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12/07/02/3

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*交流文学論<第12回>

*解釈的循環
-結論から導き出す
-統一性はテクストではなく、読み手の解釈にある、あるいはよる
--読者中心の理論
-汚染されないあるいは超越的な、神の視点はあり得るか

*アレゴリー
-ことばの彩
-言い間違い
-勢い
--これらは特に意味がないと思われるが…
--メタファーあるいはメトニミーとして捉える

*歴史問題の本質
-歴史もまた語られたものである
-解釈のない真実はない
-=意識の構造を通らない情報はない

*言術と力
-主観のない客観的事実はない
--科学論の成果
-ことばこそ人間の中心的な活動
-どんな秩序も更新され得る
--フーコー

*フーコーとまなざし
-ミシェル・フーコー(1923-84)
--フランスの哲学者
-狂気/正気
-病気/健康
--観光のまなざしの視点
-有罪/無罪
-cf.アメリカの弟子・サイード
--『ポストコロニアリズム』回にて

*結局ポスト構造主義とは
-=ディコンストラクション
-非決定論
-失敗(=沈黙)を常に抑えきれない人間
--主観?
--そもそも客観は存在するのか、、、

*読者中心の理論
-テクストが何を意味しているのかではなく、テクストが読者の心にどのように働きかけるか
--「読む」には読者がいる
-観光研究との親和性の高さ
--旅行者が観光地をどのように感じるか

*読者の「経験」
-テクストの意味は読者の経験
-印象、読後感ではない
-テクストによって誘発される反応すべて
-むしろ読後の整理された解釈と異なる
-※それらの反応すべて人に伝えることは不可能

*テクストと意味
-テクストが自立して存在することへの批判
-テクストに意味が内在し、読者がそれを取りだすという手順ではない
-作者の意図は意味を止める「釘」ではない
--意味の決定

*現象学p197
-探求の真の対象はわれわれの意識の内容であって、外界の事物ではない(フッサール)
-解釈あるいは「読む」とは、対象(テクスト、観光地…)が接近することを読者(ゲスト)に許すから
-作者から読者への「集中」の移動
--ハイデッガー~デリダの批判

*ハイデッガー(1889-1976)の現存在(Da-sein:人間)
-われわれの意識は
--外界の事物を投影する
--外界に存在し、従属する
-われわれの世界でなく、われわれの世界でもある
-思考は常に状況、つまり歴史の中にあり、それは外在する社会的なものではなく、個人の内部的なもの
--パロール

*読者とは
-イーザー
--含意された読者/現実の読者の差異
-ヤウス
--準拠枠組は何か
-フィッシュ
--解釈共同体
-リファテール
--日常指示言語/詩的メッセージ言語

*構造主義詩学における読者
-ジョナサン・カラー(1944-)
-アメリカ、コーネル大学教授

*読者の心理学
-自己アイデンティティへの引き寄せ
--自己否定の難しさ
-知識は発見されるのでなく、作られる
--パラダイム
-主観主義批判

-作者の死(p133)に端を発した読者の発見

*差異(他者構築)を伴う三領域
-人種(ポストコロニアル)
-労働者階級(マルクス主義)
-フェミニストとジェンダー

-※再考、再認識(修正主義)への手掛かり

*フェミニズム批評とジェンダー批評
-フェミニズム批評は情勢に特化
-男性と中性:クイア(セクシャルマイノリティ)は入りにくくジェンダー批評の領域か

*フェミニズム批評小史
-初期
--女性嫌悪的な文学実践の暴露
---フェミニストクリティーク
---「男流」文学
-第二期
--女性自身の文学の発見
---ガイノクリティーク
---「女流」「文学」


*反フェミニズム的要素の発見
-ホームメイド
-ママの役割
-ディズニーのモチーフの多く

*前期レポート題目
-教科書および授業内容から文学理論を一つ選び、なるべくわかりやすく2000字程度でもとめよ。
-7/30