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武蔵野夫人

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*大岡昇平
*第一章 「はけ」の人々
- 土地の人はなぜそこが「はけ」と呼ばれるかを知らない。「はけ」の荻野長作といえば、この辺の農家に多い荻野姓の中でも、一段と古い家とされているが、人々は単にその長作の家のある高みが「はけ」なのだと思っている。
- ''中央線国分寺駅と小金井駅の中間、線路から平坦な畠中の道を二丁南へ行くと、道は突然下りとなる。「野川」と呼ばれる一つの小川の流域がそこに開けているが、流れの細い割に斜面の高いのは、これがかつて古い地質時代に関東山地から流出して、北は入間川、荒川、東は東京湾、南は現在の多摩川で限られた広い武蔵野台地を沈澱させた古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡で、斜面はその途中作った最も古い段丘の一つだからである。''
- ''狭い水田を発達させた野川の対岸はまたゆるやかに高まって楯状の台地となり、松や桑や工場を乗せて府中まで来ると、第二の段丘となって現在の多摩川の流域に下りている。''
- ''野川はつまり古代多摩川が武蔵野におき忘れた数多い名残川の一つである。段丘は三鷹、深大寺、調布を経て喜多見の上で多摩の流域に出、それから下は直接神奈川の多摩丘陵と対しっつ腕々六郷に到っている。''
-  樹の多いこの斜面でも一際高く聳える欅や樫の大木は古代武蔵原生林の名残りであるが、「はけ」の長作の家もそういう欅の一本を持っていて、遠くからでもすぐわかる。斜面の裾を縫う道からその欅の横を石段で上る小さな高みが、一帯より少し出張っているところから、「はけ」とは「鼻」の訛だとか、「端」の意味だとかいう人もあるが、どうやら「はけ」はすなわち、「峡」にほかならず、長作の家よりはむしろ、その西から道に流れ出る水を溯って斜面深く喰い込んだ、一つの窪地を指すものらしい。
- 水は窪地の奥が次第に高まり、低い崖となって尽きるところから湧いている。武蔵野の表面を蔽う壚、つまり赤土の層に接した砂礫層が露出し、きれいな地下水が這い出るように湧き、すぐせせらぎを立てる流れとなって落ちて行く。長作の家では流れが下の道を横切るところに小さな溜りを作り、畠の物を洗ったりなぞする。
- 古代武蔵野が鬱蒼たる原生林に蔽われていたころ、また降っては広漠たる荒野と化して、渇いた旅人が斃死したころも、斜面一帯はこの豊かな湧き水のために、常に人に住まわれていた。長作の先祖が初めここに住みついたのも、明らかにこの水のためであって、「はけの荻野」と呼ばれたのもそのためであろうが、今は鑿井技術が発達して到るところ井戸があり、湧水の必要は薄れたから、現在長作の家が建っている日当りのいい高みが「はけ」だと人は思っているわけである。(後略)
*第四章 恋ヶ窪
-(前略)彼は自分の「はけ」の自然に対する愛を道子と頒ちたいと思った。彼のこの附近の地勢に関する知識は、夜秋山を避けて閉じこもる書斎の読書によって増していた。彼の室はもと宮地老人の書庫の一部を開けて寝られるようにしたものであった。好事家であった老人の書架には武蔵野に関する歴史や地理の本が揃っていた。戦争に行ってから地形に注意するようになっていた勉は、そういう本は片はしから読み、国分寺の原形や武蔵野台地の成因について詳しくなった。
- 彼は道子をよく散歩に誘い出し、附近の地形や社寺の由来について語った。「はけ」に育った道子は無論家を取り巻く自然に馴れ、幼時蝶の蒐集に凝ったこともあったが、地理や歴史にはかえって彼女の知らないことが多かった。見馴れた事物について新しい知識を得るのは興味があったが、勉の時々くどくなる衒学的な説明をおしまいまで我慢したのは、彼の声を聞くのが楽しかったからである。
- 勉がことに興味を持ったのは、「はけ」の前を流れる野川であった。やはり宮地老人が所蔵していた五万分の一の地図を調べて、この小川が以前彼が高等学校時代成城学園の高台の下で見、また「はけ」へ来る前に寄寓していた田園調布の友人の家の下を流れる川の上流であることを知った。成城や田園調布では川は三間ほどの幅であったが、幅に似あわず豊かな水を疏水のように急速に運んでいた。水が蒲田から六郷に到る水田を灌すものであることは疑いない。
-「はけ」の前面で野川は約一間の幅でほとんど橋もない田中の小川であったが、水はやはり幅不相応に豊富であった。地図によると川は国分寺駅附近の線路の土手の下から発し、「はけ」に続いた斜面からの湧水を集めて来るらしいが、二粁足らずの間にこれだけの水量に達するのは、不自然に思われた。
-'' ある日教授会で秋山の帰りが遅いときまっていた日、勉は道子を誘ってその水源の探索を試みた。道は正確に川に沿ってはいなかったが、勉のつもりでは斜面から流れ出る湧水の量を調べればよいのであるから、斜面の裾を伝う道をたどって行くことにした。''
- 梅雨の近づいたことを知らせる蒸し暑い曇った日の午後であった。道子は道々勉の喋る地理学的説明を、いつものように音楽でも聞くように聞いていた。敗兵の地形に対する注意についての彼の説明も、彼女にはちっとも納得が行かなかったが、彼の心に関係があることは何でも聞くのが快かったのである。''
