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10/04/19/4

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*各プロジェクト活動内容

**ICT

・プロジェクト説明会の準備

→コピー済、今までの活動内容や今後の展望を説明予定。多すぎてもだめなので7人ぐらい希望。

・今後の展望としては、ITパスポートを全員取得し、構築したゼミのサーバーをもっと活用していくことを目指す。

**観光まちづくり

・プロジェクト説明会の準備

→スライドの作成、活動内容の報告。

・今年も屋形船を計画。6月7or 14 or 28 日か。

**トラベルライティング

・プロジェクト説明会の準備

→機内誌の収集から決定までの流れを説明する予定。5人ぐらい希望。

・11月までに機内誌の選考を終えることを目標にする。

・2009年度の最優秀作品決定!!

1位:「台湾-FRUITS TRIP IN TAIWAN-」(ANA 翼の王国5月号) 11/22票

2位:「与論島」8/22票

3位:「マウイの人々」2/22票

→海外合宿が台湾だったことが反映されているかもしれない。投票してくれた方々ありがとうございました。


**日本とアジア

・プロジェクト説明会の準備

→新しい講読本とフィールドワークの説明。8人ぐらい希望。

**まなざし観光

・エキゾチック論リーダーは浜田さんに。懐かしい論は加藤さん。

・新2年生は2人ぐらい希望。

・エキゾチック論は今後「広告」について研究予定。


**グローバルスタンダード

・プロジェクト説明会の準備

→去年の活動内容と今後の予定を説明する。5人ぐらい希望。

・今後講読する本:櫻井孝昌「アニメ文化外交」ちくま新書

**ホームステイ

・プロジェクト説明会の準備

**観光庁プロジェクト

アンケート結果もうすぐ届く予定。

*講読
**3-1 存亡の危機に立った老舗政党
-リード
--国民党時代 1949-2000
--民進党の攻撃
---党資産返還
---228責任
---立法委員選挙大敗
---馬英九ブーム
---2008.3 与党返り咲き
--2008.3 与党返り咲き
**総統選敗北でどん底からのスタート
-なぜ蒋介石が求心力維持?
-国民党史
--1894 孫文、興中会
--1919 中国国民党
--1925 孫文死去
--1949 国共内線に敗れ台湾へ
-蒋親子による省籍矛盾支配
--少数派の外省人が多数派の本省人を支配
--1988 本省人李登輝総統
--1993 国民党分裂
-蒋介石は古き良き国民党の象徴
--2000 李登輝辞任
--2001 李登輝新党結成、野党転落
--2004 民進党総統選再勝利
**激しい蒋介石バッシング
-2006- 中正記念堂の変化
-蒋の号である「中正」に纏わる場所を改称
-228の元凶と糾弾
-遺体の埋葬
**示せないビジョン
-三民主義の陳腐化
-住民投票の示すもの
-負の遺産を受け継ぐ国民党
-経済の国民党の巻き返し

*第3章-1 存亡の危機に立った老舗政党

**総統選敗北でどん底からのスタート

2000年3月18日総統選挙で連戦の大敗→党主席の李登輝に非難。

国民党は孫文の興中会が前身、蒋介石が指導者になってから台湾に移転、一党独裁、外省人の支配。

のち李登輝総統に就任、本省人が主流派に。

→国民党の主流派と非主流派の争い=外省人と本省人の争い

→避難の群衆の中に蒋介石の肖像を掲げる者がいた。

李の辞任で抗議収束も国民党は連戦を党首席代理にどん底からのスタート、低迷。






**激しい蒋介石バッシング

06年頃から陳水扁の蒋介石バッシング→蒋介石にからむ名称(中正)の変更、蒋介石の遺体安置場所の問題など

狙い=蒋に代表される中国と台湾の分離、国民党のイメージダウン
**示せないビジョン

国民党は目指す方向をしっかりと示せず。

現代の台湾人にとって三民主義は古い、独立の方がしっくりくる。

民進党の勢いに押されがちに。強力なリーダーシップもなし。

アジア通貨危機の時に良い政策をした→国民党の巻き返し。

*第3章-2 政難で迫られた構造改革


**世界一の金持ち政党

日本が残した資産の使用、一党独裁体制、党営企業の存在によるものだった。

しかし、民進党による資産問題追求により資産運営を民間企業にし、投資事業管理委員会を廃止。資産の一部返還。

**生き残りかけた大リストラ

民進党による党資産追求や党営企業の債務などの問題をかかえた国民党は、大規模なリストラに取り組む。

国民党本部ビルの売却や「中央日報」停 刊が象徴的。

結果純資産額が大幅に減った。

**党内民主化もすすめる

党部から中央常務委員会までピラミッド状の体制で党主席に権力が集中していた。民主化は社会制度のみの状態。

2000年総統選挙完敗を機に党内改革を迫られ党主席によるトップダウン方式に変化。カリスマ的な指導者による権力集中体制から集団指導体制の時代へ。