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*プロジェクト報告
**ICT
-9/28 ビデオ編集実習、出席2年生のみ
**観光まちづくり
-谷根千
--日程10/22(金)
**トラベルライティング
-購読
--11月いっぱいで読み終わる予定
--以降は2年生中心に
-機内誌を図書館で購入
**日本とアジア
-DVD翻訳プロジェクト
--アガニャについての1本に決定
--原稿を待って、みんなで分担し翻訳する
--作業用にDVDコピー2枚(先生)
**グローバルスタンダード
-購読本「フラット化する社会」に決定
**ホームステイ
-11月頭から
--2年生が主体に
--現地と連絡をとる
--ブルネイについて調査始める
*旅行博
-企業研究の場としても良し
--ブルネイコーナーあり
--トルコ旅行社、中国市場が大切
--来年はユースツーリズム企画に参加?(2年生)
---ゼミ合宿の内容を飾れば入賞可?
*ヤマガタ映画祭
-9月、インド映画、ディスカッションに参加可
-10/17「馬先生の診療所」、監督がトークに参加
*購読
*第5章「見えない島」
*1「誰も死なない島」
*「楽園」の外の貧しい島
-島の貧しさ、医療の乏しさ
-最も発展している観光からの収益は、現地社会に還元されず
-凶悪犯罪、教育の質の悪さ、失業率に悩む
-もともとの島民の苦しみ
*在日米軍基地の移転とグアム現地社会
-近年のグアム政府の失策
--インフラ管理放置
--在日米軍基地グアム移転計画
---そのため、期待もない貧しい島より逃げ出すチャモロ人
---統計上、人口が微増する理由はフィリピンからの移民によるもの
---チャモロ人とフィリピン人がとってかわると、グアム先住民の文化と習俗の継承は難しい
*2「二十一世紀の植民地」
*スペイン植民地時代
-グアム人口、5つのグループから構成
--米軍関係者、チャモロ人、フィリピン人、米国系白人と周辺の島からの移民、その他
--先住民チャモロ人の人口が半数を割り込む
-1521年 チャモロ人、マゼランにより「発見」
--「泥棒諸島」と汚名をつけられる
-1565年 スペイン領になる
-1668年 サン・ヴィトレス神父により「マリアナ諸島」と改名
--カソリック布教活動
--既存の社会構造「改善」に努める
-1695年 神父殺害され、スペイン・チャモロ戦争勃発
--チャモロ人、一時1500人にまで減少
--スペイン統治下に
-スペイン統治下時代と米国統治を経て
--人種と民族の混交進む
--「本物のチャモロ人はもういない」といわれる
**観光まちづくり
7月29日谷根千フィールドワーク 日アジと合同で実施。
11:00日暮里駅南改札集合。
**エスニックメディア
地域メディアについて学ぼう。
地域メディア関連の資料が多い図書館へ行く。
「地域メディアを学ぶ人のために」をよむ。
**日本とアジア
8月7日の開港祭:米軍基地が開放されるので行く予定。
**まなざし観光
7月23日神楽坂の祭り
「沖縄イメージの誕生」講読中。章わけして担当。
**グローバル・スタンダード
講読。
**ホームステイ
反省点をまとめてウェブにアップする予定。
*富士登山
時間確認
18:00新宿南改札集合
19:00バスターミナル
※富士登山のページを読んでおくこと。
*国内合宿
10:15ぐらい武蔵嵐山集合
全部参加者3850円
翌日12:00解散
*「グアムと日本人」講読 p54~64
二.グアム観光の「基本計画」
**貧しさからの脱却を図って
1962年からグアム一般に開放される→翌63年観光委員会中心に観光事業に着手。
観光で貧しさからの脱却を図った。
66年「米領グアムの基本計画」:グアム開発計画の根幹をなすが、これに描かれた将来像は現在のグアムとは全く違うものだった。
**長期滞在型の観光開発
「基本計画」:①全島開発と②長期滞在型観光が特徴。
①現在のグアムの中心地タモン湾についての言及なし。
静かで美しい東岸を選んでビーチ開発計画。
②タモン湾でなく、島都ハガニアとその周辺にホテル建設計画。
代表格:ハガニアの「クリフ・ホテル」・・・迎賓館としての役割も。
**ハワイの教訓
なぜ全島開発・長期滞在型観光を志向したのか?
→手本にした第二次大戦前のハワイは少数上流階級に向けた欧米式の長期滞在型観光だった。
しかし大戦後ワイキキは急速に大衆化、インフラ整備が露呈。
「第二のワイキキ」は目指さず、大戦前の小規模長期滞在型のリゾートを志向。