-  斜面を飾る高い欅や樫の下を自然に蜿る道には、ひっそりとした静けさが領していた。静寂は時々水音によって破られた。斜面の不明の源泉から来る水は激しい音を立てて落ちかかり、道をくぐって、野川の方へ流れ去った。道で初めて平面に達する水の躍るような運動は生き物のようであった。
-  道傍にはしばらく洋風の赤屋根や生垣で囲った農家が続いていたが、やがてまばらになった。少し斜面を上り、杉木立の中を再び平らに行った。山側は三尺ばかりの高さを多摩石で築き、上に住宅があることを示していた。
- 水がまた道を越して落ちていた。神社の橋のように反った小さな石橋の下は、庭園風に石が配置されていて、水がその間を跳ね降りていた。邸の敷地は道から山側だけと思われたが、石がずっと下まで、杉木立が平らな畠となって尽きるところまで設えてあるのを見て、道子は邸の主の風流をおかしく思った。
- 野川の流域はこの辺ではずっと狭く、川は対岸の竹藪の裾を沿っていた。水はやはり「はけ」の前と同じくらい豊かに流れているのが、遠くからでもよく見えた。
- 杉木立を通り抜けると水が道を横切るのが繁くなった。あるいは竹藪の蔭、石垣の根方などから突然流れ出て、道に平行した道に沿って流れた。
- 流水の形と音のリズムに伴奏されて、二人の足は自然に合った。
- 水は一つの池に注いでいた。釣り堀の看板があったが、客の姿は見えず、水だけ青く澱んで、魚もいない様子であった。そして池の一角から流れ出る水は、また野川の方へ向っていた。池から道を隔てた山側には神社があり、石段に沿ってやはり水が落ちていた。
- 水の源を訪ねて神社の奥まで進んだ。流れは崖に馬蹄形に囲まれた拝殿の裏までたどれた。そこは「はけ」の湧泉と同じく、草の生えた崖の黒土が敷地の平面と交わるところから、一面に水が這い出るように湧いて、拝殿の縁の下まで拡がり、両側の低い崖に沿って、自然に溝を作って流れ落ちていた。
- 立ち止まってじっと水の湧くさまを眺めている勉に、道子は、「何をそんなに感心してんの」と訊かずにいられなかった。
- 道子も水に対する興味に感染していた。彼女は神社の左手の崖の上から聞える一つの水音に注意していた。音はしゅるしゅるという滑るような音で、明らかに拝殿の後ろの湧水より高い位置から始まっていた。それと重なって下の方へ別に轟くような激しい音があった。
- 道子はその水音を勉に注意した。彼の地理学に初めて協力できたのに誇りを感じた。
- 二人は拝殿の横から欅の林の中のジグザグの小径を登った。上は平らなやはり欅の疎林で意外に近く往還があり、自転車へ乗った人が通って行った。
- 一尺ほどの幅のコンクリートの溝が林の縁の人家に沿ってあり、水が忙しく道の方から走って来た。斜面の始まるところで溝は十五度ばかりの角度で折れ、水は溝の側に弾ね返り、音を立てて滑り降りていた。行手の竹藪の底から轟く音が上って来た。
- 溝は明らかに線路向うの玉川上水につながっており、すなわち野川に不自然に豊かな水量の印象を与える過剰の水が、結局多摩の本流の水であることを意味する。勉は道子を顧みて、
-「やっぱり僕の思った通りだった。上水から引いてるんだよ」といって満足げに笑った。
- 道子は、そうして喜ぶ勉を抱いてやりたい衝動を感じた。
- 二人はまた横の林を神社の横へ降り下の道へ出た。鳥居の傍の閉された掛茶屋を過ぎて少し行くと、藪の切れ目に水が滝のように迸り、深い溝を掘って道の下をくぐっていた。
- ゆるい坂を上ると野が開けた。一つの流れが右へ斜面をゆるやかに退かせ、一つの道が降りて来た。道は野川を合流点の下で小橋で越え、対岸を遠く杉林の方へ向っていた。
- 橋の上に立った勉は、野川の水が依然として豊かなのに驚いていた。
- 地図に水源地とされている鉄道の土手は、遠く流域の涯を限っていた。しかし右手斜面に近く、土管が大きな口を開けて、そこから白く水の落ちている様が望まれた。勉は、
-「何だ。水源は線路の向うらしいや」
- といって笑ったが、道子は笑顔を返すこともできなかった。彼女はさっき神社の後ろで勉を抱きたいと思って以来、どうして自分がそんなことを思ったのだろうと、そのことばかり考えていたのである。彼女は結局自分に告白しようと欲しない一字のまわりを廻っていた。
- 川はしかし自然に細くなって、ようやく底の泥を見せ始め、往還を一つ越えると、流域は細い水田となり川は斜面の雑木林に密着して流れ、一条の小道がそれに沿っていた。
- 線路の土手へ登ると向う側には意外に広い窪地が横たわり、水田が発達していた。右側を一つの支線の土手に限られた下は萱や葦の密生した湿地で、水が大きな池を湛えて溢れ、吸い込まれるように土管に向って動いていた。これが水源であった。
- 土手を斜めに切った小径を降りて二人は池の傍に立った。水田で稲の苗床をいじっていた一人の中年の百姓は、明らかな疑惑と反感を見せて二人を見た。「ここはなんてところですか」と勉は訊いた。「恋ヶ窪さ」と相手はぶっきら棒に答えた。(後略)
- 土手を斜めに切った小径を降りて二人は池の傍に立った。水田で稲の苗床をいじっていた一人の中年の百姓は、明らかな疑惑と反感を見せて二人を見た。
-「ここはなんてところですか」と勉は訊いた。
-「恋ヶ窪さ」と相手はぶっきら棒に答えた。(後略)