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10/06/14/4

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*プロジェクト報告
**ICT
-ゼミサーバ立ち上げ成功
-これからサーバを発展させてく
-遠隔操作可能。リモートして。
**エスニックメディア
-来週から活動
**トラベルライティング
-JAL,ANA講読終了
-大韓航空、ノースウェストを旅の図書館で調達
**日本とアジア
-講読
-米軍基地見学計画中
-谷根千行くかも?(観光まちづくりと合同)
**グローバルスタンダード
-講読
**ホームステイ
-ホームステイ受け入れ先を調達
-ゲストハウス探し中
-水・金曜日に歓迎会あり
*海外合宿
-パスポートコピー、保険会社の情報の提出をお願い
*国内合宿
-費用は約4000円
*講読 グアムと日本人
**はじめに
-グアムはかつて日本の領土であり、「大宮島」と呼ばれた
-年間で100万人近い日本人が行き来している観光地
-人口17万人(1割が米軍関係者)=新座市の人口 
現地民チャモロ人が4割 フィリピン系の人は英語ができるから観光産業を独占
-タモン湾周辺だけが大型ホテルが立ち並ぶ別世界
ここにて大量の電力や水を消費し、他の地域では断水になることも
-「大宮島」は日本が第二次世界大戦中に奪い取った唯一の有人領土
日本語を教育する学校や日本式の水田、交番、神社などが建てられる
-二万人の日本人が命を落とした「大宮島」と100万人の日本人が遊ぶ「楽園」の間には大きな断絶
かつての塹壕の上にはホテル、戦犯収容所の跡地には教会とショッピングモール
-ビーチだけならグアムでなくてもよかったはず。なぜグアムが日本の楽園として開発されたのか?
太平洋戦争後のグアムへの入島は厳しく制限されていた
巨大な米軍基地を抱える、立ち入り禁止の軍事島
忘れたことをさえ忘れてしまうまえに薄れゆくグアムでの戦争の記憶を取り戻すことが目的
**占領された「唯一の米国領土」
-グアムでの日本との交戦の規模は小さかった
しかし米国にとってグアムは敵に占領された唯一の米国領土→日本人が忘れても米国人は忘れなかった
-「大宮島」の統治行政は学校網を通じて運営
国民学校、青年団などで現地住民に対して日本語、日本習俗、思想を教育
-現地人が話す流暢な日本語に筆者は複雑な気持ちに
→人は覚えている、統治されていたという歴史を実感
**「大宮島」の日本人
-現地住民と日本人の共生
学校には現地住民だけでなく、日本軍や文官の家族も通っていた
食糧も十分で、現地の子どもたちと一緒に遊ぶ
-朝鮮半島からの、また現地女性の慰安婦
現地女性を慰安婦として紹介し、また日系住民を束ねたグアム在住の日本人が後に戦犯に
「大宮島」における日本人の人口が増えたが、その多くは琉球出身者
近隣の島々から多くのチャモロ人が渡り、朝鮮半島からも大勢の人が強制連行された
**デュエナス神父の斬首
日本統治下でも住民の大半がカソリック信者
-大宮島に残ったチャモロ人神父イエズス・バザ・デュエナスは、日本に対して不服従の姿勢をとり現地住民に支持される
-大宮島で地下潜伏するトウィード米軍通信兵
日系人を含む大宮島の住民に支えられる
日本軍は必死に捜索。米軍の攻撃で追いつめられた日本軍は無実のデュエナス神父を斬首
-大宮島には様々な人が生きていた
--日本統治を支えた日本国籍を持つグアム住民やサイパン出身のチャモロ人
--日本統治に命がけで地下活動に参加した日系人
-人々が死んだ「玉砕の島」の歴史と同様に、人々が生きた「大宮島」の歴史はもっと知られるべき
-玉砕の悲劇という単一の語り口で定式化して風化することは、玉砕の記憶さえも定式化させ風化させてしまう