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10/07/12/4

差分表示


*海外合宿
-1ドル=90ドル
-航空券50,140円 + 宿泊費 + ガイドツアー=80,140円
-食費:1日約20ドル(1,800円)×4日=7,200円(約1万円)
-交通費:一週間15ドルの乗り放題券←ゼミ費で購入
→全合計 約9万円(雑費、お土産代別)
※航空券代は払っているので現地に持っていくのは5万円くらい

-グアムはみんな初めてなので各自調べてくること!
:グアム観光局ホームページ
:図書館
-言語はほぼ英語。水は買うべき(水道水は一応信頼しない)


*フィールドワーク:谷根千
-観光まちづくり+まなざし観光
-卒論で谷根千をとりあげた方にコンタクトとってみる
-11時 日暮里南口集合


*まなざし観光
-フィールドワーク:盆栽町7月9日
:二次資源、国際的表示の「BONSAI」
-とろから大宮線間→浦和で北京ダック→立ち飲み
-外国人観光客が多い、説明書きが英語
-4,500円でこけ玉をつくれる

-神楽坂フィールドワーク
:行きたい人は浜ちゃんか先生に連絡


*7月14日
-ブルネイ大学の先生と舛谷先生ミーティング
-来年のホームステイへの要請:日程は週末がよい、2年生中心


*サイバーラーニング
-国内合宿、海外合宿の内容をアップしたら?


*富士登山
-ヘッドライト必須
-ストック(5合目で購入可能)
-トレッキングシューズあると良い
-100円玉をたくさん持っていく
-日焼け止め必須
-※富士登山参加者はリンクを必ず読んでおくこと


*ジャカルタサマースクール
-参加したい人は先生に連絡


*国内合宿について
-先生が国内合宿の内容をふまえてゼミ生wikiに書き込んでくださったので各自チェック
-次は来年の中間報告(不安な人はその前にもう一度発表してよい)


**講読p64~
*三 慰霊観光と記憶をめぐる抗争
-チャモロ人と日本人の共同作業
:1963年パンナム航空が日本ーグアム間空路開通するも乗客ゼロ。それ以前にグアムを訪れていた人々の目的は戦没者の慰霊。
:第二次世界大戦後、自由に旅行できるようになるも、制限多数。しかし慰霊団体は海外旅行へでかけた。
:侵略者である日本人の子孫をチャモロ人はどうみたか?
→グアム住民と日本人が合同し、日本人戦没者の慰霊公苑を建設する計画が浮上。
:米領グアムの三権の長から了承を得る。背景に慰霊観光への期待在り。

-非難された慰霊
:予期せぬ反対運動。グアム住民ではなく米国本土に住む現役軍人によるもの。
:「イスラエルの地にナチの記念碑を建てるに等しい」
:「戦没者慰霊公苑」から「平和祈念塔」に変更、日本人戦没者を慰霊する施設ではなく、米国人戦没者やチャモロ人を含む太平洋戦争の犠牲者すべてを哀悼し、平和を祈念する施設へ

*第三章 楽園の建設、記憶の埋立てp77
**一 観光開発と日本のメディア
-「青い海、白い砂」の招待
:日本のメディアをグアムへ招待することがグアム観光の始まりにとって不可欠だった。
:メディアにより公共的に「グアム」というイメージが植え付けられた。

-「若大将」も「グアム」へ
:映画の中のグアムは平和で素敵な恋が生まれる南の島であり、今日日本のガイドブックが描き出す「南の楽園グアム」のイメージに通じる。

-日本のメディアが描かなかったグアム
:戦跡関係はメディアがとりあげない。60年代末に日本のメディアが欲したのは「匿名の楽園」としてのグアムだった。

**二 宮崎の南、ワイキキの西
-「先輩」は宮崎
:新婚旅行スポットとなり、観光資源の開発と供給に成功。
:団塊の世代による新婚旅行ブーム。旧跡や戦跡は隠される。
:ハワイの楽園イメージ→ネイティブな文化に由来しないメディアがによって増幅されて配給されたもの。
宮崎も同様。