2年生による発表 個人が選んだ興味のあるコンテンツツーリズム地。 学期末にこれに修正を加えて発表させる予定。 修正内容はコンテンツがもたらしたその地への影響
次回ランミは月曜8日 残りの2年生と3年生の発表。
FWは7/18実施予定
内容:ニュージーランドで暮らすようになった筆者が、この土地の二言語二文化で括ることのできない多様性に驚き、「タンガタ・フェヌア(土地の人)」とはどういったものであるかを考察する。
論点
本文より、ただ名前のちがいが、見る者の心を支配する。われわれの心は言葉に飼いならされ、名前の呪縛に安心する。(p65,l16)
人の心は言葉が造形する、それは避けがたい。…(p67,l7)
→言葉によって私たちは認識を形成するが、言葉以外に認識を変えうる力をもつのが自然である。自然によってわれわれの心は圧倒され、それは言葉を変えることにつながるのである。
はじまったばかりの「マオリ化」がこうして着々と進行しているのだと考えると、なんだかぼんやりと明るく、希望に似た感覚がこみあげてくる。(p68,l15-17)←なぜ希望を感じる?
→手がかり…ある土地に長く住み、土地に働きかけ、土地から働きかけられるとき、人は変わる。(p67,l11)
内容:筆者はNZの野生動物に魅了され、その中でも特に興味を持ったアホウドリ(アルバトロス)を見ようとオタゴ半島を 訪れた。野生動物の観察をしていくうちに、人間と野生動物との関係を考え始める。
論点:人間と自然動物との関係性
→・筆者は本当はどうしたいのか。人類批判か?
・我々は野生動物との関係生をどうすべきなのか。
…エコ・ツーリズムには素晴らしい高揚感のある経験だが、その背後で「ヒトがかれらを脅かしているのだ」という鋭く重い気持ちからは決して解放されることがない。(p61,l15~)
→野生動物が厳しい自然環境の中で生き抜いている姿に感動を覚えるが、一方でその存在を脅かしているのは人間だという矛盾から生じるさびしい感動。
内容:特に目的を持たず、トンガ王国の最大の島、トンガタプの首都であるヌクアロファのみに5泊する。滞在の中で印象深かったものを順にあげ、それぞれの事柄に関連した自身の体験、感想等を述べ、最終的に自身の旅は、どこへ行っても言葉を失うどこかへと行き着いてしまうと結んでいる。
論点
土地がいまそのときのその場からどこか別の中間的な場所へと漂いだしてゆく(l9)とは?
→われわれは実感として、ある土地を完結したその土地そのものを体験することができない。(l11)…目の前の風景に、自分の記憶の中から今まで見たことのある風景を当てはめてしまうということ。
…語れないし語っても仕方がない、地水火風の運動に行きついてしまうということ?
…地水火風の運動を語る=自然を描写する
→あるいはそれはぼくがまだ陽光や海や風や大地を直接に語る言葉を、見つけていないというだけなのかもしれない。(l9)
…旅をすることの意味=体験を余すことなく語ること?なのか
(議論の時間が十分に取れなかったため、?の部分など来週補足を行う予定)