
- マレーシア、シンガポールなどの中国語民族語世界
- 中国や隣国マレーシアからの情報、人の流入(移民や留学生)
生活の糧としての文学
- 東京二十三区と同面積の都市国家
- 日本を除くアジア各地、「文学」で自活できない
- 作家専業は退職者や主婦(夫)
- ほぼ全員が兼業作家
文学はどこに
- 逐次刊行物
- 日刊紙は、英語、中国語などの新聞が一つのビルに統合
- 別刷の文学ページ「文芸副刊」も純文学系は『聯合早報』の「文芸城」のみ
- 文芸団体の同人会誌の他、出版社による文芸誌なし
- 海外への投稿
「世界華文文学」の一環としてのシンガポール華人文学
- 教育省と主要三文字団体(文芸協会、作家協会、錫山文芸中心)の『シンガポール華文作家伝略』によると、540名
- 物故作家100名を除き、団体に所属しない作家を加えると、およそ500名の華人作家が現役
華人文学と日本
- 華人文学の主要テーマの一つである日本
- 五尺にも充たないチビ瓜が、両手を腰にあてがったまま、ぶらぶらとアヒルのように歩き回り、ガアガア怒鳴っていた。もう一人は、逆にほとんど口を開かず、濃い眉毛の奥にはめ込まれたトビ色の小さな目で、悪辣そうに様子を窺っていた。(苗秀『残夜行』(めこん))
- 「昭南」駅で検問中の日本兵の様子
軍国日本をどう読み解くか
- 1942年から45年の三年八ヶ月は、シンガポール(昭南)の日本軍政時代
- 新興国にとって重要な国民史の一齣
- 国立文書館のオーラルヒストリーセンターも日本軍政期の記録から
- 邦訳作品
- 前記『残夜行』
- 『シンガポール華文小説選』
- 『マレーシア抗日文学選』
- 画文集『チョプスイ』